桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

虚構の輪

「あーもう! 君、全然ダメー。その武器の使い方、間違えてる!」

「?!」

 姫毬(ヒマリ)は懐から、美しい毬によく似た、透き通った手のひら大の珠を取り出した。

 表面がごつごつとした、丸い氷の塊のようにも見える。

 彼女はその毬を、勢いよくユミヅチに向かって投げつけた。

  ────ビュッ!

 毬は触手が伸びた黒いスライムの体内に、めり込むように侵入した。

 ビキビキッ、ビキビキッ!!

 毬が入り込んだ中心部から、どんどんユミヅチの色が変わっていく。

 全身が完全に氷の姿へと変わったユミヅチは、ひと言も喋らなくなった。

「今は凍ってるだけ。死んだわけじゃない。喋るとうるさいし、動くと仕留めづらくなっちゃうから」

 にこりともせず、姫毬は大地の腰に刺さった破魔矢に手を伸ばした。

「あ!」

「ちょっと見せて」

 勝手に奪った破魔矢をジロジロ観察し、姫毬(ヒマリ)は小さなため息をついた。

「ダメじゃん君! この矢、空っぽだから、使えないよ?」

 姫毬はポイッと、大地に破魔矢を投げ返した。

 破魔矢をキャッチした大地は、定位置にそれを戻しながら姫毬に尋ねた。

「空?」

「中に力を貯めないと、殺すのは無理。…………仕方ないな」

 首に下げた青い筒のふたを開け、先の部分を口でくわえると、姫毬はユミヅチに向かって勢いよく、連続で中に仕込まれた銀色の針を放った。

  ────ヒュッ!

  ────ヒュッ!

 ────ヒュッ!

 ────ヒュッ!

 四発全てが、ユミヅチの体に命中した。

 どうやら姫毬は、吹き矢を放ったようである。

 氷の姿をしているため、ユミヅチがどう変化したのかはよくわからない。

「『嗅覚』以外の、『視覚』と『味覚』と『聴覚』と『触覚』を奪ったよ。殺したいならその刀で思いっきり、叩いてしまえばいい。使い方は全っ然、違うけど。氷になっているだけだから、今なら簡単に死ぬと思うよ」

「…………」
 
 大地は思った。

 姫毬はもう一度、どうするべきかを大地に、考えさせようとしているのでは無いだろうか。

 ユミヅチを殺したいのか、そうでないのかを。

 じゃなければこんな、面倒な方法を取る必要はない。

 一旦凍らせて五感のうちの四つを奪えるくらいなら、最初から殺す事くらい彼女には、簡単にできそうだ。

 大地に、選ばせようとしている。

 ユミヅチを殺すか、殺さないかを。

「殺さないの? 強い神であればあるほど復活が早いよ」

「…………!」

 ユミヅチがした事は、絶対に許せない。

 『まぐわい』について大っぴらに話す事がどうしても出来ないのは、禍々しさを連想させる恐怖や嫌悪や恥ずかしさや激痛が、その行いにセットされているからだ。

 女をはじめとする弱い立場に、その痛みは降り注ぐ。

 互いに身を捧げる覚悟が伴う。

 新しい命を迎えるための行い。

 夫婦になった相手と交わす秘め事。

 だが必要不可欠な、神聖な行為。

 それを軽々しく利用して、性別ある生き物を操作(コントロール)し、私腹を肥やそうとしたユミヅチを、大地はどうしても許せなかった。

 心の奥から溢れ出る「愛しさ」が真実として証明されない限り、『血のまぐわい行為』をしてはならない。

 そう思っていたからだ。

 幼少期に散々ひどい目に遭わされてきた大地にとって、女や子供など弱い立場の者たちの、屈辱感が容易に想像できた。

 他者の嗜虐心や傲慢な支配欲によってもたらされる辱めが、心からの愛が伴わない歪んだ吸血行為が、どのくらいむごたらしいか。

 一歩間違えれば弱者の心が張り裂けんばかりに傷つく事を、全てでは無いにしても大地には想像できる。

 大人の体になった瞬間、生き物としての本能を上手く制御できるかどうかを問われ始める。

 そして死ぬまでも死んでからも永遠に、生きている間にどういった行いをしてきたか、誰もが暴かれ続けるだろう。

 うっかり「他の女に手を出してしまいました」という自分を、大地は永遠に許せない。

 だから相手は一人だけが良い。

 吸血行為における恥ずかしさも激痛も屈辱も厭わず、生死を分かつまで共に過ごしてくれて、自分の子を産んでくれる、たった一人。

 露木さくら。

 かけがえのない、愛しい婚約者。

 もし自分との結婚を受け入れてくれるなら、一生かけて、彼女の笑顔だけを守ってみせる。

 大地は再度、七支刀を構え直し、勢いよく上から、ユミヅチに向かって振り下ろした。

 しかし。

 当たる寸前でピタッと手が止まる。

「…………」

 使い方を間違え、冷静さも目的も忘れ、怒りに任せ、思うまま殺す。

 このままでは、後悔する。

 殺してからでは、取り返しがつかない。

 大地はやがて、武器を下ろした。

 腕組みをしながら見つめていた姫毬は、大地にそっと声をかけた。

「…………やめるんだね」

「ああ。おかげで冷静になれた。礼を言うよ」

「うん。こういうクズはどこにでもいるし、いくらでも湧いて出る。いちいち殺してたら君の一生がそれだけで、終わってしまう」

 大地は少し笑った。

 やはり姫毬は、大地を試していたのだ。

「気を付けた方がいい。冷静さを欠くとああいう類の奴に、簡単に操られてしまうよ」

「…………ああ」

 姫毬の言う通りだ。

「それに『恥ずかしさ』を経験した事のない生き物に、同じ屈辱を与えるのは無理だ」

「…………あんたは何者なんだ? 武器に詳しいようだけど」

「私は武器職人。この岩時城に住む者じゃない。天守閣の地下に『咲蔵(サクラ)』があるから、そこを拠点にして武器を作っているんだ」

「さくら?」

 自分の婚約者の名前。

 でも意味は、違うようである。

「『咲かせる力』。生み出す力(もの作り)の根源で、武器づくりには欠かせない。この場所に『光る魂』や女性がとても多いのは、『咲蔵』の特別な力に守られているからなんだ」

「…………そっか」

 名のある職人である彼女は、時々岩時城にある自分の工房へやって来ては、武器制作をしているらしい。

 姫毬は今回、偶然『咲蔵(サクラ)』がある岩時城へ来ていたのだという。

「私が先ほど姫毬様にお願いして、この部屋に来ていただいたのです」

 姫毬の後ろにいた姫榊(ヒサカキ)が、大地に話しかけた。

「大地様がその……見たことの無い武器を出されたので、心配になって。姫毬様なら助けて下さるかと思って」

「…………済まなかったな」

 もしかして姫榊(ヒサカキ)は、見たことの無い七支刀(武器)を目の当たりにし、大地に恐怖を抱いたのかも知れない。

 ふと部屋全体を見回すと、姫毬(ヒマリ)姫榊(ヒサカキ)以外の、大勢いたはずの女性たちが、一人もいなくなっている。

 二人と会話を交わしたことで、烈火のごとく沸騰していた頭が、いつもの平静さを取り戻していた。

「君の名は? 虚構の輪(フィクトワール)の少年」

「大地だ。フィク………って?」

「それの事」

 姫毬(ヒマリ)は、大地の頭を覆う、黒い羽冠を指さした。

「かなり力が強そうだね。それを被った状態で自分を保っていられるなんて、逆にすごいよ。もしかして君、玉衡(アリオト)の力に守られてる?」

「────玉衡(アリオト)?」

 勾玉の形をした首飾り(みすまる)の力か?

 岩時城に来る直前、大地は七つあったうち、二つ目のみすまるを食べた。

 最初にクスコが言っていた。

 みすまるには彼女の玉衡(アリオト)の力が、込められていると。

「そうかも知れない」

 玉衡(アリオト)の力のおかげで、無事でいられたのだ。

「やっぱりね。今の君は(ギフト)に守られている。だから黒い羽冠の呪いに、何とか耐えているんだ。玉衡(アリオト)は、生まれた時に天から授かる『内なる力』を膨らませ、それにさらなる力を与えるんだよ」

 黒い羽冠は、呪い。

 やっぱりそうだったのか。

 奇妙な心と体、奇妙な出来事。

 ずっとそれらに振り回され続けていた気がする。

 姫毬(ヒマリ)は大地の首のあたりをじっと見つめた。

「ちょっとゴメン」

 彼女は大地に近づいて唇を寄せ、牙を使って突然、首筋に噛みついた。

「────!!」

 ビリッとした痛みが電流のように走り、ゾクッと全身鳥肌が立つ。

 姫毬の深海のような瞳が、妖艶な光と獣の鋭さを見せた。

「………何を……!」

「……………………」

 がしっと両肩を掴み、姫毬は大地の首筋から唇を離さない。

 全身が沸騰するみたいな感覚と、気味の悪いくすぐったさが襲い来る。

 かと思えば、だんだん体が氷みたいに冷たくなり、はじめての感覚に脳内が悲鳴を上げ…………


 バタッ!


 疲労と苦痛に耐えきれず、大地は地面に横たわり、そのまま再び気を失ってしまった。

「あれ。気を失っちゃった」

 大地の喉から口を離した姫毬は、小さく吐息を漏らしながら姫榊に尋ねた。

「もしかして彼、血を吸われるのは初めて……とか?」

「は……ええ、恐らく…………」

 今起こった一瞬の出来事を、姫榊は理解できないまま棒立ちになっている。

「わ。可哀想な事しちゃった」

「…………!」

 どう謝ろう。

 ま、後で考えよ。

 姫毬は気持ちを切り替えた。

「あ。大地の血に『道の神クナド』の血が混じってるみたいよ? あのクナド、まだしぶとく生きてたのね。血の呪いが解けるまでは、大地を襲わない方がいいかもよ?」

 クナドと面識が無い姫榊にとって、彼の事などはどうでも良かった。

「…………何てことを!」
 
 徐々に声が震え始め、姫榊は目に涙を浮かべながら呟いた。

「この私ですら大地様の血を、ずっと我慢していたというのに…………!」


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