桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

なんだハゲ。

 5体はフワフワと空を飛びながら、岩時祭りの喧噪の最中へと向かっている。

 フツヌシとエセナ以外は、自分達もいくつか味見をした上で光る魂を狩り、深名様に捧げよう、と言い始めた。

「それは名案ですわね! 深名様は、こっそり光る魂を食べていると聞きますわ」

 光る魂をたくさん捧げれば、深名様も上機嫌になり、クスコ殺害に失敗した罪を、許してくれるかも知れない。

 わずかな希望だが。

「これだけこの地に『光る魂』が溢れているわけだしね。フツヌシはどう思う?」

「……」

 クナドにこう聞かれたが、フツヌシはクスコに宙返りされたせいで、おかしな悪酔い状態が抜けておらず、気分が悪くて返事が出来ない。

 多分、やるだけ無駄だ。

 天津麻羅の病院で見知った事を鑑み、総合的に判断すると……

 どんなに苦労して最強神・深名に光る魂を捧げたところで、処刑は免れない。

 深名様、いや深名斗様はいずれにしても、俺たち全員を殺すつもりだ。

 二つの魂の花を採って、どうにかするより他は無い。

 果たしてこいつらに、その事実を今、伝えるべきなのだろうか。

「フッツー……だいじょぶー? 光る魂を食べれば元気出るかな?」

 ウタカタがフツヌシに声をかける。

「大丈夫だ」

 本当は全然、大丈夫では無い。

 先ほどのショックが抜けず、桃色のドラゴンの事ばかり考えてしまう。

 フワフワと飛んでいるうちに、フツヌシはまた、過去の記憶が蘇って来た。

 いかん!

 思い出したら怒りが湧く。

 怒ると大事な事を、きれいさっぱり忘れてしまう……




 フツヌシの意に反して、記憶がまた蘇った。








 ドサッ。


 黒奇岩城(くろきがんじょう)の片隅に、闇の神・伽蛇(カシャ)が増設した、世にも恐ろしい隔離室。

 自分が作ったあの部屋に、伽蛇は突然、小さな桃色のドラゴンを放り込んだ。

 ドラゴンはみるみるうちに、桃色の髪を揺らす美しい男の子に変化してゆく。

 まだ5歳くらいの少年だ。

 食べ物も飲み物も与えられておらず、骨と皮ばかり。

 殺される寸前、と言っていい。

「おい、伽蛇。拷問するには、若過ぎるだろう?」

「フン。誰に向かって言ってるの?」

 この子供の名は、確か……大地だ。

「白龍・久遠(くおん)の息子じゃないか。見つかったら、ただでは済まないぞ」

 伽蛇は久遠の結婚と息子の誕生にショックを受け、頭がおかしくなってしまった。

 久遠は過去に、伽蛇が最も執着していた美男子である。

 父親が自分の思い通りにならなかったから、恨みをその息子にぶつけるわけか。

 罪のない小さな子供を殺す事に、伽蛇がためらうはずが無い。

 そういう教育を、この女はずっと受け続けて来た。

「この場所なら見つかりっこ無いわよ」

 純粋だった伽蛇。

 だが置かれた環境が、彼女を大きく変えてしまった。

 彼女は父親の側で生きるうちに、すっかり心が闇に堕ちた。

 残虐な笑みを浮かべるようになったのは、彼女が初めて隔離室に入れられてから、10年くらい後のこと。

 あらゆる手段を使って父・侵偃(シンエン)のご機嫌を取り、権力者に自分の体を何度も売り、彼女は最強神・深名の側近にまで成り上がった。

 隔離室の恐怖を知り尽くした彼女にこそ『隔離室』が、どうしても必要だった。

 今や弱者を隔離室に入れて、過去の自分よりもっと苦しめることに、彼女は喜びを見出している。

「ここは学校だぞ、表向きは。見つかったら牢獄行きだ」

「あら。私を殺そうとした罪だと言えばみんな納得するわ。いつもこっちを睨んでくるもの。拷問の瞬間も全部、ほかの生徒達に見せつけてやるといいのよ」

 いつから伽蛇は、こんなに変わってしまったんだ。

 いかにも闇の神らしく、成長したものである。

 だが彼女は昔から、考えが甘いところがある。

 大地はいずれ、見つかってしまうだろう。

 言い訳も出来ない。

 罪人に仕立て上げるには、大地は小さ過ぎるし、どう考えても無理がある。

 フツヌシは、自分が大地を殺した後、罪に問われるのが恐ろしかった。

「殺すなら、お前が殺せよ」

 成り上がった伽蛇や侵偃とは違い、自分はきっと深名様に殺されるだろう。

「……は? いくら私が殺そうとしても、死ななかったわ。この子を殺すのはあなたよ、フツヌシ」

「何を言い出すんだ!」

「もし出来なければ、私があなたを殺してあげる」

 何だと?!

 えらっそうに!

 年下の癖に!

「子供の頃は、侵偃の拷問でヒーヒー、泣いてたじゃねぇか!」

 伽蛇は自嘲するように、乾いた笑い声をあげた。

「助けて! って、あなたに何度も、訴えたわよね。忘れたとは言わせないわ。あなたはそんな私を見ながらただボーっと、岩よろしく突っ立ったままだった!」

 フツヌシは一言も、言い返せない。

 今はただ、伽蛇が恐ろしい。

「あなたは私を、何度も何度も、見殺しにしたのよ。とても恨んでるし、憎んでる。だからフツヌシ。あなたに、この子を殺すよう、命令してるの!」

 伽蛇との力の差は歴然としているため、フツヌシは立場がとても弱い。

 フツヌシが彼女と侵偃に逆らえるはずが無かった。

「そんなに心配しなくても、大丈夫よ。殺して当然の汚らわしい生き物なんだから。白龍と人間のハーフなど」

「どうして、この黒奇岩城へ連れて来た?」

隔離室(ここ)に閉じ込めて、うんと弱らせて、苦しめて、自害させるためよ。全部、久遠様が悪いのよ! 私の誘惑に、ちっともなびかなかったのだから」

 大地の誘拐は、彼の両親に対する嫌がらせの意味もある。

 子を痛めつければ痛めつけるほど、両親は後に、死にたくなるくらい後悔する。

 こんな子供、この世に誕生させなければ良かった! と思うようになるだろう。

 それが伽蛇の考えだった。

 伽蛇は両手を大地に向け、黒玉衡(クスアリオト)を唱えた。

「これは見せしめよ!」

 ――――スッ。

 彼女が作り出した黒くて大きな棘の玉は、大地の体をするりと通り抜けてしまう。

「忌々しい! 闇の力がまるで効かない! フツヌシ、あなたも見たでしょう?」

「……ああ」

 白龍の息子ならば、他の白龍と同じように、黒龍側の術式が効くと思ったが。

 大地は白龍でも、黒龍でも、人間でも無い。

 伽蛇は時々、様子を見に来るだろう。

 早くこの子に死んでもらわねば、自分が伽蛇に殺されてしまう。

 そうだ……

 隔離室の中は、一旦身を委ねてしまえば、過ごしやすくて心地が良い。

 そのうちに、自分だけの幻覚を、幻聴を、味と香りを、楽しめるようになる。

 いつまでもその中でただ滾々と、眠っていたくなってくる。

 フツヌシも過去に、感じたことがあるでは無いか。

 穏やかで柔らかな、闇のヴェールに包まれながら、心地よく死ねるはずだ。

 優しくそっと守られた心地になりながら、早く、早く、早く、死んでしまえ。

 大地の心はもう、完全に、闇に堕ちていることだろう。

 自分のように。

 伽蛇の力がダメならと、フツヌシは大地に向けて岩破邪(ガハジャ)を唱えた。

 岩破邪はフツヌシより弱い神々を服従させることが出来る、便利な術式である。

「岩破邪!」

 巨大な岩が出現し、次々に大地を襲う。


 ゴオーッ!


 ゴオーッ!


 ゴオーッ!


「フツヌシ、その調子よ!」


 伽蛇が嬉しそうな声を上げる。



 ところがすべての岩は、小さな大地の体をすり抜けてしまった。



 こちらを睨む、透き通った鋭い目。



 大地がいきなり、フツヌシに向かって真正面から毒を吐いた。



「……なんだハゲ。 全っ然そんなもん、効かねぇぞ」




 ――――?!!!!




 この野郎……



 ガリガリに痩せて、今にも死にそうな弱者のくせに……



 この俺様に向かって……



 ハゲだと?!!



 死ね! このガキ!!!



 絶対に殺してやる!!!













 フツヌシは、あの瞬間の怒りをまざまざと、思い出してしまった。









 ふんがー!!!





 許っさん!!!!




 絶対に殺す!!!





 ――――。


 あれ。

 何か、とても大事なことを、忘れてしまったような気がする。

「フツヌシ、ほら見て、光る魂だ。美味そうな、いい匂いだろ?」

「そうだな」

 腹が減った。

 クナドに言われ、フワフワ飛びながらフツヌシは急に我に返る。

「光る魂は、食えるのか」

 古代の神々はこっそり食っていると聞くが、今では禁止されているはずだ。

「もちろんですわ。とても美味しいんですのよ」

 スズネの言葉に、エセナが反応する。

「食べたこと無いし、別に食べたくもないわ」

「まあまあエセナちゃん、そう言わずに。とりあえず味見してみようよ!」

 それから5体は黒い珠の姿で、ジグザグに滑空しながら空を飛んだ。

 光る魂を見つけるために。

「どこですー?」

「どこかしら?」

「どこなのー?」

「どこどこ?」

「どこだよ?」

 クナドが急に、緊張した声色になった。

「うわっ!」

「どうした?」

「白龍側の霊獣があちこち、目を光らせてる。この土地、白龍神が守ってる場所だったよね……慎重に行動しないと、かなりマズイかも」

「そうでしたわね……」

 白龍が守る場所に、黒龍側の神や霊獣が立ち入ることは、絶対に許されない。

 許可なくこの神社に入ったことがばれたら、裁きを受けるのは自分達だ。

 不法侵入者は、処罰を受ける。

 それは避けたい。

「……気を付けねばな」

 どうもおかしい。
 
 先ほどまではもっと切迫し、何かにひどく怯えていたような気がする。

「ミナ様に、お土産の光る魂、たーっくさん持っていけばいいよ! ご機嫌をとったらきっと、笑って許してもらえるよー」

「ああ。そうかもな」

 荒れ狂っていたはずの心が、今はすっかり凪いでいる。

 フツヌシは不思議だった。

 先ほどまで、どこかの病院にいたような気がする。

 ……気のせいだろうか。

 気づくと5体は、いつもの『人の姿』に変化していた。

「しばらく、祭りの様子を探るのもいいですわね」

 スズネが拝殿の方角へ飛んで行こうとする。

「何かあったら、ワタクシを呼んで下さいまし」

 フツヌシはスズネに、何か重要な事を聞こうとしていた気がする。

「……フツヌシ様、どうかされましたか?」

 目が合うと、スズネは不思議そうに聞いて来た。



「……いや。何でもない」







 おかしい。

 フツヌシは考え込みながら、人の混雑に紛れて神社本殿の方角へと歩き出した。
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