桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

筒女神の依り代

 山と海に囲まれた、岩時(イワトキ)の地。

 その中心には岩時神社(いわときじんじゃ)がある。

 早朝から箒を持って、元気良く神社の境内を掃く娘の姿があった。

「ふんふ~ん♪」

 権宮司の娘、時刈弥生(とがりやよい)だ。

 彼女は神社の中央にあたる、桜の木の下を掃除している。

「イワ! トキ! イワ! トキ! 清らかに~」

 にっこにこの笑顔で、弥生はリズムに乗りながら歌を歌い続けている。

「きよ! らか! きよ! らか! イワトキよ~」

 一体、どういう歌だ。

「ねえ、アイトさま…………弥生が、ずーっとこっち見ながらあの歌、歌ってるんですけど!」

 狛犬リョクは、獅子アイトに話しかけた。

「そう? イイじゃねえか、元気そうでよ」

(れい)! (すい)! (れい)! (すい)! おいしいよ~」

「ぷはっ!」

 アイトは思わず噴き出した。

「何なんだあの、能天気な歌は!」

「…………さっぱりわけわかんないですよね」

 本殿からひょっこり出て来た、清らかで可愛らしいお嬢さん。

 どうやらあの権宮司の娘・弥生が、次の生贄だという。

 可哀想に。

 久しぶりに人間の、血の匂いを嗅いだ。

 町長の娘、(あかね)が白龍神・濁名(ダナ)に食われてしまった。

 禍々しいパワーを持つ神に、町長の娘が本殿の中で食われたのである。

 世も末だ。

 霊獣たちは何も出来ないし、考えられなかった。

 だがとても敏感になっており、これからどうすれば良いのか悩んでいる。

 岩時の神体を守るために、白龍の配下として霊獣がここにいるのでは無かったか。

 獅子アイトはため息をつく。

 霊獣達に本来、秩序などない。

 獅子や狛犬はただぼうっと存在し、自分達が何をすべきなのかを知らなかった。

 高天原には神がおり、自分達は彼らに仕えているという事だけは、何となくわかっていたのだが。

 霊獣達はそれぞれ覚悟も無ければ、自分たちの力の限界すら知らなかった。

 黄金色に輝く神聖な本殿の中に、いまだ霊獣は一体も入れない。

 霊水を飲むと人間は、生まれたての赤子のように魂が清らかになるそうだ。

 助けを求め、救いを求め、すがり続ける、ただ神に依存するだけの心。

 だが純粋無垢。

 神は本殿の中でみそぎを行った人間の魂を食べ、ますます強くなってゆく。

 今年の岩時祭りは七年に一度の本祭りなので、三日間に分けて行われる。

 一日目が前夜祭である『宵祭り(よいまつり)』。

 二日目が『本祭り』。

 三日目が『後祭り』だ。

 『宵祭り(よいまつり)』の前日までに、岩時神社に参拝する人間全員が気枯れになるため『みそぎの儀式』を行う。

 だが弥生だけ、普通の人間が行うしきたりとは全然違っている。

 一年かけて岩時の霊水を毎日毎日、本殿の中で誰とも会わずに飲み続けるのだ。

 噂によると彼女は、一日一リットルは飲むらしい。

「うわ、うわはっ! はははっ! おやめください弥生様!」

 狛犬リョクが笑い出す。

「うーん…………取れないわね!」

 ちょうど弥生はリョクの体を、白い布で一心不乱に磨き始めていた。

「全身、苔むしていますねー」

「そんなに力を込めて僕の体を磨かないでください!」

「あらお返事してくれた! うれしいっ!」

「…………!」

 リョクはぎょっとした。

 弥生はにこにこと笑いながら、こちらを見ている。

「弥生です。よろしくー!」


 …………えええええ?!


「……驚き過ぎだ。リョク」

 獅子アイトが、狛犬リョクに言った。

「巫女にはよくあることだ。弥生は俺たちの声を認識したんだろ」

「声だけじゃありません。姿も人間みたいに見えてますよー!」

「────え」

 弥生はニコッと笑った。

 みそぎの真っただ中の巫女とは、こういうものか。

 リョクは目を丸くした。

「実は、誰とも話せなくて、とても寂しかったんです」

 弥生は嬉しそうに、手を組んで微笑んでいる。

 霊水によって本来持っていた力を、発揮し始めたのだろうか。

「一年間、よろしくお願いしますね。あなた達と会話できてとっても嬉しいです!」

「ああ、よろしく。俺はアイトだ。こいつはリョク。ずっと岩時神社…………」

 ────岩時神社を守ってる。

 そう言いたかったのに。

 アイトはそれ以上、言葉には出来なかった。

「名前を教えてくれて嬉しい! アイトさんに、リョクさんですね」

「…………『さん』はいらない」

「わかりました!」

 弥生の笑顔は、光り輝いている。

 男性であっても女性であっても、霊獣達は弥生にどんどん、心惹かれてゆく。

 一年かけて、弥生は霊獣達との信頼関係を築き上げた。

 白龍神の生贄に選ばれた直後だというのに、何なんだ、この少女の明るさは!

 霊獣は全員、彼女のあっけらかんとした性格に呆れ、そして惹かれた。

 どうやら必要な食料などは、限られた神職者を通して運んでもらっているらしい。

 本殿の中で一人、弥生は平然と生活している。

 …………ように見える。

 みんなのために死ねと言われ、誰とも会ってはいけないと言われ。


 それでも本当に、笑顔で前向きに生きていけるのだろうか。


 空は晴れ渡っており、風はおだやかで、海は静か。

 いつの間にか亀裂が入っていたはずの地面は、平らになっている。

 最強神・深名が別な土龍に命じ、綺麗に直させたらしい。

 白龍・濁名が茜という生贄を食った痕跡は残されていない。

 あの時と同じ神社だとは、誰が見ても到底信じがたい。

 茜という少女が生きていたことすら、無かったことにされたかのよう。

 弥生は一体一体の霊獣と毎日挨拶を交わし、楽しい関わりを持ち続けた。

 人間と関わる事に慣れない彼らは、照れたり驚いたりしながら、それぞれ少しずつ彼女と仲良くなっていった。

『お…………オハヨ』
『照れんな照れんな!』
『おっはー! やよちゃん!』
『弥生ちゃん今日もかわいいねっ!』
『やよ、僕たちが見えてんの?』


「うん。見えてるよ!」


 …………見えてんのーーーー?!!


 今、彼女、返事しなかった?

 したよね?

 まるで画面越しに眺めていたアイドルが突然、自分達と会話し出したような気分。


 霊獣達は最初のうちこそ浮かれ騒いだが、次第にそれもおさまった。


 弥生の元気が、夜になると無くなってしまう事を、いつの日か知ったからである。


 彼女との仲が深まるたび、霊獣達は心の奥底で、濁名に対して憤慨し始めた。


 ──彼女を生贄にしてなるものか。

 
 本殿の中から出て夕涼みをしていた弥生の頬から、涙が一筋こぼれ落ちた。


「───私、夢を見たわ」


 彼女は独り言のように、静かに語り始めた。

 獅子アイトをはじめとする霊獣達はいつしか、弥生の話に聞き入っていた。

 暗闇に潜む大勢の、海の霊獣たちや山の霊獣たちも、彼女の話を聞いている。

「私はただの白い塊だった。ずっと真っ暗な闇の中にいたの」

 耳を澄ます霊獣達の間からもう一体、黄金の鳳凰が姿を現した。

 彼女もじっと、弥生の方を見つめている。

「天空に大きな闇があったわ。私はそこから、この世界へと飛び降りた」

 吸い寄せられるように少しずつ、霊獣達は弥生との距離を縮めてゆく。

「私は海に飛び込んだ。海水を飲んで、水に含まれる塩の『霊力』をもらったの」

 狛犬リョクは小さな頃、毎晩眠る前になると自らねだって、同じ話を母親に聞かせてもらっていたのを、突然思い出した。

「そのうち自分の内と外についた汚れ(ケガレ)がすっかり、払われて…………」

 今は亡きリョクの母親の、優しい笑顔が心に蘇る。

「吐く息が海の白い泡になって、子供達の姿へと変わっていった」

 あっ!

 獅子アイトも、この話をよく知っていた。

「可愛い子がたくさん生まれたわ。空の闇の中へ次々と浮かんで、昇っていったの」

 昔聞いた神話と同じ。

 これは筒女神の伝承。

「するとね。暗闇の形が綺麗に払い清められ、あたりは煌々と、光り輝く世界へと姿を変えて…………それらが、夜空に輝く星となったの」

 落ち着いた女性の声が、霊獣達の中から聞こえてくる。

「……あなた様に、お会いしとうございました」

 弥生が声の主を見上げると、そこには着物を着た若い女性が、凛とした表情を浮かべながら立っている。

「あなたは…………誰?」

 先ほどの鳳凰が、変化した姿。

「梅と申します。権宮司様に頼まれて、こちらへ参りました」

「お父様に?」

「私は鳳凰の一族。あなた様は人間ですが、鳳凰の血を引いておられます。あなた様が生贄になることを、父君は望んでおられません。あなた様は、筒女神の依り代となるお方なのですから」

 7年に一度の岩時祭りが、ちょうど今年。

「ツツメガミのヨリシロ?!」

 依り代、とは神の魂を入れる器の事だ。

 人間の体などもその一つ。

「もうじき最強神が、この地に降臨されます。あなた様には筒女神様をその体に、迎えていただきます。…………濁名の生贄になるのでは無く」

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