桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

桃色の髪の子供

 結婚式から2年の月日が経過した。

 天真爛漫で明るい弥生と生真面目で慎重な久遠の間に、待望の子が産声をあげた。

 桃色の髪と、透き通るほどの白い肌を持った、美しい男の子である。

 高天原、そして天の原の神々はこの吉報を受け、祝福ムードに浮かれ騒いだ。

 だがそれも、しばらくの間だけ。

 ピンクと薄緑色の粒子状の光に守られて生まれた大地は、やがて神々の間で大きな衝撃を与える存在となる。

  一向に、ドラゴンの姿に変身しようとしなかったのだ。

 白龍だろ?

 いや、人間なんじゃないか?

 ハーフだそうだ。

 神々の噂は、徐々に不穏な方へと向かってゆく…………

 龍に変身しないのだから、白龍の子かどうかも疑わしいでは無いか。


 だが。そんな噂など、久遠と弥生は意にも介さなかった。

 変身したければ、すれば良い。

 したくなければ、しなければ良い。

 夫婦は万事、そんな調子だった。


「おめでとう、久遠。祝福に来たよ」


 お祝いを持って龍宮城まで駆けつけてくれた爽に、久遠は驚きを隠せなかった。

「お忙しかったのでは?」

「鳳凰の加護をあなたの子に与える方が、大事だ」

「それは、ありがとうございます」

 爽は大地に杖を向け、術を放った。

天螺(テンラ)

 杖から放たれた力は規則正しい螺旋を描き、大地を紫色の光で包み込む。

 天螺(テンラ)は時の神だけが持つ、特別な力である。

 術を使いこなせれば対象物を、これでもかというくらいにグルグル巻きにして、動けなくしてくれるそうだ。

「この術、使いこなせるようになったら最高だよ。相手の身動きが取れないようにね、こう…………ピッタリ封じ込める事が出来るんだ」

 旋回した螺旋の文様がどんどん巨大化し、鋭利な刃物に変化して、相手をバラバラに切り裂く事も出来るらしい。

「あ。ははは…………これはこれは、ありがとうございます」

 願わくば大地が、それほど危険な戦いに巻き込まれることがありませんように。

 久遠は心からそう願った。

 白龍をはじめとする神々は、毎日のように祝福に訪れては、大地に加護を与えてくれている。

「名前は決まった?」

「『大地』です」

「大地か……。いい名だね」

「妻と一緒に決めました。この子の香りにはじめて触れた時、彼女が生まれ育った世界の、温かな大地を思い出したので」

 ややつりあがった深緑色の二重瞼と、フワフワした桃色の髪が印象的な男の子だ。

「可愛いね。今の最強神が深名孤だったならきっと、大地を抱きたかっただろうに」

 生憎。現時点で高天原にいるのは、反転した深名斗の方だった。

「あー」

 大地が何かを喋っている。

 爽は、柔らかな微笑みを浮かべた。

「雨上がりの水を吸った後の土みたいな香しさや、慈愛に満ちた大らかさを感じる。この子はきっと人間世界における『大地』の、生まれ変わりなのかも知れないね」

 白い寝間着を身に着た大地と目が合った瞬間、久遠も爽の言葉に頷いた。

「はい」

 この子の名には、『大地』が一番ピタリとくる。

 新たな命を見つめ、触れて感じるだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるとは。

 ふにふにと柔らかい手足を動かしている姿などは、奇跡そのものに見える。

 小さくて可愛らしい様子が目に映るだけで、想いが、涙が、溢れてきそうになる。

 これほど大切な存在と出会えるとは、久遠は夢にも思っていなかった。

 何故、自分の感情がこんなにも、大地によって揺さぶられ続けるのだろうか。

 久遠にはわからない。

 しっかりしなくては、と強く思う。

「私はこの子と弥生を生涯、守り抜こうと思っています」

 久遠は息子の体を、両手で包み込むように優しく抱きしめた。

「うん。応援している。それで…………どう? 龍宮城の状況は」

 久遠は席を外した弥生が戻って来ないのを確認してから、こう答えた。

「相変わらずです。今は祝福を受けているため来客も多いせいか、不法侵入者が後を絶ちません。そのたびに高度な術式を作り上げて、対抗してはいるのですが」

「今は深名斗が桃螺にいるからね、気を付けて」

「ええ」

 最強神である深名孤と深名斗は、今も目まぐるしく反転を繰り返している。

 そのたびに世界情勢が不安定になり、コロコロと変化している。

 幸いなことに黒龍側の神々は、道の神クナドなどの例外を除いて『龍の目』を上手く操れない。

 濁った眼では、真実を直視する事が出来ないのも理由の一つ。

 だから誰かを無理矢理侵入させて探るしか、龍宮城の内情を知る手立てが無い。

 大地の誕生は天界中に、一番大きな話題の種を振りまいていた。

 主に、悪い方へ。

「白蛇の抜け殻を使って、大地の影武者でも作ったら?」

「…………」

「あ。狐! たくさん大地に化けてもらってさ、大きくなるまでしばらくの間」

「…………」

 爽は割と本気で言っているのだが、久遠にはいつもの冗談にしか聞こえない。

 白龍と人間のハーフなど、神々にとっては脅威でしかないらしい。

 誰もが見たことも、聞いたことも無いからだ。

 大地の誕生によって多くの神々が、希望よりは大きな恐怖を感じている。

 人間が白龍の子供を宿して生むなど、前例が無いのだから無理もない話だ。

 新たな生き物が誕生してしまったのである。

 表立って祝福を与えはするが、成長すればどう転ぶかわからない子供なのだから。

 神々の間では会った事の無い弥生と生まれた子の悪口を言う者が、後を絶たない。

 久遠には、大地が狙われ、蔑まれる意味が全く理解出来ない。

 罪を犯したならともかく、大地はまだほんの赤子なのだ。

「彼らはただただ恐れているんだ。大地が持つ、得体の知れない力をね」

 黒龍側の神々は自分達にとって脅威になりそうな芽を、早いうちに摘み取りたい。

「『龍宮城』の中にいるだけなら、まだ安心なのかも知れません」

 龍宮城は天界の中で、いまや最も名の通った教育機関である。

 鳳凰・梅が初代校長を務めあげ、今は白龍・風雅が二代目の校長を務めている。

 余談だが、龍宮城の歴史において白龍・風雅は最も長く校長を務めあげた。

 天の原や高天原をはじめ、龍宮城にはあらゆる世界から優秀な子供達が数多く集められており、大地は彼らと共に質の高い教育を安心して受ける事が約束されている。

 城は堅く守られており、誰にも手出しが出来ない状態だ。

 中にいれば、出自による差別やいじめが行われる事は無い。

 大地が成長して、あちこち行けるようになるまでは、まず問題ないだろう。

 だからこそ黒龍側の神々は焦り、苛立ち、こう考えた。

 勝手に龍宮城の内部で、巨大勢力を秘密裏に作り上げられてたまるか、と。

 神々の勢力図が崩れてしまう。

 龍宮城の脅威に対抗するため、闇の神・侵偃(シンエン)がついに動き始めた。

 侵偃は自分の配下である岩の神フツヌシに命じ、高天原にある『黒奇岩城(くろきがんじょう)』を学校に建て替えさせ、運営を始めたのである。

 黒龍側の神々の中に誕生した頭脳明晰な子供たちを集め、教育という名のもとに、彼らに悪しき洗脳を施し始めた。

 美男子に甘く、素直で愚かな伽蛇とは違い、その父は実に狡猾で容赦無い男だ。

 黒奇岩城で構築された組織的な支配力は徹底しており、神々を恐怖に陥れた。

 反逆の芽を潰すためなら殺しでも何でもやってのけるし、その思想を子供たちに植え付ける事にも成功している。

 皮肉なことに龍宮城の誕生によって、黒龍側の神々も成長せざるを得なくなったというわけである。

 黒奇岩城(くろきがんじょう)内部で一番活発に行われていたのは、久遠が作り上げた『龍宮城派閥』への干渉だ。

 黒龍側の久遠達に対する嫌がらせは、巧妙にエスカレートし始めた。




 それからさらに1年が経過し、大地は1歳になった。

 ようやく桃色のドラゴンに変身する姿がたびたび、見られるようになった。

 そんな色のドラゴンは今までいなかったため、大地はまた神々の話題の中心を占めることになる。

 弥生と彼女の両親も、変わらず霊獣王とその一族として、龍宮城の中で神々に人間世界について教える先生をしながら、何不自由なく生活していた。

 知らず知らずのうちに久遠は彼ら人間から、今までの自分に足りなかった大切な気持ちを、数多く学ばせてもらっている。

 主に、感謝の気持ち。

 相手の良い所を、心から尊ぶ気持ち。

 何があっても挫けずに、前向きに粘り強く、生きて行こうとする姿勢などを。

 その想い一つあれば、健やかな心と体を自らの力で成長させられる子供を育める。

 真っ直ぐな瞳を逸らさず、自身の目標へと向けられる、唯一無二の尊い存在を。

「あー」

 大地を見ていると毎日が嬉しくて、楽しい驚きの連続である。

 彼が発する仕草や声の全てが、愛おしい。

 よちよち歩きを始めた我が子は、ますます利発で愛らしい。

 久遠の親バカは、徐々にエスカレートしていくのだった。

「大地。お前を見ていると少し、怖くなる。……いつの日かお前の心がひどく、傷ついてしまうような気がして」

 心配性の久遠は、その時が来たらどうしたら良いだろうかと、つい考えてしまう。

 そして。

 恐れていた出来事が起こった。

 部屋で眠っていた大地が何者かによって、攫われそうになったのである。


「誰だ!」


 開け放たれた窓から、生暖かい風が入り込んでいる。

 黒装束を身に着けた何者かが、部屋の中心に立っていた。

 腕の中には大地がいる。

 久遠は天権(メグレズ)を唱えて大地を呼び寄せ、しっかりと抱きしめた。

「…………大地!」

 どうやら大地は無事らしい。

 呪いなどは、かけられていない様子だ。


「────おや」


 低い男の声がした。


 見つかってしまいましたか。


 ────仕方ありません。


 では、また。


 黒装束の人攫いは、一瞬で姿を消した。

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