桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
天枢(ドゥーベ)
目の前にいたはずのさくらが突然、姿を消した。
「…………さくら!」
驚きのあまり、大地は彼女がいた場所へと駆け寄った。
気づくと自分が作り上げた天璇のバリアが、解除されている。
今まで命がけで守っていたさくらが、いきなり消えてしまったので、激しく動揺してしまう。
触れようと焦って手を伸ばしたが、指先まで虚しく、ただ空を切るだけだった。
「薄々気づいていたと思うけど」
桜の枝から飛び降りて、姫毬は大地の目の前に、すとんと着地してみせた。
「あれは本物のさくらじゃない。この『咲蔵』という場所が、君に見せていた幻だったんだ。使命を果たしたから、虚像が姿を消しただけ」
姫毬は「何も気にしなくていい」と言い切り、いつもの無表情に戻る。
「じゃあ、本物のさくらは」
「別な場所にいるという事」
大地は急激に気持ちが沈んだ。
やっと会えたと思っていたのに、あのさくらが虚像だったなんて。
「それよりも、体の具合はどんな感じ? 大地」
「ムズムズして…………、スゲェ、気持ちが悪い」
体中がどうもおかしい。痒いというより、無性に全身がくすぐったい。
異様なまでに動悸が激しい。
今までの自分じゃ無いような感覚。
姫毬は大地の頬に手を当てた。
「かなり熱を持っている。まだ安定には程遠いね。でも大丈夫」
彼女は探るような視線を大地に向け、小さく頷いた。
「…………?」
「使い方を知らないだけだよ」
神々ですら、見たことも聞いたことも無い『力』。
最古の水神も驚いているはずだ。
今の大地は、噴火する寸前の火山のようなのだから。
ここにいる女達が、放っておかないはずである。
最後まで勝ち抜いて、自身を死ぬまで守ってくれそうな存在を、女達は独自の嗅覚で、生き抜くために探し当てる。
もし先ほどの出来事が無かった場合、大地という男を獲得するために、欲深い女たちは彼の寵愛を得るため、永遠に死闘を繰り広げたであろう。
自分の見た目や体という極上の武器を、最大限に利用して。
さくら以外の女には見向きもしない大地は見事、回避することが出来たのだ。
女同士が血で血を洗う、最悪の修羅場を。
「まずは『天枢』を覚えればいい。ここを抜け出したいのなら」
「『天枢』?」
「うん。空間を正確に把握できる」
大地はあたりを見回した。
この空間には地平線と、桜の大樹が存在するだけである。
「今見ているものは、この時点で君が認識できているものだけなんだよ。本当の把握とは違うんだ」
そうだったのか。
大地は思いを巡らせた。
確かにここは、城の地下のはず。
屋内なのに地平線が見えたり、植物が芽を出したりするのはおかしい。
自分がきちんとこの場所を認識していないから、こういう風景に見えているだけなのか。
薄々気になってはいたが、自分が正確に目の前の場所を把握できていないというのは、大変恐ろしい事だと大地は思った。
「どうやって認識するんだ?」
まだ誰からも、呪文の使い方や、力の使い方を教えられていない。
「この桜の木に、手を当てて」
「…………」
大地は姫毬に言われた通り、桜の大樹の幹にそっと両手を当てた。
姫榊、白艶、黒艶の三人は、静かに大地の行動を見守っている。
「集中するんだ。この岩時城を『知りたい』という気持ちを、強く持つ」
「ああ」
大地は目を閉じた。
意識を集中させる。
知りたい。
この空間の情報を。
この岩時城全体を。
「力が『最大』まで湧いた感覚になった時に、『天枢』と念じて。声に出しても、出さなくてもいい」
姫毬の声が小さく聞こえる。
頭の中が真っ白になっていく。
体の感覚が無くなった。
まるで気体になったかのよう。
集中を深めると、何かが遠くに見えてくる。
「『天枢』」
────見えた。
この場所は────岩時神社だ。
白い大鳥居が海の上に、そびえ立っている。
大地はぐんぐん羽ばたくように、その大鳥居へと近づいていった。
両隣には灯篭が、ぷかりと水面から顔を出し、あたりを明るく照らしている。
石柱が新たに二つ、海の中から姿を現した。
向かって左の石柱の上に、獅子カナメが威風堂々と座している。
向かって右の石柱は空っぽだ。
本来いるはずの狛犬シュンが、どこかへと消えてしまっている。
鳥居の奥に、小さな鳥居が出現する。
さらに奥にも、小さな鳥居が現れる。
その奥にも、さらに小さな鳥居が現れた。
鳥居の列が、無限に連なる。
それらはやがて姿を変えた。
ひとつの塊が神社の拝殿へ。
もう一つの塊が神社の本殿へ。
本殿を真上から見下ろす。
屋根の隙間から、潜入を開始する。
気体と化した大地はするする中へと、入り込んでいく。
三つの神体がひとつずつ、石柱の上に安置されているのが見える。
一つ目は七支刀。
二つ目は小さな円鏡。
三つ目は大きめな盃だ。
どれも螺旋状に、二匹の龍が追いかけ合う装飾が施されている。
勾玉のような形の、白と黒のドラゴンだ。
巴の形になって渦巻き状に、互いの尾を追いかけ合っている。
大地は引き寄せられるように、三つ目の大きめな盃の中へと入り込んだ。
────ワッ!!!
まぶしい光が海面に当たる。
光を吸い込んだ海は、水の中を透かして見せ始めた。
深海の底から、珊瑚のごとく浮き沈みを繰り返す、巨大な岩時城が姿を現す。
六つの櫓に囲まれた天守閣。
それがどうやら岩時神社本殿の、ちょうど真下に位置するらしい。
「────あそこか」
天守閣の地下にある空間。
今いる『咲蔵』だ。
だが桜の巨木は存在しない。
色とりどりの巨大な珊瑚があたり一帯を覆い尽くし、鈍い光がその隙間を照らしている。
突如、中央に最古の水神の姿が浮かび上がった。
灰色の装束を身にまとい、黒くて大きな杖を持ち、緑色の頭巾を被っている、小さな老紳士。
得体の知れない無数の巨大な海の生き物が、彼を取り囲むようにして守っている。
白髪と口ひげが四方八方に伸びており、海の水に揺蕩うように揺れている。
『見えるのか。我が』
水神が声を発した。
体は小さいが、声は太くて深い、野性味溢れる響きを帯びている。
「お前…………誰だ」
『我が名は岩門別じゃ』
大地は実態となって、彼の目の前に姿を現した。
「…………イワタワケ?」
『たわけっ!』
この記念すべき出会いは、大地の些細な言い間違いにより、台無しになった。
『イワトワケだ!! よく聞かんか、このどアホがっ!!!』
岩門別と名乗った海神は大変憤慨し、大地をぎろりと睨みつけた。
『そなたこそ誰じゃ! 名を名乗れ!』
「あ、わりい。俺は大地だ。んじゃもうお前『トワケ』でいいな?」
覚えるのも呼ぶのもめんどくせ。
笑った大地に、怒号が飛ぶ。
『お前とは何事じゃー!! 勝手に我の呼び名を決めるでない!!』
「わ、ウルセーな。このジジイ」
『ジジイとは何事じゃー!!!』
叫び過ぎたトワケは、急に血の気が薄くなり、力尽きたような顔つきでバタッと地面に倒れ込んだ。