桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

見える!

「フツヌシさん、お食事ですよ」

 しばらくフツヌシは、ウトウトしていたようだ。

 看護師(マイア)の気配を近くに感じる。

 何やらいい匂いがする。

 ホカホカと温かい空気が伝わって来る。

 俺様の食事を運んで来たらしい。

 匂いに刺激され、グウ、と腹が鳴る。

 んん?

 また複数の足音がするぞ?

「フツヌシさん。食事お手伝いしますね」

 アドの声。

「フツヌシさん。口を開けて下さい。記録します」

 アジの声。

 食事の様子まで記録するんかい!

「はい、あーん」

「……」

 口を開けたくない。

 研修医の男二人がどうして、俺様の食事を手伝う!

 手伝いは看護師の方がいい!

 さっさとお前らは持ち場に戻れ!

「あれ。おかしいですね」

 マイアが口に運ぶと、フツヌシは口を開ける。

「あっ! 差別だ!」

「男が口に運ぶものは、食べられないんでしょうか。このゴツゴツルツルさん……いえ、フツヌシさんは!」

 えーい、うるさいな。

 そりゃお前らより女の方がいい。

 それにだ。

 食事と見せかけて、何を口に入れられるか、わかったものでは無い!

「…………」

 だがフツヌシは自動的に、大人しく、口を開けた。

 自分の意思に反して。

 もう体がいう事を聞かないらしい。

「はい、あーん」

 青年アドの声。

 マイアの声では無い。

 あーん、ってお前。

 悲し過ぎる…………。

 彼が口に入れてくれた食事を、フツヌシは仕方なく咀嚼する。

 もぐもぐ。

 ごっくん。

 操り人形にでもなった気分だ。

 さっきの『揺光(アルカイド)』とやらのせいか?

「味はわかりますか? フツヌシさん」

 フツヌシは頷く。

 自動的に。

「美味しいですか? この診療所の食事、評判いいらしですよ!」

 またもや機械的に頷く。

 自動的に。

「そうですか。それは良かったです!」

 フツヌシは口をもぐもぐさせながら、何故か泣きそうになった。
 
 暴れようにも、体が意に反した動きばかりする。

 今に見ていろ。

 このままでは済まさないぞ。









 さすがに何日か経過すると、少しずつではあるが入院生活に慣れてくる。

 出された食事もどうにか、自力で食べられるようになった。

 食べ慣れると、充実した内容の病院食は実に美味い。

 食後のデザートなど、一流レストラン顔負けと言えるくらいに素晴らしい。

 天津麻羅の病院は、食事の面でもケアの面でも、最高の水準と言って良かった。

 それでもフツヌシは、早くこの診療所から脱走したくてたまらなかった。

 そんなある日。

 天津麻羅が診察のため、フツヌシの部屋を訪れた。

「一緒に散歩しませんか」

 麻羅はフツヌシを、空中庭園へと連れ出した。

 イヤだ。

 どうしてお前なんかと散歩しなくてはならん!

 という気持ちだったが、フツヌシは大人しく頷く。

 体が言う事を聞かない。

 相変わらず目は見えないが、庭園に咲く花の香りを楽しむことは出来る。

 今のフツヌシにとっては、甘い香りなど煩わしいだけだったのだが。

 手を動かせるようになったので、こちらから筆談で麻羅に話しかける。

『早くここから出たい』

「そうなんですね。しかしフツヌシさんは依然として、大変危険な状況です。体が動くようになったのは良い傾向ですが。せめて目の手術が終わるまでは、待っていてくださいね」

『目の手術はいつだ』

「うーん、そろそろいいでしょう。ご希望ならば、今すぐにでもやりましょうか」

『見える様になるのか! だったら頼む!』

「成功すれば目は見えます。ですが、以前とは同じように見えないかも知れません」

 …………?

「フツヌシさんの目は『光る魂』によって、生まれ変わります」

 光る魂?

「今までとは違う『魂』を持った目になります。違う視点、といった感覚ですね」

 …………よくわからない。

 まあ、目が治るならいいだろう。

 失敗したら、ただじゃおかない。

 他にも聞きたい事が山ほどある。

『本当に、声はもう出せないのか』
 
「ええ。残念なことに…………」

『手術をしてもか』

「手術で、ですか? ひとつだけ方法があるといえば、ありますが……」

『方法があるのなら、やってくれ。声が出ないと不便でかなわん』

「『光る魂』を声帯の手術に使えば、声が出せるようにはなります。ただし、フツヌシさんが本当に言いたい言葉を、今までみたいに使えるようになるわけではありませんので、あまりお勧めはしません」

 ますます、よくわからない。

『『光る魂』?』

「簡単に言えば、一番上等といわれる人間の魂です。ですが本物ではありません。今は『人間愛護法』によって、本物は厳しく管理されておりますので。この診療所で使用している『光る魂』は、一流の技術者が本物そっくりに作り上げた、治療用の魂なのです」

 なるほど。

 この診療所では偽の『光る魂』まで研究され、作られているのか。

『声が出ないのは不便だ。その方法でいいから、俺様の声が出る様にしろ』

「いいんですか? 意に反することばかり、喋ることになりますよ」

『別に構わない』

「苦情を言われても、決して元に戻せませんよ?」

『苦情は断じて言わん! いいから早くしろ!』

「わかりました。では、声の方も手術しておきます」

 希望が湧いた。

 天津麻羅は懐から薄桃色に光る珠を取り出して、厳かにこう念じた。

 珠に魂を宿すかのように。


揺光(アルカイド)!」


 また揺光(アルカイド)か。


 途端、フツヌシの目は蘇り、あたりの風景が眼前に広がった。


 光と共に。


「…………!」


 ────見える。


 視覚が急に、甦った。


 ただ「見える」だけ。


 それだけで、これほど感動するとは思わなかった。


 目から涙が溢れ出る。


 泣いたのは、何千年ぶりだろう。


 ああ、美しいな。


 カラフルな花が数えきれないほど咲いた、見事な庭園が広がっている。


 いい空気だ。


 久しぶりに快適な気持ちになり、フツヌシは大きく息を吸い込んだ。

 フツヌシの体は再び熱くなり、嬉しさのあまり、胸がいっぱいになった。

 この、果てが見えない景色は、とても病院の敷地内だとは思えない。

 もうろく患者が迷子になったら、一体どうするつもりなんだろう…………

「目が見えるようになりましたか? フツヌシ様」
 
 彫像に似た天津麻羅の美しい顔が、フツヌシの目で確認できた。

「良かったですね」

 見た途端、思い出す。

 この男の、得体の知れない笑顔から…………遠い昔に与えられた印象まで。

 新しいものに敏感で、流行りを取り入れるのが大好きで、好奇心とエネルギーの塊みたいな性格で、誰からも尊敬され続けている神。

 そして意外と、隙が無い。

 そんなところも癪に障る。

 フツヌシは、麻羅をぎろりと睨みつけた。

 ────全然良くねぇんだよ!

 本当はお前の顔なんて、死ぬまで見たく無かったんだ!

 しかし、フツヌシの口から出た言葉は、彼の意思に反していた。

「ありがとう」

 麻羅はにっこりとほほ笑んだ。

「どういたしまして。このままお散歩したらどうですか?」

 何なんだ、さっきの。

 俺に意見するな!

 引っ込めこのキザ男!

「ああ。感謝する!」

 …………?

 フツヌシは自分の言葉に違和感を感じた。

 まあ…………いいか。

 深く考えるのはよそう。

 気分がいいからな。

 綿あめ布団のままフワフワと、東から中央に向けて空中を飛び、庭園散歩する。

 布団にも魂が宿っているのか、フツヌシをフワフワと連れて行ってくれている。

 天津麻羅の城は、巨大な庭園で囲まれている。

 中央に最新式ティールームが。

 西側にはホテルが。

 南側にはギャラリーが。

 南東には工房が。

 そしてフツヌシがいる診療所は、東側にあった。

 天津麻羅は何かあった時のために、しばらくフツヌシの付き添いをしている。

 誰もが今なら簡単に、弱りきっている俺様を殺害出来る事だろうに!

 麻羅は鼻歌を歌ってやがる。

「フンフンフ~ン♪」

 能天気な声が鼻につく。

 この男の近くに、毒虫でも湧かせてやろうか。

 つんざくような悲鳴くらいは、聞けるかも知れない。

 どんな状況であれフツヌシは、意地悪な思考を手放したりしなかった。

 フワフワ飛んでいると、すぐ近くに老婆の声をした、赤毛の美女が現れた。

深名孤(ミナコ)様。だいぶ痛みは無くなりましたか?」

 麻羅が彼女に尋ねている。

 コイツが深名孤(ミナコ)か!

 思ったよりもずっと若いな。

 変化の術を使っているのか?

「もう、ほぼ全快じゃわい。おぬしが処方してくれた温泉のおかげじゃ」

「イケメンの方はいかがでしたか?」

「まんまと騙されたわい。処方されたイケメンがまさか、おぬしだったとはな」

「ははは! とびっきりのイケメン主治医に毎日会えて、良かったですね」

「ほほほほ、そうじゃな」

 けっ!

 盗み聞きしていたフツヌシは、心の中で嘲った。

 自分で自分をイケメン特効薬だとでも思っていたのか、天津麻羅の奴!

 とんだ自意識過剰だな。おい。

 それにしても回復の早い老婆だ。

 ミナコ、とか言ったか。

 首の後ろに、何かを刺されたとか言ってたじゃねぇか。

「もうそろそろ、岩時祭りを見に行けそうですね。では退院手続きをして下さい。またいつでもいらして下さいね、どうかお大事に!」

「おお。助かった。天津麻羅よ、おぬしも達者での」

「はい」

 入院してから一体、何日が経った?

 もう岩時祭りなんて、とっくに終わっちまったんじゃねぇのか?

 祭りは三日間だけだからな。

「この診療所にいる限り、現実での時間は経過していないのですよ」

 天津麻羅は、俺の考えを読んだような事を言い出した。

 …………待て。

「時間が経過しない?」

 てことは。

 現実は、診療所に来る直前──つまり、クスコ殺しに失敗した時のままって事か?

「そうなりますね」

 ならばまだ、チャンスが残っているってわけか?

「どうでしょう。無理しない方がいいと思いますよ?」

 何言ってやがる!

 目も見えて、声も出せるわけから、俺様はもう元通りのはずだ!

 また攻撃を再開すればいいだけの話ではないか!

「武器はどうします? 私が作った岩時の破魔矢では殺せなかったんでしょう?」

 …………ん?

 今、天津麻羅が、俺の思考と会話したような気が。

 …………まさかな?

 思考が全て読まれている?!

 フツヌシは恐る恐る、横にいる天津麻羅の顔を見た。

 麻羅はニコリとも笑わず、こちらを見ている。

深名孤(ミナコ)様は最強神ですよ。無謀な事はやめた方がいい。フツヌシさん」

 天津麻羅の声が、恐ろしく冷たい。

 まるで笑いを含んでいない。

 フツヌシは背筋がゾッとした。


「…………申し訳ない」


 しかも、自分の口から出る言葉が妙だ。


 フツヌシは、この場を乗り切る方法が思いつかなかった。
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