桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
特別な存在
夢の中? ────いや、違う。
ここは扉工房の中だ。
確か自分は黒い杖を振って奇妙な力を使い、虹の橋がある奇妙な場所へと、道の神クナドを追いやったはず。
紺野は辺りを見回した。
…………ドゥーべがいない。
またこの場所に、たった一人。
手の中の円鏡を覗き込むと、クナドの姿をした自分が蔑むような眼差しで、中からこちらを見つめている。
『お前に一体、何が出来た?』
円鏡の中の自分は怒りと絶望を浮かべながら、こちらを睨みつけている。
狂気に囚われそうになる自分自身が、動けないまま今もここにいる。
目を背けずに今度こそ、自身の深い『闇』と向き合わなければならない。
『特別な存在になればなるほど、お前の全てが彼女と自分を傷つける』
鏡の中の自分はこちらの目を見ながら、自嘲するように笑っている。
そんな事、わかってる。
『お前はこの気持ちから逃げたかった。彼女に惹かれるのが恐ろしくて』
鏡の中の自分が黒樺の杖を、円を描くように回す。
グルグル、グルグル────
空間が、ぐらりと揺れた。
放課後のチャイムが鳴る。
ここは岩時高校だ。
ちょうど一年前の記憶が、再現されているらしい。
「コンノ、また何かと闘ってる?」
立ち上がった紺野の側に、結月がそっと近寄って来る。
「石上さん」
ボーっとしている事が多く、小さな頃から時々こうやってからかわれた。
放課後の教室に二人きり。
これはチャンスかも知れない。
やっとあの事が聞ける。
本人に聞いてもはぐらかされそうなので、さりげなく結月に聞いてみる。
「昨日の放課後、委員長がずぶ濡れだったのって、僕のせいじゃないの?」
「コンノのせいじゃない。コンノの、イカレたファンクラブのせい」
「…………やっぱり」
激しい怒りがこみ上げる。
許せない事件が頻繁に続いていた。
さくらの教科書がゴミ箱に捨てられていたり、鞄の中に生卵や画鋲を入れられていたり、油性マジックで持ち物に落書きをされていたり。
『露木さくら、今日も全身ずぶ濡れだってー』
上手くいったよね!
校舎裏で偶然耳に入った、そんな女子達の立ち話。
『ザマァだよね、露木さん。リワのグループに目をつけられたんでしょ? 紺野君と仲良くしたりするからだよ、みんな我慢してんのにさ。公開処刑だよね? だってあの天然女は絶対、計算で接近したに決まってる。存在自体が罪だもん。いい気味!』
ようやく腑に落ちた。
紺野の想い人がさくらである事を見抜いた女子達が、勝手に内輪で作ったルールを言い訳に、彼女をいじめのターゲットにしていたのである。
────あまりに汚い。
そう感じずにいられない。
要は、憂さ晴らしではないか。
さくらとは気心の知れた幼馴染だから話しやすかったし、同じクラス委員だから接する機会が多いだけだった。
彼女をただ目で追うだけで心が華やぎ、その優しさに救われたのは確かだったけれど。
会話ができた日などは嬉しくなって、その瞬間を何度も何度も思い出してしまう。
そう感じるのは自分だけで、恋愛に発展しようが無い関係だったのに。
気づいた時にはもう遅く、守りたかったはずの彼女が、一番傷つけられていた。
「コンノは何も悪くない」
結月は無表情で、そう言い切る。
「それにもう、すっかり解決した」
「もう…………すっかり?」
結月は頷いた。
彼女が小さく指さした先には、制服姿のまま全身ずぶ濡れ状態になった女子7名の姿があった。
彼女らは、三階からバケツの水をかけられた昨日のさくらよりも酷い姿を晒しており、イライラした様子で自分たちのタオルを使い、ゴシゴシと体を拭いている。
「理由は知らないけど、さくらをいじめた全員が、勝手にプールに落ちたんだって」
その事件があった後、二度と彼女らは、露木さくらをいじめなくなった。
このように不可思議な出来事が起こったのは、今回が初めてではない。
露木さくらが中学一年生の時。
性行為に興味を持った複数の男子生徒が、人気のない岩時神社で彼女に無理やり暴行を働こうとした事がある。
その忌わしい事件は、未遂のまま防がれた。
学校の内外にまで噂は広まったが。
さくら本人はいたって無傷だったというし、何も危害を加えられなかったらしい。
詳細は謎のままだが、どういうわけか事件の翌日から10日間、暴行に関わった男子生徒全員が、学校を休んだ。
10日ぶりに登校した彼らは、人が変わったようになっていたという。
露木さくらをあからさまに恐れるようになり、それ以降は従順な犬のような素直さで、彼女の言う事だけはよく聞くようになっていた。
誰かがどこかで、露木さくらを傷つけようとしているものたちから、守ろうとしているとしか思えない。
その『何か』に守られていたという事実を、さくら本人は知っているのだろうか?
どうしても、不思議に思わずにいられなかった。
女子達がずぶ濡れになった事件から、何日か過ぎたある日。
放課後、さくらの方から声をかけられた。
「紺野君、これから帰るところ? 一緒に帰ろうよ! 同じ方向だし」
「…………うん」
あんな事があった後も彼女は自分を、下校に誘ってくれている。
二人で街中を歩きながら会話出来る事が、本当は嬉しくてたまらない。
直接伝えることはできないけれど。
「この間、ずぶ濡れだったけど、大丈夫? …………風邪引かなかった?」
────違う。
こんな風に聞きたいわけじゃない。
「うん、大丈夫。暑かったから。今が夏で、ホントに良かったー!」
夏服の彼女は、グッと伸びをするような仕草で両腕を上げ、からっとした笑顔で笑っている。
胸元の大きなリボンと少し伸びた彼女の髪が、サッと同時に揺れた。
「ここ、笑うところ」
「え?」
「紺野君、笑ってよ」
「ははは…………」
「………あ。無理してる」
「……僕は無理してないよ」
君は無理してないの?
あなたのせいで苦しんだのよと、怒りを露わに罵倒してくれた方が、どんなにか楽だろう。
謝罪を口にしたって、取り返しがつかない事を蒸し返したって、彼女が救われるわけでは無いけれど。
「────ごめんね」
もう少し早く気づいていれば、自分がもっと上手く、もっと早く、守れたのではないだろうか。
『ごめんね────好きになって』
自己満足なのだとしても、ちゃんと本人に自分の気持ちを全部伝えたうえで、もう一度ちゃんと謝れたのなら、どんなにいいだろう。
告白したら振られる結果が待ち構えているのは、わかっているけれど。
ドロドロした気持ち全てをぶつけるつもりは無いが、ちゃんと伝えれば自分の心は少しだけ報われて、さっぱりと晴れ渡るのかも知れない。
…………女々し過ぎる。
「どうして紺野君が謝るの?」
さくらはまた、からっと笑った。
「大丈夫だよ、私は。…………それどころじゃないんだもの」
「?」
「だってもうすぐ、夏祭りがあるでしょ?」
「……………………!」
さくらは心底、祭りが楽しみな様子で笑ってる。
「私ね、楽しみがあると頑張れるの」
あまりにも幸せそうに笑うから、羨ましくなってしまう。
彼女は自分の気持ちに、全く気づいていないみたいだ。
自分の『強さ』の秘密にも。
新しい浴衣の事で頭がいっぱいになるくらい、小さな神社の夏祭りが、どうしてこんなに楽しみなのか。
年に一度、大地に会えるのが嬉しいからだ。
さくらにとって誰よりも、特別な存在になれるのは、あの大地だけ。
彼女を救えるのは、自分では無い。
ずっと前から気づいていた。
痛くて苦しくて、辛くて悲しくて、つい妬んでしまう自分。
────矛盾している。
一番、幸せになって欲しいのに。
どうして、自分じゃ無いのだろう。
そういえば。彼女を守っている、得体の知れない『相手』って…………
その存在も、もしかしたら────
『キタヨ!』
これは…………ドゥーベの『念』?
慌てて目を覚ますと、そこは夢と同じ、扉工房の中だった。
だが、ドゥーベが飛んでいる。
小さな彼女は透明な翼をはためかせ、大きく旋回しながら、何かを紺野に伝えるように、手足をばたばたと動かしている。
「どうしたの? ドゥーベ」
……微弱な、黒天枢の力を感じる。
ガタガタッ!
ガタガタッ!
何かが、大きな音を立てながら動いている。
音の方角を見ると『桃色の扉』だけが、大きく揺れ動いている。
────バンッ!!
いきなり扉が開き、紺野とドゥーベは沸き起こった突風に飛ばされて後方へと吹っ飛び、地面へと叩きつけられた。
桃色の扉は一瞬で粉々に破壊され、モクモクと煙が上がっている。
尻をさすりながら起き上がると、扉があった方角から声がした。
「あー……まーた、間違えちまった」
徐々に煙が薄くなっていき、一人の男がその姿を現す。
声の主は、大地だった。
ここは扉工房の中だ。
確か自分は黒い杖を振って奇妙な力を使い、虹の橋がある奇妙な場所へと、道の神クナドを追いやったはず。
紺野は辺りを見回した。
…………ドゥーべがいない。
またこの場所に、たった一人。
手の中の円鏡を覗き込むと、クナドの姿をした自分が蔑むような眼差しで、中からこちらを見つめている。
『お前に一体、何が出来た?』
円鏡の中の自分は怒りと絶望を浮かべながら、こちらを睨みつけている。
狂気に囚われそうになる自分自身が、動けないまま今もここにいる。
目を背けずに今度こそ、自身の深い『闇』と向き合わなければならない。
『特別な存在になればなるほど、お前の全てが彼女と自分を傷つける』
鏡の中の自分はこちらの目を見ながら、自嘲するように笑っている。
そんな事、わかってる。
『お前はこの気持ちから逃げたかった。彼女に惹かれるのが恐ろしくて』
鏡の中の自分が黒樺の杖を、円を描くように回す。
グルグル、グルグル────
空間が、ぐらりと揺れた。
放課後のチャイムが鳴る。
ここは岩時高校だ。
ちょうど一年前の記憶が、再現されているらしい。
「コンノ、また何かと闘ってる?」
立ち上がった紺野の側に、結月がそっと近寄って来る。
「石上さん」
ボーっとしている事が多く、小さな頃から時々こうやってからかわれた。
放課後の教室に二人きり。
これはチャンスかも知れない。
やっとあの事が聞ける。
本人に聞いてもはぐらかされそうなので、さりげなく結月に聞いてみる。
「昨日の放課後、委員長がずぶ濡れだったのって、僕のせいじゃないの?」
「コンノのせいじゃない。コンノの、イカレたファンクラブのせい」
「…………やっぱり」
激しい怒りがこみ上げる。
許せない事件が頻繁に続いていた。
さくらの教科書がゴミ箱に捨てられていたり、鞄の中に生卵や画鋲を入れられていたり、油性マジックで持ち物に落書きをされていたり。
『露木さくら、今日も全身ずぶ濡れだってー』
上手くいったよね!
校舎裏で偶然耳に入った、そんな女子達の立ち話。
『ザマァだよね、露木さん。リワのグループに目をつけられたんでしょ? 紺野君と仲良くしたりするからだよ、みんな我慢してんのにさ。公開処刑だよね? だってあの天然女は絶対、計算で接近したに決まってる。存在自体が罪だもん。いい気味!』
ようやく腑に落ちた。
紺野の想い人がさくらである事を見抜いた女子達が、勝手に内輪で作ったルールを言い訳に、彼女をいじめのターゲットにしていたのである。
────あまりに汚い。
そう感じずにいられない。
要は、憂さ晴らしではないか。
さくらとは気心の知れた幼馴染だから話しやすかったし、同じクラス委員だから接する機会が多いだけだった。
彼女をただ目で追うだけで心が華やぎ、その優しさに救われたのは確かだったけれど。
会話ができた日などは嬉しくなって、その瞬間を何度も何度も思い出してしまう。
そう感じるのは自分だけで、恋愛に発展しようが無い関係だったのに。
気づいた時にはもう遅く、守りたかったはずの彼女が、一番傷つけられていた。
「コンノは何も悪くない」
結月は無表情で、そう言い切る。
「それにもう、すっかり解決した」
「もう…………すっかり?」
結月は頷いた。
彼女が小さく指さした先には、制服姿のまま全身ずぶ濡れ状態になった女子7名の姿があった。
彼女らは、三階からバケツの水をかけられた昨日のさくらよりも酷い姿を晒しており、イライラした様子で自分たちのタオルを使い、ゴシゴシと体を拭いている。
「理由は知らないけど、さくらをいじめた全員が、勝手にプールに落ちたんだって」
その事件があった後、二度と彼女らは、露木さくらをいじめなくなった。
このように不可思議な出来事が起こったのは、今回が初めてではない。
露木さくらが中学一年生の時。
性行為に興味を持った複数の男子生徒が、人気のない岩時神社で彼女に無理やり暴行を働こうとした事がある。
その忌わしい事件は、未遂のまま防がれた。
学校の内外にまで噂は広まったが。
さくら本人はいたって無傷だったというし、何も危害を加えられなかったらしい。
詳細は謎のままだが、どういうわけか事件の翌日から10日間、暴行に関わった男子生徒全員が、学校を休んだ。
10日ぶりに登校した彼らは、人が変わったようになっていたという。
露木さくらをあからさまに恐れるようになり、それ以降は従順な犬のような素直さで、彼女の言う事だけはよく聞くようになっていた。
誰かがどこかで、露木さくらを傷つけようとしているものたちから、守ろうとしているとしか思えない。
その『何か』に守られていたという事実を、さくら本人は知っているのだろうか?
どうしても、不思議に思わずにいられなかった。
女子達がずぶ濡れになった事件から、何日か過ぎたある日。
放課後、さくらの方から声をかけられた。
「紺野君、これから帰るところ? 一緒に帰ろうよ! 同じ方向だし」
「…………うん」
あんな事があった後も彼女は自分を、下校に誘ってくれている。
二人で街中を歩きながら会話出来る事が、本当は嬉しくてたまらない。
直接伝えることはできないけれど。
「この間、ずぶ濡れだったけど、大丈夫? …………風邪引かなかった?」
────違う。
こんな風に聞きたいわけじゃない。
「うん、大丈夫。暑かったから。今が夏で、ホントに良かったー!」
夏服の彼女は、グッと伸びをするような仕草で両腕を上げ、からっとした笑顔で笑っている。
胸元の大きなリボンと少し伸びた彼女の髪が、サッと同時に揺れた。
「ここ、笑うところ」
「え?」
「紺野君、笑ってよ」
「ははは…………」
「………あ。無理してる」
「……僕は無理してないよ」
君は無理してないの?
あなたのせいで苦しんだのよと、怒りを露わに罵倒してくれた方が、どんなにか楽だろう。
謝罪を口にしたって、取り返しがつかない事を蒸し返したって、彼女が救われるわけでは無いけれど。
「────ごめんね」
もう少し早く気づいていれば、自分がもっと上手く、もっと早く、守れたのではないだろうか。
『ごめんね────好きになって』
自己満足なのだとしても、ちゃんと本人に自分の気持ちを全部伝えたうえで、もう一度ちゃんと謝れたのなら、どんなにいいだろう。
告白したら振られる結果が待ち構えているのは、わかっているけれど。
ドロドロした気持ち全てをぶつけるつもりは無いが、ちゃんと伝えれば自分の心は少しだけ報われて、さっぱりと晴れ渡るのかも知れない。
…………女々し過ぎる。
「どうして紺野君が謝るの?」
さくらはまた、からっと笑った。
「大丈夫だよ、私は。…………それどころじゃないんだもの」
「?」
「だってもうすぐ、夏祭りがあるでしょ?」
「……………………!」
さくらは心底、祭りが楽しみな様子で笑ってる。
「私ね、楽しみがあると頑張れるの」
あまりにも幸せそうに笑うから、羨ましくなってしまう。
彼女は自分の気持ちに、全く気づいていないみたいだ。
自分の『強さ』の秘密にも。
新しい浴衣の事で頭がいっぱいになるくらい、小さな神社の夏祭りが、どうしてこんなに楽しみなのか。
年に一度、大地に会えるのが嬉しいからだ。
さくらにとって誰よりも、特別な存在になれるのは、あの大地だけ。
彼女を救えるのは、自分では無い。
ずっと前から気づいていた。
痛くて苦しくて、辛くて悲しくて、つい妬んでしまう自分。
────矛盾している。
一番、幸せになって欲しいのに。
どうして、自分じゃ無いのだろう。
そういえば。彼女を守っている、得体の知れない『相手』って…………
その存在も、もしかしたら────
『キタヨ!』
これは…………ドゥーベの『念』?
慌てて目を覚ますと、そこは夢と同じ、扉工房の中だった。
だが、ドゥーベが飛んでいる。
小さな彼女は透明な翼をはためかせ、大きく旋回しながら、何かを紺野に伝えるように、手足をばたばたと動かしている。
「どうしたの? ドゥーベ」
……微弱な、黒天枢の力を感じる。
ガタガタッ!
ガタガタッ!
何かが、大きな音を立てながら動いている。
音の方角を見ると『桃色の扉』だけが、大きく揺れ動いている。
────バンッ!!
いきなり扉が開き、紺野とドゥーベは沸き起こった突風に飛ばされて後方へと吹っ飛び、地面へと叩きつけられた。
桃色の扉は一瞬で粉々に破壊され、モクモクと煙が上がっている。
尻をさすりながら起き上がると、扉があった方角から声がした。
「あー……まーた、間違えちまった」
徐々に煙が薄くなっていき、一人の男がその姿を現す。
声の主は、大地だった。