桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

透明な扉

 ここは…………どこだ。

 何もかもが渇ききっている。

 大地はうっすらと目を開けた。

 確か、九頭龍が砂に変わり────

 自分を包み込んだのだ。

 先ほどまで沸き起こっていた、自分の怒りや憎しみ、切なさと悲しさと、やるせなさが嘘のように消えている。

 後悔が襲って来る。

 何一つ守れなかった。

 トワケの言葉も。

 姫鞠達も。

 紺野も。

 教えを思い出すどころか、黒玉衡を使ってあの九頭龍を、殺そうとしてしまった。

 憎しみにかられ、命を奪う。

 それ以外に血を奪われた紺野を救う方法が無いと、強く思ってしまった。
 
 そして意識も何もかもを失って────完全に負けた。

 黒の力に飲まれ、約束を破る。

 これでは誰も救えない。

 九頭龍を作り上げていた赤黒い砂は、徐々に色が抜けてゆく。

「────?」

 暗闇が嘘のように消えてゆく。

 死の覚悟を決めたはずなのに。

 冷たい風がサラサラと、透き通るくらい真っ白な砂を舞い上がらせる。

 今まで体中に纏わりついていた、払っても落ちなかった、いやな臭いがする赤黒い砂が、落ちてゆく…………

 ひんやりとした何もない空間に、天空から光の雨が降り注ぐ。

 その霊水によって、あっという間に穢れは洗い流されてしまった。

「…………?」

 世界の色がだんだん明るく、まぶしく、変わってゆく。

 サァー…………ッ────

 慈愛の雨は渇ききった土と砂を潤わせ、温かく満たし、蘇らせてゆく。

 大地はその雨を無我夢中でごくごくと飲み、乾いた喉を潤わせた。

「………これは」

 生気を蘇らせた大地は、瞳の色を緑色に輝かせ、大きく息を吸って吐き出した。

 すると大地の喉の奥から、小さな並木道が現れた。

 それらは根元からぐんぐん育っていき、上へ上へと伸びてゆく。

 成長した木に蕾がつき、勢い良く花が開き出す。

 桜の花が咲き乱れる。

 果てしなく続く、桜並木。

 大地の心は満たされて、想いが溢れ、涙がとめどなく溢れてくる。

 ────さくら。会いたい────

 九頭龍はいつしか真っ白な肌をした、温かな慈愛に溢れた美しい女性達の姿へと変わっていた。

「あなたたちを巻き込んで、本当にごめんなさい」

 大地はぽかんとしながら、彼女達の言葉に耳を傾けた。

「世界がこうして温かく、優しく、いつだって包み込んでくれていることに、私は気づけませんでした。どうお詫びすれば良いか、わかりません。なので、せめて、これを受け取ってくださいますか…………?」

 人間の手に戻った両手を、大地はふと見つめた。

 手の中に、小さな白い盃が現れた。

 大地は思わず、その盃に入った霊水を一気に飲み干した。

 耳がツンとするくらいの静けさの中、心と体がさらに清められてゆく。

 今まで生まれなかったはずの何かが、胸の奥からこみ上げる。

 はじめて大地は、自分の心が綺麗に洗われたことに気がついた。

 ドラゴンであっても人間であっても、その感覚は何ら変わらない。

 これは、揺光(アルカイド)だ。

 大地には、死にかかっていた姫鞠達が、息を吹き返す様子が一瞬だけ見えた。

 トワケに見せたい。

 この力を────









 扉工房の中で、大地は再び目を覚ました。

「……あれ」

 扉はほとんど破壊され、原形をとどめていない。

 ドゥーベが頭上を飛び回りながら喜び、紺野が大地の顔を覗き込んだ。

「良かった! 目が覚めた?」

 もうクナドでは無くなった彼は、白ポロシャツに薄グレーのスラックスを着ている。

「体は痛くない? 大地」

「…………ああ。お前どっちなんだ」

 頭がクラクラするが、何とか起き上がって声を絞り出す。

「紺野だよ」

「本当か?」

 クナドが紺野のふりをしている可能性も十分あり得る。

 すぐには信じられ無い。

「本当。やっと元に戻れた」

 紺野の微笑みは、温かくてとても柔らかい。

 クナドはもっと意地悪で、悪巧みをしているような笑みを浮かべるはずである。

 この表情を見て、大地は彼が本物の紺野和真だと、信じる気になった。

「元に戻れて良かったな、コンノ」

「うん。ありがとう。大地のおかげだよ」

「いや…………」

 自分は何も出来なかった。

 今は体が驚くほど軽く、生気に満ち溢れているのを大地は感じる。

 あれほど戦ったのに。

 みすまるを食べた紺野は以前、大地の傷を綺麗に治してくれた事がある。

 もしかして今回も、傷を癒してくれたのだろうか?

 起き上がった大地は、ぽつりぽつりと今までの出来事を話し出した。

「……コンノを背に乗せて奪い返した時の事までは、覚えてるんだけど。あの九頭龍は消滅したのか?」

 九頭龍に向けて黒玉衡(クスアリオト)を大量に放った後、大地は意識を失った。

「うん」

 静かに紺野が頷いた。

「なあ。今度はお前とクナドに、一体何が起こったんだ?」

 頭を掻きながら、紺野は申し訳無さそうに答える。

「僕にも、何が何だかよくわからないんだけど…………」

 紺野は大地に、クナドと自分に今まで起こった出来事の全てを話して聞かせた。

「それで九頭龍が俺に、最後に謝ってきたのか…………」

 九頭龍に血を吸われたという事を、紺野は既に知っている。

 そもそも吸血がどういう行為なのか、彼は気づいているのだろうか?

「お前は大丈夫なのか? 紺野」

 紺野は頷く。

「平気」

 彼の眼は、全てお見通しであるように感じる。

 大地はこれ以上、この会話を掘り下げない事に決めた。

 血の交換をしたんだ、平気なはずはない。

「許せねえなクナドの奴……」

「別に、僕はクナドに魂を奪われたわけじゃ無いから」

 許すも許さないも、無い。

 血を吸われた記憶は、傷ついた自分の記憶と共に、クナドの中に全て戻した。

「早く忘れる事にするよ」

 大地はこの言葉に驚き、紺野の強靭な精神力に舌を巻いた。

「クナドのしたことは全て、クナドに返るだけの事だからね」

 しばらくの間、言葉を失う。

 コンノはこんなもに強く、頼もしい男だったのか。

 救いたかった筈なのに、自分の方が救ってもらっている。

 結月の時と同じだ。

「情けねえな、俺は……」

「そんな事は無いよ。助けに来てくれて、本当に嬉しかった」

 大地は少し笑った。

 自分より、本当は紺野の方が強いのかも知れない。

 心が。

「コンノ。俺はいつか、さくらの血を吸う」

 紺野は驚いて、顔を上げた。

「何故それを僕に?」

「お前は俺のライバルだからな」

「……!」

「好きなんだろ? さくらの事が」

 紺野はそれに答えず、質問に質問で返した。

「委員長が君の婚約者って本当?」

「……ああ。あいつだけは誰にも譲れない。お前にもな」

「うん」

「あいつの事を、俺以上に好きな奴はいない。さくらは俺が幸せにする」

 紺野がどんな想いを抱えていても、さくらだけは譲れない。

「わかった」

 ……羨ましいよ。

 その言葉を飲み込み、紺野は話を変えるように扉工房の中央を指さした。

「見て。大地」

 見たことのない新たな扉が、ポツンと一つ出現している。

 黄金色のドアノブがついた、透き通った大きな扉だ。

 あの透明感…………

 先ほど飲んだ、霊水を思わせる。

「これ、クナドが僕たちのために出した、元の世界に帰るための扉なんじゃないかな」

 興味深そうに紺野は言った。

 白龍側にも黒龍側にも染まらない、水や空気を思わせる扉である。

 慌てて大地は首を横に振った。

「クナドはお前らの『魂』を狩ろうとしていたんだぞ? まさかあいつが改心して、俺らを助ける気になったとでも言うのか?」

 紺野はもう一度、腕組みをしながら扉を見た。

「さぁ」

 仮世界のサンプル扉などではない、クナドが渾身の力を込めて作った扉。

 この扉からは、そんな力強さを感じる。

 いつもふざけてばかりいたクナドの、大地と紺野に対する精一杯の、謝罪の証なのでは無いだろうか。

 紺野は持っていた円鏡を使って、さくら達の行方を大地に見せた。

「大地。仲間は多分、全員ここに囚われている」

「みんな無事なのか?」

「うん」

 ドゥーベも進んで協力し、目の前に同じ映像を映し出してくれる。

 扉ばかりが固まってできた、二時の方角の扉工房。

「今、僕たちがいる場所がここ」

 珊瑚がグネグネと絡み合う四時の方角の塔は、姫榊達が踊っていた饗宴の舞台がある場所だ。

 紺野は巨大な岩が乱立する、六時の方角を指差した。

「この場所に、岩の神フツヌシに囚われた凌太がいる」

「……!」

 さらに紺野は、乳白色の羽衣の形をした、八時の方角の城を指差した。

「委員長はここにいる。ナユナンという少年と従者に囚われてる」

 紺野はさくらの状況を詳しく、大地に見せた。

「…………」

 紺野は螺旋状に作られた、十時の方角にある巨大迷路を指差した。

「羽山さんがここにいる。時の神スズネにピアノを弾かされてるんだ」

「スズネがリツを?」

 ハトムギを追い詰めたスズネを、苦々しく大地は思い出していた。

 十二時の方角には虹色の橋がある。

「ここを見て」

 虹の橋のたもとが映し出される。

 光沢のある白い真珠が、いくつか積み重ねられている。

「落ちているのは、クナドの涙だ」

 紺野は九頭龍がクナドを殺さず、許した瞬間を思い出した。

「クナドはまだ、生きていると思う」

 その瞬間。

 ────バタン!

 透明な扉が、勢い良く開いた。

「大地よ!」

 ヒマリの姿をしたクスコが現れた。

「クスコ!」


「久しぶりじゃの」


 梅とカナメも、扉の奥から現れた。
 
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