桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
侵偃(シンエン)の黒玉衡(クスアリオト)
天津麻羅の病院から、現実世界へ帰る直前。
フツヌシの頭の中にふと、子供の頃の思い出が甦った。
広くて美しい、花畑での出来事だ。
きっと病院で、たくさんの花を目にしたからだろう。
「『魂の花』って知ってる?」
6才の伽蛇が学校帰りに、幼馴染のフツヌシに笑いかけた。
あの頃の彼女はまだ純粋そのもので、邪念などとは縁遠かった。
いつもビクビクと父親を怖がっているだけの、可愛らしい美少女だったのである。
のちに彼女が闇の神の最高峰の座におさまり、父を超えて最強神・深名の側近にまで成り上がるとは、誰が予想できたであろう。
フツヌシは当時、とても彼女と仲良くしており、他愛ない会話を楽しんでいた。
「タマシイの、鼻?」
「鼻じゃなくて花。むかーしむかしは、ミナ様のしっぽに生えてたんだって! お父様がお母様に言ってたのを、こっそり聞いちゃったのよ。ああ、見てみたいなぁ」
伽蛇はワクワクした様子で、赤い花を摘みながら最後は独り言のように呟いた。
彼女のお父様とは、闇の神・侵偃の事だ。
フツヌシは花を摘みながら、侵偃の顔を思い出し、とても恐ろしくなった。
侵偃と目が合うだけで生きた心地がしなくなり、いつも吐き気がしてしまう。
ミナ様の事なら、8才だったフツヌシでも知っている。
お師匠であるウミダマ様が、過去に教えてくれていた。
最強の神様。
だとしたらきっと、立派なお方なのだろうな。
いつかミナ様にお会いしてみたい、とフツヌシは常日頃から思っていた。
ウミダマ様は侵偃に何度も裏切られた事により、自力で海から出られなくなった。
親が行方不明のフツヌシは、そのせいで優しい師匠に会う事が出来ていない。
自分を守ってくれる大人がいないのは、全て闇の神・侵偃の仕業だったというのに、小さかったフツヌシはその事に、まるで気づいていなかった。
「いいのか? そんな大事な話を喋ってしまって。後で知られたら……」
「伽蛇!」
突然、世にも恐ろしい声が、その場に響き渡った。
「お父様!」
フツヌシと伽蛇の前に現れたのは、今噂したばかりの伽蛇の父、侵偃だった。
「聞こえたぞ。深名様、と」
「は、はい!」
「子供が軽々しく、口にして良いお方の名ではないぞ! 一体何を話していた! お前は噂話で、深名様を愚弄したのか?!」
「違います、お父様! 深名様のしっぽに咲いているお花が見たいって話を、フツヌシにしていただけです!」
――――!
侵偃は大きく目を見開き、息を飲んだ。
「どこでそれを……」
「お父様とお母様が昨日していた話を、つい聞いちゃったの」
「何だと?! 盗み聞きするとは、恥を知れ!!」
侵偃は娘に向けて、片手を広げた。
『黒玉衡』
侵偃の手の奥から、黒い玉が勢いよく飛び出してくる。
無数の鋭い『憎しみの棘』がついた玉が、醜くなった伽蛇を容赦なく襲う。
「ギャーッ!!!」
黒玉衡の術が伽蛇に命中すると、みるみるうちに彼女は小さくなっていく。
彼女は腐ったような臭いを放つ百足の姿に変化し、地面の上でのたうち回った。
その姿を見るとフツヌシはムカムカし、伽蛇を殺してしまいたい衝動が起こった。
これがあの、綺麗で可愛らしい伽蛇なのだとは、到底信じがたい。
黒玉衡という術式について、フツヌシは師であるウミダマから聞いたことがある。
内なる力を破壊し、正しい心を奪って殺してしまう、侮蔑の力だ、と。
ゴウッ!
「ギャッ!!」
酷い。
「家に帰ったら医師を呼ばねば! 全くもって忌々しい!」
ゴウッ!
「ギャッ!! 痛い!!」
「お前の記憶を消すため、莫大な金を、医師に支払わねばならぬではないか!」
伽蛇は醜い姿で攻撃されるがまま、ギャアギャアと泣きわめいている。
「お願い! やめてぇ、お父様!!」
ゴウッ!
「しばらく隔離室に入れ! 反省しろ! 来い!」
「イヤ!! 隔離室!! 許して!! 助けてフツヌシ!! 助けて!!!」
ゴウッ!
助けられるわけが無い。
フツヌシはボーッと、伽蛇が父に連れ去られるのを、ただ見ているだけだった。
内心では思う。
可愛い実の娘に対して、この仕打ちはあまりに酷過ぎないか?
そもそも。
聞かれそうな場所で、重要な情報を漏らしていた侵偃の方に、非があるのでは?
本当の父親に会った事の無いフツヌシだったが、これが父なら世も末だと感じた。
『こんなの、ただの弱い者いじめだ! 伽蛇を元の姿に戻せ!』
フツヌシは侵偃に向かって、このように怒鳴りたかった。
だが、勇気も、声も出ない。
声を上げれば、自分がやられる。
伽蛇と同じか、それ以上の事を。
「フツヌシ、と言ったか。そうかそうか。お前も伽蛇から、話を聞いたのだな?」
――――ではお前も、一緒に来い。
フツヌシは、連れて行かれた。
闇の神の館にある、世にも恐ろしい、暗くて狭い、小さな隔離室へ。
驚いた事にその場所は、優しくそっと守られているかのような、静けさがあった。
焦げたような匂いがする。
湿気を帯びた空気と、人間の祭りから発する、得体の知れないエネルギー。
「あ! フッツー!」
ウタカタの声。
「やっと目が覚めたのね」
エセナの声。
――――ここはどこだ?
ドドーン!
ドドーン!!
大きな花火の音。
徐々に視界が、はっきりとしてきた。
ここは……夏の夜の、人間世界か。
空には大きな花火が咲き乱れ、キラキラ輝く星空が見える。
相変わらず美しく、妙に懐かしい。
やっと、この場所に帰って来られた。
フツヌシは棘の姿をしており、岩時の破魔矢の表面に張り付き、空を飛んでいる。
矢の先端は深々と、白龍神の首に、刺さっている状態だ。
クスコであり深名孤だ。
まだ忘れてはいない。
奴もまた、最強神である。
「いつまでも目が覚めないので本当に心配致しましたわ。フツヌシ様」
スズネの声。
彼女のすぐ横には、棘の姿をしたウタカタ、エセナ、クナドが心配そうにフツヌシを見つめていた。
「心配かけて済まなかったな」
スラスラと謝罪の言葉が出て来るフツヌシに、他の全員が目を丸くする。
「フツヌシ……おかしな病気にでもかかったの? 私達に謝罪するなんて、あなたらしく無いわ」
エセナよ、俺様もそう思う。
だが、こんな言葉、言いたくて口から飛び出て来るわけでは無い。
「でも意識が戻って本当に良かった! ほら見てよフツヌシ、あれ」
クナドが指さす方角を見て、フツヌシは仰天した。
桃色のドラゴンが大きな翼を羽ばたかせ、クスコと肩を並べながら飛んでいる。
巨大白龍クスコよりもはるかに小さいが、細くしなやかで、とても美しい。
フツヌシはこの、世にも珍しい桃色のドラゴンを、とても良く知っていた。
忘れようにも決して、忘れる事が出来ない。
白龍・久遠と人間の女との間に出来た、おぞましいハーフである。
生まれてはならぬ異形。
その名は、大地。
人間の姿もドラゴンの姿も、どちらも本物だという唯一無二の、化け物だ。
「フッツー。あの桃色ドラゴン、クスコに『矢を抜いてやるよ』って言ってるよ!」
矢を抜く?
あの小童が?
「もし、破魔矢を抜かれたら今度こそ、息の根を止められなくなりますわ」
「あの二体、神社の神楽殿の屋根の上に、降りようとしてるわ!」
「止めないと、クスコを殺せなくなるよ!」
大地と深名孤が、楽しそうに会話しながら人間世界に降りようとしている。
頭の中で何かがはじけ出す。
記憶が蘇ろうとしている。
思い出すのは絶対にダメだ!
クスコは殺せない。
それがわかっていても、奴を放っておくわけにはいかない。
生意気な!
フツヌシは気づくと、棘の姿のまま桃色のドラゴンに攻撃を仕掛けていた。
フツヌシ以外のウタカタ、スズネ、クナド、エセナは慌てて、フツヌシに続いて一目散に、棘の姿のまま桃色のドラゴンに襲い掛かった。
────刺してやる!!
バチバチッ!
バチバチッ!
……落ち着け、焦るな、そして怒るな。
フツヌシは自分に言い聞かせた。
今あれを思い出したら、怒りに身を包まれる。
怒りが湧き起これば、全てを忘れてしまう。
フツヌシは咄嗟に、懐に忍ばせた小さな紙の存在を確認した。
大丈夫だ、紙はあるし、何も忘れてはいない。
さっきまで天津麻羅の病院にいた出来事を、まだはっきりと思い出せる。
アレルギーを起こすため、俺様は『光る魂』を食べてはならない。
どのみち深名斗様は俺たち全員を殺そうとしているから、クスコを殺しても無駄。
だから最強神を元の一体に戻すため、魂の花を二つ採取して来なければならない。
桃色のドラゴンは咄嗟に、体全体を丸めた。
「あれ」
フツヌシ達は全員、桃色ドラゴンの体を通り抜けてしまった。
「全っ然刺さらないね! クスコと一緒だー」
いくらビュンビュンと襲いかかっても、無駄だった。
「あーあ、もう襲っても無意味だろうな」
「諦めた方が良いみたいですわ。抜かれてしまいそうですし」
「ねえ、いい匂いしない?」
「あ! 知ってる! これね、光る魂の匂いだよ? 食べたーい」
「お前ら少し黙れ!」
滑らかな鱗で覆われた桃色ドラゴンの体には、棘攻撃は無意味だった。
「一旦、矢の中に戻るぞ」
フツヌシの言葉に従い、4体は大人しく矢の中へ戻った。
ちらりと外を見ると、すっかり夜の闇に包まれている。
闇夜は、伽蛇を思い出す。
岩時神社の長くて広い参道の提灯に、一斉に灯がともる。
クスコは突然、嬉しそうに、大きな体でぐるりと宙返りをして見せた。
「ギェェッ!」
「わわわっ!」
「やめて!!」
「おえッ!!!」
「きゃーお!」
矢の中にいたフツヌシ達は全員、目が廻り、頭がクラクラしてきた。
ますます美味そうな、食べ物の香りが漂って来る。
「猛烈に、お腹が空きましたわね……」
「ねえ、これ光る魂の香りじゃない?」
「うんうん、この辺りに光る魂、たくさんあるみたいだ!」
「そうなの?」
「……」
これが光る魂の香り?
抗えない強さ。
なんとしても食いたい。
フツヌシは一瞬、我を忘れそうになった。
いやいやいや……
俺様は食えないんだった!
光る魂なんざ、アレルギーの元凶!
さっきそう言われたばかりだ!
フツヌシがモヤモヤしているうちに、大地とクスコは赤々とした灯篭をたよりにしながら、神楽殿の屋根の上へと降り立った。
大地は背後へ回って牙を使い、クスコの首に刺さった太い破魔矢を引き抜いた。
────グゥオッ!!!
破魔矢はあっけなく、クスコの首から抜け落ちてしまった。
矢の色が急激に変わってゆくのが見て取れる。
矢竹の部分が赤、矢羽の部分は白。
細くて長い、天津麻羅が作った本来の破魔矢の姿へと。
「ナ」
「ニ」
「ヲ」
「ス」
「ル!」
────シュワッ!!
呪いが解かれてしまった。
光る魂の、香りのせいだろうか?
全員、ぐでんぐでんに酔っぱらったような心地に包まれてゆく。
逆に自分達が、呪われたのではあるまいな……
フツヌシ達は5つの艶やかな黒い珠へと姿を変え、矢から一斉に飛び出した。
岩時神社の最奥に位置する、本殿の方角へ。
フツヌシの頭の中にふと、子供の頃の思い出が甦った。
広くて美しい、花畑での出来事だ。
きっと病院で、たくさんの花を目にしたからだろう。
「『魂の花』って知ってる?」
6才の伽蛇が学校帰りに、幼馴染のフツヌシに笑いかけた。
あの頃の彼女はまだ純粋そのもので、邪念などとは縁遠かった。
いつもビクビクと父親を怖がっているだけの、可愛らしい美少女だったのである。
のちに彼女が闇の神の最高峰の座におさまり、父を超えて最強神・深名の側近にまで成り上がるとは、誰が予想できたであろう。
フツヌシは当時、とても彼女と仲良くしており、他愛ない会話を楽しんでいた。
「タマシイの、鼻?」
「鼻じゃなくて花。むかーしむかしは、ミナ様のしっぽに生えてたんだって! お父様がお母様に言ってたのを、こっそり聞いちゃったのよ。ああ、見てみたいなぁ」
伽蛇はワクワクした様子で、赤い花を摘みながら最後は独り言のように呟いた。
彼女のお父様とは、闇の神・侵偃の事だ。
フツヌシは花を摘みながら、侵偃の顔を思い出し、とても恐ろしくなった。
侵偃と目が合うだけで生きた心地がしなくなり、いつも吐き気がしてしまう。
ミナ様の事なら、8才だったフツヌシでも知っている。
お師匠であるウミダマ様が、過去に教えてくれていた。
最強の神様。
だとしたらきっと、立派なお方なのだろうな。
いつかミナ様にお会いしてみたい、とフツヌシは常日頃から思っていた。
ウミダマ様は侵偃に何度も裏切られた事により、自力で海から出られなくなった。
親が行方不明のフツヌシは、そのせいで優しい師匠に会う事が出来ていない。
自分を守ってくれる大人がいないのは、全て闇の神・侵偃の仕業だったというのに、小さかったフツヌシはその事に、まるで気づいていなかった。
「いいのか? そんな大事な話を喋ってしまって。後で知られたら……」
「伽蛇!」
突然、世にも恐ろしい声が、その場に響き渡った。
「お父様!」
フツヌシと伽蛇の前に現れたのは、今噂したばかりの伽蛇の父、侵偃だった。
「聞こえたぞ。深名様、と」
「は、はい!」
「子供が軽々しく、口にして良いお方の名ではないぞ! 一体何を話していた! お前は噂話で、深名様を愚弄したのか?!」
「違います、お父様! 深名様のしっぽに咲いているお花が見たいって話を、フツヌシにしていただけです!」
――――!
侵偃は大きく目を見開き、息を飲んだ。
「どこでそれを……」
「お父様とお母様が昨日していた話を、つい聞いちゃったの」
「何だと?! 盗み聞きするとは、恥を知れ!!」
侵偃は娘に向けて、片手を広げた。
『黒玉衡』
侵偃の手の奥から、黒い玉が勢いよく飛び出してくる。
無数の鋭い『憎しみの棘』がついた玉が、醜くなった伽蛇を容赦なく襲う。
「ギャーッ!!!」
黒玉衡の術が伽蛇に命中すると、みるみるうちに彼女は小さくなっていく。
彼女は腐ったような臭いを放つ百足の姿に変化し、地面の上でのたうち回った。
その姿を見るとフツヌシはムカムカし、伽蛇を殺してしまいたい衝動が起こった。
これがあの、綺麗で可愛らしい伽蛇なのだとは、到底信じがたい。
黒玉衡という術式について、フツヌシは師であるウミダマから聞いたことがある。
内なる力を破壊し、正しい心を奪って殺してしまう、侮蔑の力だ、と。
ゴウッ!
「ギャッ!!」
酷い。
「家に帰ったら医師を呼ばねば! 全くもって忌々しい!」
ゴウッ!
「ギャッ!! 痛い!!」
「お前の記憶を消すため、莫大な金を、医師に支払わねばならぬではないか!」
伽蛇は醜い姿で攻撃されるがまま、ギャアギャアと泣きわめいている。
「お願い! やめてぇ、お父様!!」
ゴウッ!
「しばらく隔離室に入れ! 反省しろ! 来い!」
「イヤ!! 隔離室!! 許して!! 助けてフツヌシ!! 助けて!!!」
ゴウッ!
助けられるわけが無い。
フツヌシはボーッと、伽蛇が父に連れ去られるのを、ただ見ているだけだった。
内心では思う。
可愛い実の娘に対して、この仕打ちはあまりに酷過ぎないか?
そもそも。
聞かれそうな場所で、重要な情報を漏らしていた侵偃の方に、非があるのでは?
本当の父親に会った事の無いフツヌシだったが、これが父なら世も末だと感じた。
『こんなの、ただの弱い者いじめだ! 伽蛇を元の姿に戻せ!』
フツヌシは侵偃に向かって、このように怒鳴りたかった。
だが、勇気も、声も出ない。
声を上げれば、自分がやられる。
伽蛇と同じか、それ以上の事を。
「フツヌシ、と言ったか。そうかそうか。お前も伽蛇から、話を聞いたのだな?」
――――ではお前も、一緒に来い。
フツヌシは、連れて行かれた。
闇の神の館にある、世にも恐ろしい、暗くて狭い、小さな隔離室へ。
驚いた事にその場所は、優しくそっと守られているかのような、静けさがあった。
焦げたような匂いがする。
湿気を帯びた空気と、人間の祭りから発する、得体の知れないエネルギー。
「あ! フッツー!」
ウタカタの声。
「やっと目が覚めたのね」
エセナの声。
――――ここはどこだ?
ドドーン!
ドドーン!!
大きな花火の音。
徐々に視界が、はっきりとしてきた。
ここは……夏の夜の、人間世界か。
空には大きな花火が咲き乱れ、キラキラ輝く星空が見える。
相変わらず美しく、妙に懐かしい。
やっと、この場所に帰って来られた。
フツヌシは棘の姿をしており、岩時の破魔矢の表面に張り付き、空を飛んでいる。
矢の先端は深々と、白龍神の首に、刺さっている状態だ。
クスコであり深名孤だ。
まだ忘れてはいない。
奴もまた、最強神である。
「いつまでも目が覚めないので本当に心配致しましたわ。フツヌシ様」
スズネの声。
彼女のすぐ横には、棘の姿をしたウタカタ、エセナ、クナドが心配そうにフツヌシを見つめていた。
「心配かけて済まなかったな」
スラスラと謝罪の言葉が出て来るフツヌシに、他の全員が目を丸くする。
「フツヌシ……おかしな病気にでもかかったの? 私達に謝罪するなんて、あなたらしく無いわ」
エセナよ、俺様もそう思う。
だが、こんな言葉、言いたくて口から飛び出て来るわけでは無い。
「でも意識が戻って本当に良かった! ほら見てよフツヌシ、あれ」
クナドが指さす方角を見て、フツヌシは仰天した。
桃色のドラゴンが大きな翼を羽ばたかせ、クスコと肩を並べながら飛んでいる。
巨大白龍クスコよりもはるかに小さいが、細くしなやかで、とても美しい。
フツヌシはこの、世にも珍しい桃色のドラゴンを、とても良く知っていた。
忘れようにも決して、忘れる事が出来ない。
白龍・久遠と人間の女との間に出来た、おぞましいハーフである。
生まれてはならぬ異形。
その名は、大地。
人間の姿もドラゴンの姿も、どちらも本物だという唯一無二の、化け物だ。
「フッツー。あの桃色ドラゴン、クスコに『矢を抜いてやるよ』って言ってるよ!」
矢を抜く?
あの小童が?
「もし、破魔矢を抜かれたら今度こそ、息の根を止められなくなりますわ」
「あの二体、神社の神楽殿の屋根の上に、降りようとしてるわ!」
「止めないと、クスコを殺せなくなるよ!」
大地と深名孤が、楽しそうに会話しながら人間世界に降りようとしている。
頭の中で何かがはじけ出す。
記憶が蘇ろうとしている。
思い出すのは絶対にダメだ!
クスコは殺せない。
それがわかっていても、奴を放っておくわけにはいかない。
生意気な!
フツヌシは気づくと、棘の姿のまま桃色のドラゴンに攻撃を仕掛けていた。
フツヌシ以外のウタカタ、スズネ、クナド、エセナは慌てて、フツヌシに続いて一目散に、棘の姿のまま桃色のドラゴンに襲い掛かった。
────刺してやる!!
バチバチッ!
バチバチッ!
……落ち着け、焦るな、そして怒るな。
フツヌシは自分に言い聞かせた。
今あれを思い出したら、怒りに身を包まれる。
怒りが湧き起これば、全てを忘れてしまう。
フツヌシは咄嗟に、懐に忍ばせた小さな紙の存在を確認した。
大丈夫だ、紙はあるし、何も忘れてはいない。
さっきまで天津麻羅の病院にいた出来事を、まだはっきりと思い出せる。
アレルギーを起こすため、俺様は『光る魂』を食べてはならない。
どのみち深名斗様は俺たち全員を殺そうとしているから、クスコを殺しても無駄。
だから最強神を元の一体に戻すため、魂の花を二つ採取して来なければならない。
桃色のドラゴンは咄嗟に、体全体を丸めた。
「あれ」
フツヌシ達は全員、桃色ドラゴンの体を通り抜けてしまった。
「全っ然刺さらないね! クスコと一緒だー」
いくらビュンビュンと襲いかかっても、無駄だった。
「あーあ、もう襲っても無意味だろうな」
「諦めた方が良いみたいですわ。抜かれてしまいそうですし」
「ねえ、いい匂いしない?」
「あ! 知ってる! これね、光る魂の匂いだよ? 食べたーい」
「お前ら少し黙れ!」
滑らかな鱗で覆われた桃色ドラゴンの体には、棘攻撃は無意味だった。
「一旦、矢の中に戻るぞ」
フツヌシの言葉に従い、4体は大人しく矢の中へ戻った。
ちらりと外を見ると、すっかり夜の闇に包まれている。
闇夜は、伽蛇を思い出す。
岩時神社の長くて広い参道の提灯に、一斉に灯がともる。
クスコは突然、嬉しそうに、大きな体でぐるりと宙返りをして見せた。
「ギェェッ!」
「わわわっ!」
「やめて!!」
「おえッ!!!」
「きゃーお!」
矢の中にいたフツヌシ達は全員、目が廻り、頭がクラクラしてきた。
ますます美味そうな、食べ物の香りが漂って来る。
「猛烈に、お腹が空きましたわね……」
「ねえ、これ光る魂の香りじゃない?」
「うんうん、この辺りに光る魂、たくさんあるみたいだ!」
「そうなの?」
「……」
これが光る魂の香り?
抗えない強さ。
なんとしても食いたい。
フツヌシは一瞬、我を忘れそうになった。
いやいやいや……
俺様は食えないんだった!
光る魂なんざ、アレルギーの元凶!
さっきそう言われたばかりだ!
フツヌシがモヤモヤしているうちに、大地とクスコは赤々とした灯篭をたよりにしながら、神楽殿の屋根の上へと降り立った。
大地は背後へ回って牙を使い、クスコの首に刺さった太い破魔矢を引き抜いた。
────グゥオッ!!!
破魔矢はあっけなく、クスコの首から抜け落ちてしまった。
矢の色が急激に変わってゆくのが見て取れる。
矢竹の部分が赤、矢羽の部分は白。
細くて長い、天津麻羅が作った本来の破魔矢の姿へと。
「ナ」
「ニ」
「ヲ」
「ス」
「ル!」
────シュワッ!!
呪いが解かれてしまった。
光る魂の、香りのせいだろうか?
全員、ぐでんぐでんに酔っぱらったような心地に包まれてゆく。
逆に自分達が、呪われたのではあるまいな……
フツヌシ達は5つの艶やかな黒い珠へと姿を変え、矢から一斉に飛び出した。
岩時神社の最奥に位置する、本殿の方角へ。