桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

発情?初恋?

 時は少し戻る。

 ここは龍宮城を守る、五つの塔のうちの一つ『ホシガリの塔』の最下層。

 えいっ! と穴へ飛び込んだまでは良かったが、その後がマズい。

 ジュッ!!
「熱っっ!」

「久遠様!」

 落ちて間もなく久遠は、一つのバグに当たってしまった。

 落ちるスピードはそのままで、みるみるうちに久遠の姿が変化してゆく。

 小さな白猫へ。

 あー。

 ヤバい。

 これは最弱だ。

 死んでしまう。

 星狩真広(ほしがりまひろ)の声が、上の方から聞こえてくる。

「久遠様! 動く砂に触れて、変化を負ってしまいましたか?」

『うん! はははっ! 久遠ちゃん、猫になっちゃった!』

 清名は面白がるように、けたけたと笑い出す。

「笑うな。……面白くも何とも無い」

「必ず元のお姿に戻れますよ! どうかご安心をー!」

 星狩はのんきな声で、行ってらっしゃーい、と上から手を振っている。

 ご安心?

 無理だ!

 早く元に戻らなければ。

 でも、どうやって?

 頭が朦朧としてくる。

 この姿では翼を広げられない。

 穴の底へ落ちてゆく。

 ぐんぐん、ぐんぐん。

 ああ、このまま死ぬのか。

「おぬし、難儀そうじゃの」

 久遠は驚いて、猛スピードで落ちながら、声がした方角を見た。

 大きな白龍が一体、翼を広げて飛びながら、こちらをじっと見つめている。

 この白龍、只者ではない。

 この奇妙な空間に慣れている。

「あなたは?」

 彼女は久遠と清名をむんずと口でくわえ、自分の背にヒョイッと乗せてくれた。

「クスコじゃ」

『クスコ?』

 書物で読んだことがある。

『クスコってあの…………最強神の、反転の存在?』

「よく知っとるのう」

『白龍ですから!』

「ほう。おぬしらは白龍か」

『アタシはもう、死んじゃってますけどね』

 まさか、こんな場所で最強神のクスコに会えるとは!

 おかげで命拾いした。

「助けていただき、ありがとうございます」

「名はなんという」

「久遠と申します」

『アタシは清名でっす』

 クスコは頷いた。

「久遠に清名か。遅かったのう。おぬしらをずっと待っておったぞ!」

「待ってた……とは」

「今からおぬしらは、岩時の地に飛び込むのじゃぞえ!」

 眼下を見下ろすと、無数の松明や灯篭、提灯などが明々と灯っている。

 宵祭りが始まろうとしている。

「どんな事があっても生涯、大切に守るのじゃぞ。うんと時間をかけて信頼をつかみ、言葉では無く背中で教えるのじゃ。誠意を持って守り抜いたものとしか、死ぬまで繋がる事が叶わないとな」

 ……謎めいている。

 せめて落ちながらではなく、まともに立っている時に言って欲しかった。

 落ちるだけで精いっぱいだった久遠達とは対照的に、いとも簡単そうにヒョイヒョイとクスコは、上手にバグを避けながら飛んでいる。

 人間世界に最強神がいたとは!

 驚きを越えて、絶句してしまう。

「心配せずとも、七支刀はワシが預かっちゃる。おぬしらはまず、器を守り抜くんじゃぞ」

「器?」
 
 白龍は久遠を、そっと神社の境内の中へ下ろした。

「死にたがりの体の方じゃ。一人しかおらんから、すぐにわかる」

 顔を上げた瞬間、クスコの姿はもう、いなくなっていた。

『今日からは祭りじゃ。生き物がうろついていても、さして驚かれまい』

 声だけが響き渡る。

 いつの間にか久遠は、さらさらと流れる小川の前に立っていた。

 そこは、禁足地として指定された場所のようだ。

 しめ縄で結界が張られた固い土の中に、あの深名から授かった七支刀が真っ直ぐに突き刺さっている。

「……この姿では」

『アタシもこの姿』

 七支刀を抜く事が出来ないし、濁名と戦う事も出来ない。

 どうすれば良い?

 それにしても…………全身が熱い。

『ニャー』

 声を出しても、ニャーしか言えない。

『久遠ちゃん、声まで猫ね』

 猫だもの。

 猫語しか話せない。

 体全体がふらふらしており、とても立っていられない。

 久遠はカラカラと鈴が鳴る音を聞きながら、ぐったりとその場に座った。

 疲れた…………。

 見上げると、拝殿の前で一人の少女が一心不乱に、感謝の気持ちを伝えている。

『ありがとうございます』

 真っ直ぐ腰まで伸びた艶やかな黒髪に、透き通るような白い肌。

 綺麗な声で、願いでは無く感謝だけを伝えている。

 好感が持てる、可愛らしい少女だ。

 彼女は久遠に気づき、光り輝くような笑顔を見せた。

 両頬に出来たえくぼが良い。

「わあ、可愛い!」

 可愛い?

 可愛いと言われた事が、今まで久遠は一度も無かった。

 カッコイイ! とか、イケメンね! とか「久遠さん、私と絶対結婚して!」とかなら、言われた事があったけれど。

 白装束姿の少女は、宝物を扱うように優しく、そっと久遠を抱き上げた。

「…………」

 ふんわりと柔らかい手が、久遠の頭を撫でている。

 清名はその隙を逃さず、彼女の装束の中へと忍び込んだ。

 近づくと、表情でわかる。

 少女は笑っているが辛そうで、とても寂しそうであること。

 張り詰めた様子で、自暴自棄になっていること。

 今にも泣きそうなことを。

 なかなかに彼女を取り巻く環境は、複雑なようである。

 力になりたい。

「あなたはどうしてここにいるの?」

『ニャー』

「迷子なの?」

『ニャー』

 会話が全く成り立たない。

 抱かれながら撫でられている久遠は、今まで味わった事のない幸福を感じた。

 ぞわりと肌が泡立つ。

 嬉し過ぎて眩暈がする。

 この少女から甘くてみずみずしくて、とてもいい匂いが漂ってくるのだ。

『久遠ちゃん、邪念がこっちまで漏れてる。もしかして……この子に惚れたの?』

「わからない。初めての気持ちで…………」

 白装束をめくって、今すぐにがぶりと首筋に吸いついてしまいたい。

 久遠は無意識のうちに、ふくよかな少女の胸にぐりぐりと顔を擦り付けた。

「ふふっ! あははっ!」

『ちょっと! もう、久遠ちゃん、何やってんの?!』

 清名は、いつも真面目な久遠が、これほど大胆な行動を取ったことに驚いた。

 思わず少女は声を上げる。

 恥ずかしそうな笑顔がたまらない。

 何故これほどまでに、愛おしくて、触れたくて、嬉しい気持ちが沸き上がるのだろう。

「……あなたに会えて嬉しいわ! 来てくれてありがとう」

 少女と目が合うだけで、夢見心地だ。

 彼女の可愛らしさにキュンとなり、久遠は甘くてとろけるような気持を味わった。

 彼女をずっと見ていたい。

 誰の目からも隠して、自分だけのものにしてしまいたい。

 久遠が至福タイムを味わっていると、神社を守る霊獣二体が現れた。

 人の姿をした獅子と狛犬、アイトとリョクである。

 久遠は彼らの力がどのくらいの大きさなのかを、空気で感じ取る事が出来た。

 二体とも潜在能力は高いのだが、今は全く鍛えられていない。

 これならば白猫状態の久遠でも、余裕で彼らに勝てそうである。

 ホッとしたと同時に、不安になる。

 もうすぐ濁名が来るというのに、今まで何をしていたのだ、この霊獣達は。

 ちゃんと戦えるのか?

 この神社では、霊獣の鍛錬や稽古がまるで出来ていないのかも知れない。

 しかも狛犬リョクは明らかに、少女に抱かれた久遠を羨ましがっている。

 この子は私のものだ。

 誰にも渡すわけにはいかない。

 久遠の独占欲が暴走する。

 ちょうどその時、誰かが社務所の方角から歩いて来た。

 美しい人間の女性に化けた、鳳凰である。

「どうしたのです、弥生。その子猫は…………」

「梅ちゃん!」

 梅ちゃんと呼ばれた女性は、艶やかな黒髪を後ろに束ね、鳳凰の紋が描かれた白い杖を手にしていた。

 浅黄色の浴衣に白いスモック姿だが、明らかに彼女は若作りしている。

 どちらかといえば、老齢に近いだろう。

 何百歳くらいなのだろう?

 鳳凰だからな。

 年齢を操るのはお手の物のはず。
 
 当の梅と目が合った久遠は一瞬、心臓が縮み上がりそうになった。

 まるでこちらの考えを読まれたかのように、ギロリと睨まれたからである。

『あなた様は?』

『久遠だ』

『どうして神が白猫姿に?』

 彼女は鋭い思念を、ビシバシと久遠に伝えてきている。

 先ほどの年齢不詳疑惑が、初対面の印象を悪くしてしまったのだろうか。

『濁名を止めに来た。なりたくて白猫になったわけではない』

 不本意だが久遠は答えた。

『そのうちに戻る』

 梅は誰にも気づかれぬように、頷いた。

 弥生は地面の上にそっと久遠を下ろしながら、声を震わせた。

『あなたに、みんなに、会えてとても嬉しいわ!』

 全身で、言ってくれている。

 久遠も同じように思う。

 彼女に会えて嬉しい。

 この世界に降りられて、とても嬉しい。

 全身で、全力で、そう伝えたい。

 出会えたことへの感謝。

 はじめての気持ち。

 彼女を、彼女を取り巻くすべての者を、全力で守りたい。


 その時。



 ────ゴゴゴゴゴゴッ!!!



 梅が叫んだ。


「本殿の結界が解かれました!……濁名かも知れません!」


 濁名が現れた。


 どうやって戦う?


 この、白猫の姿で。





『ようく見ておれ。久遠よ』




 クスコの声が、何故か弥生の喉から漏れた。
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