桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

白龍の定め

 ────おぬしが吸っていいのは、さくらの血だけじゃ。

 クスコに言われた言葉が、大地の頭の中を駆け巡る。

 自分の腕に抱かれている結月の首筋が妙に、なまめかしく見えた。

 たまらなく、いい香りがする。

 見つめると喉が渇いて、その首筋に今すぐ吸い付いてしまいたくなる。

 徐々に顔が赤くなってしまい、大地は大きくうろたえた。

「……意味がわからねぇ。どうして俺は…………」

 クスコの言葉も、ピンと来ない。

 そんな大地の動揺とは裏腹に、安心した様子で結月は、腕の中で静かに眠っている。

 久遠がかけた微弱な天璇(メラク)がまだ起動しているため、みすまると同じ形をした小さな白い勾玉の中で、梅と共に守られている状態だ。

 ぞわりと鳥肌が立つ。

 たった今、結月の首筋に、自分は牙を立てようとした。

 自分の行動におぞましさを覚える。

「俺は今、結月の血を吸ってみたくなったのか……?」

 横では梅が正座をしながら、大地に向かって頷いて見せた。

「そのようですね」

「一度も経験が無いのじゃな」

 クスコに聞かれ、大地は頷いた。

「……ああ」

「吸血行為について、大地に教えたことはあるのかえ?」

 クスコは単刀直入に、梅に向かって質問した。

「いいえ、ございません。私は鳳凰の身であります故、吸血行為について大地に教える役割は、別の者が担っておりましたので」

 さすがは年の功。

 梅は泰然と構えながら答えた。

「吸血が何なのかくらいは知ってる」

「どっちを学んだのじゃ。白龍についてか? それとも人間についてか」

「どっちもだ」

 白龍が異性の生き血を吸う『吸血行為』、つまり『血の契り(まぐわい)』とは、白龍の繁殖行為の事を指す。

 男性白龍が異性の血を吸うのみならず、女性白龍の方から男性の生き血を吸う場合もあり得る。

 その行為によって、吸われた血が白龍の体に流れるだけでなく、吸った側の白龍の血も異性の体に入り、体内を廻るようになる。

 血の契りによって互いの心と体を深く結びつけ、女性側はやがて子を身ごもる。

 しばらくののち、女性の体内で胎児が大きくなり、子宝が授かる。

 生まれるのは卵からではなく、ドラゴン姿をした赤子の状態だ。

 宿るのは、ほぼ一体。

 多くて、双子として二体。

 ごく稀に三体。

 四体以上が同時に生まれるのは、もはや奇跡に近い。

 これが他のドラゴンと希少な白龍との、大きな違いだ。

 高天原および天が原において、白龍以外のドラゴンは全て、同時にたくさんの卵を産み落とす生き物である。

 白龍以外のドラゴンは、成人前に吸血行為に走ることを基本は禁じられていた。

 血の気の多い時期に味を覚えてしまうと本能に歯止めが効かなくなり、多くの異性を牙にかける恐れがあったからだ。

 重婚は呪いの連鎖を生む。

 やりたい放題の神々であっても薄々、その事に気が付いてはいた。

 だが実際は、成人後の神々が何体の相手を伴侶に選ぼうと、基本的には自由である。

 厳しい法や定めは存在しない。

 白龍は希少であり力が強大なため、ドラゴンの中で最も特別視されていた。
 
 成人前に血のまぐわい行為をすることが、特例として許されている。

 その決まりが定められた理由は諸説あるが、子宝が出来る事こそ大事。

 そうならざるを得なかったのかも知れない。

 だが久遠は、息子の大地を決して白龍として扱おうとしなかった。

 他の龍と同じように、成人前の大地が女性の血(婚約者のさくらであっても)を吸う事を固く禁じ、厳しい態度で息子と接した。

 白龍と人間のハーフである大地は神々にとって、見たことの無い『新しい生き物』であるに等しい。

 同じ境遇の生き物が世界のどこにも存在しないため、誰も大地にどうするべきなのかを、教えることが出来ない有様だったのである。

 そもそも自分が白龍なのか、人間なのかという事自体、大地はあまりにも曖昧に考え過ぎていた。

 どちらの繁殖行為が自分と本当の意味で関りがあるのかという事も含め、経験が皆無の大地にとっては、全く興味が湧かない分野だったのである。

 だが今、『渇き』がどういう感情なのかをようやく、理解する事ができた。

 血を吸う行為は、男女のまぐわい。

 白龍に関して言えば、子を成す前に行われる、最も重要な行いである。

 確かに今ここで、結月の血を吸っては絶対にまずいだろう。

 さくらと結婚出来なくなる。

 大地が色々混乱しているその時、高天原にいる久遠から声がかかった。


『クスコ。そこにいるのですね』


 父の声を感じ、大地は顔を上げた。

 ちょうど父の事を考えていたので、ぎゅっと心臓を掴まれた心地になる。

『クスコが布袋の中にいる事が、父さんにバレていたのか』

 当のクスコは、ほんの少し布袋から青い両目だけを覗かせている。

「久遠か。久しぶりじゃの」

『お久しぶりです』

 久遠はクスコに、説明を始めた。

 自分(久遠)の力はもう、これが限界のようだということ。

 そのため小さな天璇(メラク)も今から消え、力で守る事が完全に出来なくなりそうだということ。

『クスコ。力を抜かれ、あなたが弱体化されたことはよく存じております。ですが、これよりは────』


「ワシは戻らぬぞえ。高天原へは」

 
 言葉の続きを読まれて久遠はがっかりし、やがて諦めたように破顔した。

『ええ、わかりました。事情があって私はそちらへ行けなくなりましたので、本当はあなたに一刻も早く戻ってきていただきたいですが。…………大地をどうか、よろしくお願いいたします』

「任せておけ。ワシが鍛えちゃる」

 クスコがこう言うと、大地は嬉しいような怖いような、複雑な表情を見せた。

『変身することも出来ませんか? そのままでは(深名様に)すぐ気づかれてしまいます』

 クスコは布袋の中で目をぱちくりさせた。

「変身とな! もう出来るじゃろか? すっかり忘れておったわい」

 布袋から、青い光があふれ出した。

 その輝きは布袋からスルリと出てきてグングン大きくなっていき、いつしか大地の目の前にはひとりの、若くて美しい女性が姿を現した。

 髪の色は艶やかで真っ直ぐな黒、肌の色は透き通るような白。

 目の色は深い海のような、どこまでも澄んだ青。

 紺色の着物に白い帯を付けている、背が少し小さめな美女だ。

「どうじゃ、大地よ。変身くらいはできるようになったぞえ」

「すげぇ! お前、本当にクスコなのか?」

「うむ。じゃがしばらくの間、ワシのことは『ヒマリ』と呼ぶのじゃ。久遠が手を焼いているヤツめに、正体がバレてしまうからの」

「ヒマリな」

『嫌がらせですか。それは私の妻と同じ名です』

 高天原から久遠ではない、中低音に響く男の声が聞こえてきた。

『爽よ。おぬしの妻はたくさんいすぎて、名などいちいち覚えておけぬ。ほんの偶然じゃ』

 クスコは爽に返事をした。

 どうやら声の主である爽とクスコは、よく知る仲の様である。

『ま、名前のことはいいです。いつ深名様が起きてしまわれるかわかりませんので、一点だけお話します』

 爽は続けた。

『人間世界は今、大きな不具合を起こしています。修理する必要があるので、しばらくの間は時間を止めます』

「本殿の外の人間達もか」

 自称ヒマリは爽に聞き返した。

『ええ。ですが、あなた方がいる本殿の中だけは別です。申し訳ありませんが、こちらでは上手く時を操る事が出来ません。侵入者のせいで場の力が強大になったためか、泡の神が変わってしまったせいなのか解明中ですが』

 梅は跪きながら、自分も属する『時刈一族』の長にたずねた。

「爽様。私は──」

『梅はその少女を一刻も早く、本殿の外の安全な場所へ』

「わかりました」

 大地の腕の中で眠る結月を見て、梅は頷いた。

『大地』

 久遠の声が響く。

「うん。…………何? 父さん」


『岩時の地と人々の事を、頼む』


 初めてだった。


 父が自分に、頼みごとをしたのは。


 頑固で厳しい、あの親父が。


「…………わかった」


 重くて強い、父の言葉。


 それが大地の心に響き渡った。
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