『封魔の城塞アルデガン』
第14章:エピローグ 後半
「前にいったであろう? 私自身が解呪の技を発動できずにいるのだと」アラードをまじまじと見つめてグロスがいった。
ラーダ寺院の地下にある霊廟だった。グロスはこの三日間ここに篭り続けゴルツやアザリアをはじめとする犠牲者たちに祈りを捧げていた。やつれた印象だった。疲れもあるのだろうがどこかうつろで覇気が感じられなかった。
「術式を身につけておられる方はもうあなたしかいないんです。あなたにお願いするしかないんです!」
アラードの必死の頼みにも、グロスはため息をついてかぶりを振るばかりだった。
「発動できない私が教えたところでそなたも発動できるようにはなれまい。それでは意味もなかろう?」
「ならば、これからどうするつもりだ?」
ボルドフが問うた。
「同い年のよしみでいうが、墓守になるのは早すぎるぞ」
グロスは答えなかった。ボルドフもまたため息をついた。
「閣下にお仕えしながらなにもできなかった、どうせそんなことでも考えていたのじゃないのか?」
「なぜ……、なぜわかるのだ」
「その顔を見てわからん奴などいるか」
「……この三日間、ずっと考えてきたのだ。これほど長くお側に仕えながら、私になにができたのかと。なにもなせなかったではないかと」
グロスは床を見つめながらつぶやいた。
「なぜ私はかくも無力なのかと……」
「なあ、俺は思うんだが、そもそもゴルツ閣下にお仕えしようというのが間違いだったんじゃないか?」
ボルドフはグロスをまっすぐ見つめながら言葉を続けた。
「ゴルツ閣下に途方もない負い目を負ってしまったおまえにそれ以外の道がなかったのはわかる。だが、閣下はアルデガン最高の術者だった。おまえに限らず誰だってかなう存在ではなかった。だから閣下を助ける機会そのものがなかった。身の周りの世話や雑務をこなすのがせいぜいだった」
白衣の司教は黙って巨躯の戦士を見上げていた。
「俺が見た限り、おまえは閣下を実によく補佐した。現に閣下は助かっていたと思う。しかし大きすぎる負い目を負ってしまったおまえ自身はそれでは満たされなかった。それが己の無力として感じられ身を苛んだ、違うか?」
ボルドフはグロスの肩に手を置いた。
「おまえが無力なんじゃない。助けを必要としていない者に仕えてしまっただけなんだ。そしていまここにおまえの助けを必要としている者たちがいる」
ボルドフはグロスの体をアラードのほうに向かせた。
「いまアラードがいっただろう。もうこいつ一人の話じゃないんだ。リアは解呪されない限り滅びることができない。心ならずも人々を牙にかけ続けるしかない。おまえが諦めたならこの運命は変えられないものとして定まってしまう。アラードも、リアも、多くの者がおまえの助けを必要としている」
「定まってしまう? 諦めたら?」
グロスがはっとしたように繰り返した。
「アラードは未熟で思慮が浅い。それがこんな事態を招いた。
しかし本気で自分の過ちをつぐなおうとしている。この覚悟に免じて助けてやってくれないか」
「お願いします! どうか……っ」
アラードはグロスに額づいた。
「顔をあげてくれ、アラード。額づかれる資格など私にはない。そもそもラルダを見捨てて逃げたのは私なのだから」
グロスはアラードの前に身をかがめ、その手を取った。
「閣下もそなたも仕方がなかったといってくれた。あんな吸血鬼が相手ではと。たしかにそうだったのかもしれぬ。
でも、なぜか諦めきれなかった。あの時逃げなければなにかが違ったのではないかとずっとずっと思っていたんだ」
うつろだった目に熱がこもっていた。
「あの時私が逃げたばかりにラルダの運命は定まってしまった。それがリアの運命を狂わせた。リアが誰かを牙にかけるならば、その者の運命もだ」
「ここで諦めたなら過ちを繰り返すことになってしまう。これは私のつぐないでもあるのだ! こちらから頼む。私をいっしょに連れていってくれ!」
「ありがとうございます……」
アラードはただ繰り返すばかりだった。
「閣下のことはアザリアに頼んでおこう、それなら心配ない」
ボルドフは祭壇に安置された棺に向き直った。
「なにしろアルデガン最高の守り手だったんだ。最後までな」
巨躯の戦士が祈りを捧げた。残る二人も彼に倣った。
----------
翌朝、三人はアルデガンの城門を出た。
仰ぎ見た城壁は二十年前の嵐の夜に出奔した若者が見たものと同じだったが、それは崩壊した岩山の土石があふれ出たときに崩れ、業火に焼かれた跡をあちこちにとどめていた。その姿に彼らはそれぞれがこの地で過ごした日々を一瞬重ね合わせ、心の中で別れを告げた。
だが城壁に背を向けたとたんに強風が真正面から吹きつけた。灰が混じった土埃が荒れ狂うように舞い上がった。
思わず振り仰ぐと暗雲が風に乗って渦を巻きながら押し寄せていた。崩れた城壁に襲いかかる黒い軍勢さながらだった。轟く風音までが軍靴の響きに聞こえた。
けれど黒一色と見えた空のうち遥か南にただ一ヶ所、わずかに雲が切れていた。渦巻く黒雲からのぞいた青い空は峻烈なまでにまぶしく見えた。
それはなぜか、ひどく心ゆさぶる光景だった。
三人は高く顔をあげ、長い旅路の第一歩を踏み出した。激しい光を宿した青空の欠片をまっすぐ見つめながら。
終
ラーダ寺院の地下にある霊廟だった。グロスはこの三日間ここに篭り続けゴルツやアザリアをはじめとする犠牲者たちに祈りを捧げていた。やつれた印象だった。疲れもあるのだろうがどこかうつろで覇気が感じられなかった。
「術式を身につけておられる方はもうあなたしかいないんです。あなたにお願いするしかないんです!」
アラードの必死の頼みにも、グロスはため息をついてかぶりを振るばかりだった。
「発動できない私が教えたところでそなたも発動できるようにはなれまい。それでは意味もなかろう?」
「ならば、これからどうするつもりだ?」
ボルドフが問うた。
「同い年のよしみでいうが、墓守になるのは早すぎるぞ」
グロスは答えなかった。ボルドフもまたため息をついた。
「閣下にお仕えしながらなにもできなかった、どうせそんなことでも考えていたのじゃないのか?」
「なぜ……、なぜわかるのだ」
「その顔を見てわからん奴などいるか」
「……この三日間、ずっと考えてきたのだ。これほど長くお側に仕えながら、私になにができたのかと。なにもなせなかったではないかと」
グロスは床を見つめながらつぶやいた。
「なぜ私はかくも無力なのかと……」
「なあ、俺は思うんだが、そもそもゴルツ閣下にお仕えしようというのが間違いだったんじゃないか?」
ボルドフはグロスをまっすぐ見つめながら言葉を続けた。
「ゴルツ閣下に途方もない負い目を負ってしまったおまえにそれ以外の道がなかったのはわかる。だが、閣下はアルデガン最高の術者だった。おまえに限らず誰だってかなう存在ではなかった。だから閣下を助ける機会そのものがなかった。身の周りの世話や雑務をこなすのがせいぜいだった」
白衣の司教は黙って巨躯の戦士を見上げていた。
「俺が見た限り、おまえは閣下を実によく補佐した。現に閣下は助かっていたと思う。しかし大きすぎる負い目を負ってしまったおまえ自身はそれでは満たされなかった。それが己の無力として感じられ身を苛んだ、違うか?」
ボルドフはグロスの肩に手を置いた。
「おまえが無力なんじゃない。助けを必要としていない者に仕えてしまっただけなんだ。そしていまここにおまえの助けを必要としている者たちがいる」
ボルドフはグロスの体をアラードのほうに向かせた。
「いまアラードがいっただろう。もうこいつ一人の話じゃないんだ。リアは解呪されない限り滅びることができない。心ならずも人々を牙にかけ続けるしかない。おまえが諦めたならこの運命は変えられないものとして定まってしまう。アラードも、リアも、多くの者がおまえの助けを必要としている」
「定まってしまう? 諦めたら?」
グロスがはっとしたように繰り返した。
「アラードは未熟で思慮が浅い。それがこんな事態を招いた。
しかし本気で自分の過ちをつぐなおうとしている。この覚悟に免じて助けてやってくれないか」
「お願いします! どうか……っ」
アラードはグロスに額づいた。
「顔をあげてくれ、アラード。額づかれる資格など私にはない。そもそもラルダを見捨てて逃げたのは私なのだから」
グロスはアラードの前に身をかがめ、その手を取った。
「閣下もそなたも仕方がなかったといってくれた。あんな吸血鬼が相手ではと。たしかにそうだったのかもしれぬ。
でも、なぜか諦めきれなかった。あの時逃げなければなにかが違ったのではないかとずっとずっと思っていたんだ」
うつろだった目に熱がこもっていた。
「あの時私が逃げたばかりにラルダの運命は定まってしまった。それがリアの運命を狂わせた。リアが誰かを牙にかけるならば、その者の運命もだ」
「ここで諦めたなら過ちを繰り返すことになってしまう。これは私のつぐないでもあるのだ! こちらから頼む。私をいっしょに連れていってくれ!」
「ありがとうございます……」
アラードはただ繰り返すばかりだった。
「閣下のことはアザリアに頼んでおこう、それなら心配ない」
ボルドフは祭壇に安置された棺に向き直った。
「なにしろアルデガン最高の守り手だったんだ。最後までな」
巨躯の戦士が祈りを捧げた。残る二人も彼に倣った。
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翌朝、三人はアルデガンの城門を出た。
仰ぎ見た城壁は二十年前の嵐の夜に出奔した若者が見たものと同じだったが、それは崩壊した岩山の土石があふれ出たときに崩れ、業火に焼かれた跡をあちこちにとどめていた。その姿に彼らはそれぞれがこの地で過ごした日々を一瞬重ね合わせ、心の中で別れを告げた。
だが城壁に背を向けたとたんに強風が真正面から吹きつけた。灰が混じった土埃が荒れ狂うように舞い上がった。
思わず振り仰ぐと暗雲が風に乗って渦を巻きながら押し寄せていた。崩れた城壁に襲いかかる黒い軍勢さながらだった。轟く風音までが軍靴の響きに聞こえた。
けれど黒一色と見えた空のうち遥か南にただ一ヶ所、わずかに雲が切れていた。渦巻く黒雲からのぞいた青い空は峻烈なまでにまぶしく見えた。
それはなぜか、ひどく心ゆさぶる光景だった。
三人は高く顔をあげ、長い旅路の第一歩を踏み出した。激しい光を宿した青空の欠片をまっすぐ見つめながら。
終