桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
神体の行方
人間の世界は、依然として時が止まったままである。
先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。
祭りが行われていた神社内部は、耳がつんとするほどの静けさである。
人々の笑顔はぴくりとも動かないため、絵の中に入ったように思える。
しかし、彼らに気を取られている暇はない。
紺色の着物の上に白い割烹着を着た白髪の夫人が、神社の社務所の中へ、青い目をした美女と共に、一人の少女の体を運び込んでいた。
梅と、ヒマリに扮したクスコである。
灯篭と提灯の明かりだけを頼りに、二人は畳の間に布団を敷いて結月を寝かせた。
黒龍側の忌まわしき者に気づかれぬよう、用心を重ねるに越した事は無い。
緊張した顔つきになり、正座をしながら梅はあたりを見回した。
クスコと連携を取り、天璇と同質だが微弱な結界を、この社務所全体に張り巡らせる。
「……私にも、天璇が使えるといいのですが」
「梅よ。ワシらはそれぞれに、相応しい使命というものがある。ひとまずは、これで『光る魂』を持つ者達を守れるじゃろ」
「はい」
諭すようなクスコの言葉に、悔しそうに梅は頷いた。
入口を警護していたハトムギが、社務所の戸を開けて小さな声をあげた。
「梅様。カナメ様が戻られました」
「入ってもらいなさい」
社務所に現れたカナメは、ボロボロに憔悴しきった表情を見せていた。
「おかえりなさい。カナメ」
「ただいま戻りました」
畳の間に入るとすぐ、カナメは梅とクスコに跪いた。
まるで懺悔をするかのように。
「とても疲れているようですが、大丈夫ですか?」
真っ白な顔色をしたカナメは、今にも倒れてしまいそうだと梅は感じた。
「…………大丈夫です。ありがとうございます、梅様。シュンはこちらに戻っておりませんか?」
「先ほどは見かけませんでしたよ。神社内を隅々まで見ておりませんでしたので、何とも言えませんが……」
「そうですか……」
やはり、戻っていなかったか。
クナドが出した、おかしな扉の中に吸い込まれ、シュンは一体どこへ追いやられたのであろう。
「ごめんなさいね、カナメ。私達も結月をこの部屋に運び込む事で、精一杯でした」
「その少女が『光る魂』の、持ち主の一人ですか」
カナメは少し戸惑いながら、布団に寝かされている結月に目を向けた。
すやすやと寝息を立て、少女は穏やかな表情で眠っている。
「そうです。彼女の魂は無事、体に戻りました。このまま安静にしていれば、そのうち意識が戻るでしょう」
「…………それは良かった」
まずは一人。
だが救えたのはまだ、たった一人。
残る四人の行方は不明のままだ。
自分に一体、何が出来た?
クナドと相対するだけで緊張した。
あの凄まじい力は、別格だ。
見たことも聞いたことも無い。
慣れ親しんだ者以外の、異質な存在に対する恐怖を、カナメは初めて感じ取った。
七支刀で呼び出せた霊獣は、たったの三体。
サワ。
サキ。
イズミ。
今は彼女らに、社務所の外を見張らせている。
やっと本殿に入れたと思ったら、クナドにまんまと出し抜かれ、シュンをどこかへと追いやられた。
あっという間に。
しかも最悪な事に、最後の最後で奴を見失った。
一体、あいつはどこへ落ちて行ったのだ。
まだ本殿の中なのだろうか。
カナメは、シュンの安否も気になっていた。
もし彼が、クナドが出したおかしな扉の世界を今も彷徨っているのだとしたら。
誰かが助け出さない限り永久に、その世界から抜け出せ無いのではないだろうか。
「……自分がもっとしっかりしていれば」
カナメは猛烈に自分を恥じた。
思い上がっていたのだ。
まだ何も成さぬうちから。
努力や経験を積み、力を蓄え、自信をつけ、身を粉にして働いた自分ならば、この神社を、人々を、守れるだろうと。
自分を過信し過ぎていたのだ。
霊獣王と呼ばれ、彼らを取りまとめる立場に身を置き、力のある自分にただ、酔っていたのである。
認められたのだという事実に舞い上がり、自惚れていた。
今の自分ならば誰よりもきっと、最高の結果が出せる、と。
だが。
完全なる思い上がりだった。
そのような常識は、霊獣たちの間でしか通用しない。
『神』が相手では到底、力が及ぶはずが無かったのだ。
わかりきっていたことだ。
だが。実際に『神』と戦ってみるまで、そのことに気づかぬふりをした。
知らないのをいいことに。
それが自分の甘さだ。
恥ずかしいにも程がある。
カナメは自分に対する嫌悪が抑えられず、七支刀を見つめた。
何故か、色が徐々に変化し始めているように思える。
「自分を責めても解決はせぬぞえ。これからの事を考えよ」
クスコの言葉に、カナメは急に我に返った。
「反省するのは良いが、後悔の連鎖は時を奪うだけじゃ。今おぬしが得たものこそ、のちに本物の武器となる」
「…………は」
カナメは目の前の女性を見た。
黄金に輝く両眼で何か探るように見つめると、自分を静かに見つめ返している真っ直ぐな黒髪の美女こそが、あのクスコだと解った。
不思議な畏怖の感覚が、カナメの体中を突き抜けた。
彼女から放たれている力は、崇拝する白龍・久遠よりもさらに強く、包み込むような優しさが感じられる。
「…………」
突然。
部屋の空気に変化が訪れた。
冷気を纏った風が、窓の隙間から吹き抜ける。
ほのかな花の香りが漂う。
────ボコボコッ!
────ボコボコッ!
床が小さく揺れ動く。
地震の兆候とは違う。
「クスコ様、この揺れは…………」
地面が生き物になったかのよう。
「……地震とは違うようじゃの」
結月から目を離さず、クスコは答えた。
突如、あたりの空気が変化した。
ほのかに温かい。
「あやつめ。ついにやりおったわい」
クスコはにやりと微笑んだ。
「もしかして今のは」
「大地の力ですか?」
カナメと梅が、同時に声を発した。
「そのようじゃ」
見込んだ通り。
大地は自分の力を開花させた。
思わぬ形で。
「大地は白龍が使う、天璇を覚えたようじゃぞえ」
みすまるの玉衡の力すら、今後は不要になるかも知れない。
それどころか。
やつは、伸びる。
土から生える植物のように。
想像よりも早すぎだと、クスコは感じていた。
これが最終的に、どういう結果を生むのか。
最悪の場合、恐らくは…………
あの深名に気づかれる。
大地の力の、真の脅威を。
カナメはふと、背中に刺していた白色の七支刀を手に取って見つめた。
「…………何故だ」
軽い。
それから、色が完全に変わった。
中央から真っ二つに分かれている。
白と黒へ。
「そりゃ『岩時の神体』じゃな」
「七支刀が、岩時の神体…………?」
「あと二つ『神体』と呼ばれるものがあるがのう。どれも元々はまっさらで、空っぽの『器』なのじゃ」
背筋がぞくっとし、ごくりとカナメは息を飲んだ。
「それはただの刀剣ではない。神々を召喚するための魔道具じゃ」
「神々を…………」
何と、恐れ多い。
霊獣では無く神々を呼ぶ『岩時の神体』を、この自分が授けられていたとは。
何かの間違いでは無いのだろうか。
「強い武器は、使う者を自分で選ぶ。注ぎ込む力により、働きが異なるからじゃ」
クスコは呟いた。
「おぬしはどうやら、久遠に試されておるようじゃの」
クスコの目は、真っ直ぐカナメを見据えている。
驚きが隠せず、空いたままの口が塞がらない。
それほどに大切なものを何故、久遠様は自分に与えたのであろう?
唐突に、カナメの頭に大地の顔が浮かび上がった。
『誰のせいでもねぇよ』
一番欲しかった言葉を、自分が一番苦しんでいた時にくれた、幼馴染。
その響きには、自他に対する甘えなど、一切含まれていない。
淡々と放つその口調には、経験から得た真実があった。
生死を分ける地獄を生き抜いた者にしか発せない、独特な響き。
天の原の竜宮城を学校に変え、校長をしていた梅と共に神々の子供たちに、人間という生き物について教える『先生』をしていた大地。
人では無く、白龍でも無く、誰の仲間にも入らない男。
孤高のドラゴン。
教師としては優秀だったようだが、大地は戦う事に慣れていない。
だから久遠は息子では無く、霊獣王となった自分に、この刀剣を預けたのでは無いだろうか。
大地が真の力に目覚める、その時を迎えるまで。
先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。
祭りが行われていた神社内部は、耳がつんとするほどの静けさである。
人々の笑顔はぴくりとも動かないため、絵の中に入ったように思える。
しかし、彼らに気を取られている暇はない。
紺色の着物の上に白い割烹着を着た白髪の夫人が、神社の社務所の中へ、青い目をした美女と共に、一人の少女の体を運び込んでいた。
梅と、ヒマリに扮したクスコである。
灯篭と提灯の明かりだけを頼りに、二人は畳の間に布団を敷いて結月を寝かせた。
黒龍側の忌まわしき者に気づかれぬよう、用心を重ねるに越した事は無い。
緊張した顔つきになり、正座をしながら梅はあたりを見回した。
クスコと連携を取り、天璇と同質だが微弱な結界を、この社務所全体に張り巡らせる。
「……私にも、天璇が使えるといいのですが」
「梅よ。ワシらはそれぞれに、相応しい使命というものがある。ひとまずは、これで『光る魂』を持つ者達を守れるじゃろ」
「はい」
諭すようなクスコの言葉に、悔しそうに梅は頷いた。
入口を警護していたハトムギが、社務所の戸を開けて小さな声をあげた。
「梅様。カナメ様が戻られました」
「入ってもらいなさい」
社務所に現れたカナメは、ボロボロに憔悴しきった表情を見せていた。
「おかえりなさい。カナメ」
「ただいま戻りました」
畳の間に入るとすぐ、カナメは梅とクスコに跪いた。
まるで懺悔をするかのように。
「とても疲れているようですが、大丈夫ですか?」
真っ白な顔色をしたカナメは、今にも倒れてしまいそうだと梅は感じた。
「…………大丈夫です。ありがとうございます、梅様。シュンはこちらに戻っておりませんか?」
「先ほどは見かけませんでしたよ。神社内を隅々まで見ておりませんでしたので、何とも言えませんが……」
「そうですか……」
やはり、戻っていなかったか。
クナドが出した、おかしな扉の中に吸い込まれ、シュンは一体どこへ追いやられたのであろう。
「ごめんなさいね、カナメ。私達も結月をこの部屋に運び込む事で、精一杯でした」
「その少女が『光る魂』の、持ち主の一人ですか」
カナメは少し戸惑いながら、布団に寝かされている結月に目を向けた。
すやすやと寝息を立て、少女は穏やかな表情で眠っている。
「そうです。彼女の魂は無事、体に戻りました。このまま安静にしていれば、そのうち意識が戻るでしょう」
「…………それは良かった」
まずは一人。
だが救えたのはまだ、たった一人。
残る四人の行方は不明のままだ。
自分に一体、何が出来た?
クナドと相対するだけで緊張した。
あの凄まじい力は、別格だ。
見たことも聞いたことも無い。
慣れ親しんだ者以外の、異質な存在に対する恐怖を、カナメは初めて感じ取った。
七支刀で呼び出せた霊獣は、たったの三体。
サワ。
サキ。
イズミ。
今は彼女らに、社務所の外を見張らせている。
やっと本殿に入れたと思ったら、クナドにまんまと出し抜かれ、シュンをどこかへと追いやられた。
あっという間に。
しかも最悪な事に、最後の最後で奴を見失った。
一体、あいつはどこへ落ちて行ったのだ。
まだ本殿の中なのだろうか。
カナメは、シュンの安否も気になっていた。
もし彼が、クナドが出したおかしな扉の世界を今も彷徨っているのだとしたら。
誰かが助け出さない限り永久に、その世界から抜け出せ無いのではないだろうか。
「……自分がもっとしっかりしていれば」
カナメは猛烈に自分を恥じた。
思い上がっていたのだ。
まだ何も成さぬうちから。
努力や経験を積み、力を蓄え、自信をつけ、身を粉にして働いた自分ならば、この神社を、人々を、守れるだろうと。
自分を過信し過ぎていたのだ。
霊獣王と呼ばれ、彼らを取りまとめる立場に身を置き、力のある自分にただ、酔っていたのである。
認められたのだという事実に舞い上がり、自惚れていた。
今の自分ならば誰よりもきっと、最高の結果が出せる、と。
だが。
完全なる思い上がりだった。
そのような常識は、霊獣たちの間でしか通用しない。
『神』が相手では到底、力が及ぶはずが無かったのだ。
わかりきっていたことだ。
だが。実際に『神』と戦ってみるまで、そのことに気づかぬふりをした。
知らないのをいいことに。
それが自分の甘さだ。
恥ずかしいにも程がある。
カナメは自分に対する嫌悪が抑えられず、七支刀を見つめた。
何故か、色が徐々に変化し始めているように思える。
「自分を責めても解決はせぬぞえ。これからの事を考えよ」
クスコの言葉に、カナメは急に我に返った。
「反省するのは良いが、後悔の連鎖は時を奪うだけじゃ。今おぬしが得たものこそ、のちに本物の武器となる」
「…………は」
カナメは目の前の女性を見た。
黄金に輝く両眼で何か探るように見つめると、自分を静かに見つめ返している真っ直ぐな黒髪の美女こそが、あのクスコだと解った。
不思議な畏怖の感覚が、カナメの体中を突き抜けた。
彼女から放たれている力は、崇拝する白龍・久遠よりもさらに強く、包み込むような優しさが感じられる。
「…………」
突然。
部屋の空気に変化が訪れた。
冷気を纏った風が、窓の隙間から吹き抜ける。
ほのかな花の香りが漂う。
────ボコボコッ!
────ボコボコッ!
床が小さく揺れ動く。
地震の兆候とは違う。
「クスコ様、この揺れは…………」
地面が生き物になったかのよう。
「……地震とは違うようじゃの」
結月から目を離さず、クスコは答えた。
突如、あたりの空気が変化した。
ほのかに温かい。
「あやつめ。ついにやりおったわい」
クスコはにやりと微笑んだ。
「もしかして今のは」
「大地の力ですか?」
カナメと梅が、同時に声を発した。
「そのようじゃ」
見込んだ通り。
大地は自分の力を開花させた。
思わぬ形で。
「大地は白龍が使う、天璇を覚えたようじゃぞえ」
みすまるの玉衡の力すら、今後は不要になるかも知れない。
それどころか。
やつは、伸びる。
土から生える植物のように。
想像よりも早すぎだと、クスコは感じていた。
これが最終的に、どういう結果を生むのか。
最悪の場合、恐らくは…………
あの深名に気づかれる。
大地の力の、真の脅威を。
カナメはふと、背中に刺していた白色の七支刀を手に取って見つめた。
「…………何故だ」
軽い。
それから、色が完全に変わった。
中央から真っ二つに分かれている。
白と黒へ。
「そりゃ『岩時の神体』じゃな」
「七支刀が、岩時の神体…………?」
「あと二つ『神体』と呼ばれるものがあるがのう。どれも元々はまっさらで、空っぽの『器』なのじゃ」
背筋がぞくっとし、ごくりとカナメは息を飲んだ。
「それはただの刀剣ではない。神々を召喚するための魔道具じゃ」
「神々を…………」
何と、恐れ多い。
霊獣では無く神々を呼ぶ『岩時の神体』を、この自分が授けられていたとは。
何かの間違いでは無いのだろうか。
「強い武器は、使う者を自分で選ぶ。注ぎ込む力により、働きが異なるからじゃ」
クスコは呟いた。
「おぬしはどうやら、久遠に試されておるようじゃの」
クスコの目は、真っ直ぐカナメを見据えている。
驚きが隠せず、空いたままの口が塞がらない。
それほどに大切なものを何故、久遠様は自分に与えたのであろう?
唐突に、カナメの頭に大地の顔が浮かび上がった。
『誰のせいでもねぇよ』
一番欲しかった言葉を、自分が一番苦しんでいた時にくれた、幼馴染。
その響きには、自他に対する甘えなど、一切含まれていない。
淡々と放つその口調には、経験から得た真実があった。
生死を分ける地獄を生き抜いた者にしか発せない、独特な響き。
天の原の竜宮城を学校に変え、校長をしていた梅と共に神々の子供たちに、人間という生き物について教える『先生』をしていた大地。
人では無く、白龍でも無く、誰の仲間にも入らない男。
孤高のドラゴン。
教師としては優秀だったようだが、大地は戦う事に慣れていない。
だから久遠は息子では無く、霊獣王となった自分に、この刀剣を預けたのでは無いだろうか。
大地が真の力に目覚める、その時を迎えるまで。