桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

天津麻羅(あまつまら)

 失敗を認めたくない。

 フツヌシは、この現実から目を背けたくなった。

 クスコの首に刺さりっぱなしの矢から、脱出できなかったのが原因なのか?!

 認めたく無い。

 諦めたく無い!

 まだ方法はあるはずだ!

 どんな手を使ってでもクスコを殺さねば!

 棘のまま攻撃すべきでは無かったのか?

 そもそも棘などでは所詮、奴に影響を与える事が出来なかったというわけか!

 そうだ。あの4体を元の姿に戻し、体勢を立て直してもう一度攻撃させよう。

 今よりも少しは、まともな攻撃が出来るに違いない。

 矢が刺さったことでクスコは物理的には、かなり弱っているようだからな!

「おい、お前ら、もう…………棘じゃなくて…………普通の姿に、戻れ」

「えー、わかった。よし、もーどれー」

 ウタカタは棘から泡に変化した。

 ように見えたが。

 カラフルなトゲトゲのまま、ウタカタは変わらない。

 そういえば最近、老眼がひどくなってきたな。

 そろそろ、目の中に仕込んだコンタクトレンズを変えなくては。

 フツヌシは近々、目の医者にかかろうと心に決めた。

「……普段の……姿に戻れたのか? ……自分達の必殺技で攻撃を再開しろ」

「戻れないねぇー」
「何っ?」

 目がチカチカして何も見えず、フツヌシには状況がよくわからない。

「うん。あれ…………」
「どういうこと?」
「戻れないですわね」

「戻れないだと…………?」

「棘になると、心の温度が戻るまでしばらく、変化出来なくなっちゃうのかな?」

 クナドがさもありそうな事を言う。

「僕達もほら、棘状態のまま攻撃したことで少し、心が熱くなってたからね」


 マジかよ…………


 こんの役立たず共が………


 再攻撃させるという僅かな希望も、絶たれてしまったか────


 フツヌシは、頭の中がぼうっとなり、どんどん意識を手放して朦朧としてくる。


 憎悪、戸惑い、焦り、ショック、恐怖…………


 フツヌシは今もなお、矢の表面に張り付いたまま、離れられずにいた。


 熱い、熱い、熱い!


 体中が熱くてもう死にそうだ!


 全て綯い交ぜになり、煮えたぎった心が燃え尽きて、カラカラに干上がってゆく。


 グツグツ…………

 グツグツ…………

 シュッ…………

 ボウッ!!

 妙な音がした後、干からびた灰が焦げた臭いが充満し、あたり一帯に漂って来る。

 何だか知らんが、俺様ピンチ!

 このままでは、心身共に灰になる!

 心をキンキンに冷やして攻撃を再開するとか、もはやそういう状況ではない!

 死ねば元も子もない!

 早く早く早く逃げなければ!!!

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死んでしまう!

 目の前が急にチカチカして、フツヌシは満身創痍に陥った。


 ウィアンは今、どうしているだろうか…………

 ……あいつ、気でも失って、空から落ちたのか…………?

 岩破邪(ガハジャ)に洗脳されつつ黒鳥の背から、クスコに向け矢を放った弟子。

 気づいたら、どこかへといなくなっている。

 エセナが召喚した黒鳥の姿も既に、空の上から消えていた。


 フツヌシは熱さのあまり、不詳の弟子を思い浮かべながら、意識を失った。












 気づくとフツヌシは、どこか生暖かい空間を、プカプカと浮いている。

 俺様は消滅したのか?

 なぜこんな目に?

 棘にならなければ良かった。

 あんなしょーも無い力を使ったせいで、こんな目に遭ったではないか。


 …………。


 …………。


 あれ。
 
 フワフワした柔らかい何かが、全身を包んでいる。

 その柔らかい何かからは、クナドの扉工房よりも甘ったるい匂いが漂って来る。

 甘いもの全般が嫌いなフツヌシは、「オエッ」となりながら顔をしかめた。

 気色悪い香りだ。

 フツヌシはどんなに弱っても、心の中で何かに悪態をつくことだけは忘れない。

 どうやら、この温かなフワフワの中で彼はずっと眠っていたようである。

「目が覚めましたか、フツヌシ様」

 若い女性の声が聞こえる。

 聞こえるだけで、目は見えない。

 だから状況がわからない。

「…………」

「ああ、それですね。綿あめでできたお布団なんです。とてもお高いんですよ」

 綿あめ?
 
 どうりベトベトと体に纏わりつくはずだ。

 それに布団の素材や値段など、俺は聞いてない。

「…………」

 声が出ない。

 目が見えない。

 綿あめ布団の、甘ったるい匂いしかわからない。

 フツヌシは気持ちが悪くなった。

 おかげで徐々に、頭がはっきりしてくる。

「声が聞こえますか? あなた様は救急で、こちらへ運ばれてきたのですよ」

 フツヌシはそれを聞いて驚く。

「私は看護師のマイアです」

「…………」

 看護師?

 どういう事だ?

 彼女に色々聞きたいのだが、一向に声が出ない。

 叫び過ぎて、声が枯れてしまったのだろうか。

 看護師がどういう姿をして、こちらに声をかけているのかもわからない。

「…………?」

 ここはどこだ? 病院なのか。

 だとすると、綿あめ布団があり、診察用の水晶が乗る円卓があり、看護師がいる。

 おおかた、そんな雰囲気か。

 尋ねてもいないのに表情だけで通じたらしく、マイアが疑問に答えてくれた。

「ここは天津麻羅(あまつまら)先生の出張診療所です」

 うげっ、天津麻羅(あまつまら)の?

「麻羅先生をご存知ですか? たまたまこの城が救急患者を受け入れており、人間世界の上空へ着いたばかりです。フツヌシ様はラッキーでしたね」

「…………!」

 天津麻羅の居城兼、出張診療所については、フツヌシも良く知っている。

 建物のまま空を飛び、世界を駆け抜けるのだ。

 複数の拠点を城のまま巡り、大移動しながら、法則の無い旅をしている。

 空中庭園があり、ギャラリーがあり、工房がある、薄紫色の煉瓦でできた城。

 フツヌシも遠い過去に、何度かこの建物の中には、勝手に侵入したことがある。

 天津麻羅の作品をこっそり盗み出して、自分の手柄にするためだ。

 絵画や宝石、技術など。全世界に認められている作品群が、数多くある。

 上手く売りさばけば、良質な世界を一つ手に入れられるくらいの額になるだろう。

 しかし何度試みてもセキュリティーが完璧だったため、盗みは成功しなかったが。

 天津麻羅は医師としてだけでは無く、鍛冶職人や設計士としても名が通っているため、自身が城から離れることなく仕事ができる方法を選択した。

「少しお待ちくださいね。さきほど到着された急患の処置が終わったら、先生がこちらの部屋にお見えになりますので…………」

 バタン。

 扉が閉まる音がする。

 マイアが部屋を出て行った音らしい。

 フツヌシは呆然とする。

 今は何時(いつ)なんだ?

 クスコはどうしている?

 他の4体は?

 …………。

 俺様はどうして、ここへ来ちまったんだ?

 この診療所は今現在、岩時の上空に滞在している、という事なのだろうか。

 誰かの声が、壁と思われる硬い何かの、向こう側から聞こえて来る。

「目が覚めましたか? 随分、ひどい目に遭われましたね」

「痛いのじゃ…………」

 聞こえてくると言うより、はっきりと聞き取れるので、駄々洩れともいう。

 フツヌシは天枢(ドゥーベ)を唱えたが、無駄だった。

 何も見えない。

 使えるのは嗅覚と聴覚だけだ。

「首の後ろに黒くて太い何かが、深々と刺さってますね」

 これは天津麻羅の声。

 隣室にいる老齢の女性は、麻羅の診察を受けているのだろう。

 …………首の後ろに、何か刺さっている?

「矢のようにも見えますが」

 矢?

 岩時の破魔矢の事か?

「痛いのじゃ…………ワシャ死んじまうのかえ?」

 しわがれた老婆みたいな声が、弱々しく麻羅に問いかける。

「あなた様は、これくらいでは死にませんよ。どうか安心してくださいね」

「…………嘘じゃ」

「私は嘘をつきません。しばらく入院していただけば治ります」

「ワシャ死ぬのじゃ。もうじき死ぬのじゃ。きっと死ぬのじゃ。かなりの確率で死ぬのじゃ。死んじゃうかーもーしーれーぬー。のじゃ。効能の高い温泉が無いと、もうダメじゃ。とびっきりのイケメンがいないと、もうダメじゃー…………」

 ……ふざけてんのか、このババア。

 天津麻羅も大変だな。

 これほどのはた迷惑なアホ女を、診察せねばならぬとは。

 老婆とはいえ声に張りがあるし、麻羅をからかっているだけのようにも聞こえる。

 とても、すぐに死んじゃうような老婆とは思えない。

「ははっ! いつもの歌を歌えるくらいですから、全く問題ありませんね」

「この痛みごと、おぬし、引っこ抜いてはくれんかのう…………」

 天津麻羅は申し訳なさそうに「いいえ」と言った。

「今のあなた様は実体では無いので、私には引っこ抜いて差し上げられないんです。首に刺さった何かは、本体に戻られた時、誰かに抜いてもらって下さいね」

「人間世界を、都合よく飛んでいる者など、おるかのう…………」

「岩時祭りが始まりましたからね。すぐに会えるかも知れませんよ?」

「おお! そうじゃった! ワシャ岩時祭りを見に行かねばならぬのじゃ」

「そうです。祭りを見に行くことを目標に、早く良くなりましょうね。温泉を処方しておきますから。お大事に」

 温泉を処方するんかい!

 盗み聞きしているフツヌシは、脳内で天津麻羅に総ツッコミを入れた。

「それだけじゃムリじゃ。イケメンも処方してくれないと絶対にムリじゃ。ワシャもう死んじゃうかーもーしーれーぬー……」

 天津麻羅は、大きなため息をついた。

「ええと…………イケメンは…………どのくらい処方しときますか?」

 イケメンも処方するんかい!

 ここは何の病院なんだ?

 重症老婆専門の、ホストクラブか?

「まあ、10人くらいが良いかのう…………」

「10人? いえいえ、とんでもない! イケメンは1人にしておきましょう。その方が深名孤(ミナコ)様のお体にも良いし、誰にも迷惑がかかりません」

 深名孤(ミナコ)様?

 今、ミナコさま、と言ったのか?

 『ミナ』がつく名など、フツヌシは高天原の桃螺(トウラ)にいる一体しか知らない。

 まさか…………

 この老婆、最強神・深名(ミナ)様の、縁者ではあるまいな?

 フツヌシが考えあぐねる中、天津麻羅は必死に深名孤(ミナコ)を説得していた。

「じっくり1人と真剣に向き合うのもいいものですよ? イケメンは服用を誤ると、死に至る可能性がありますからね」

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