桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
動き出した時間
螺旋城(ゼルシェイ)に響く音
堅牢な螺旋城は、呼吸をしながら生きている。
この城は遠い過去に、全世界を支配していた時の神が、美しい姫君を閉じ込めておくために作り上げたと伝えられている。
13歳の少女マユランは、生まれた時からこの城で何不自由なく生きて来た。
食べたい食糧は好きなだけ、召使のジンが届けてくれる。
そういえば最近、身の回りの世話をしてくれる召使が、また変わった。
ジンは狼に変身できる寡黙な青年で、元々は人間の世界で生きていたのだという。
広々とした部屋で安心して眠れるのであればマユランは、ジンがもともとは狼だろうと殺し屋だろうと、一向に構わなかった。
時間が止まったこの城は、外部から完全に隔離されているので、大切な何かを隠すには、うってつけの場所である。
暗赤色の珊瑚が複雑怪奇な螺旋を描いて伸びあがり、絡み合いながら成長したその城は、美しい迷路と化していた。
城の中以外の出来事など、マユランには知る由もなかった。
情報を知る術が、無かったからである。
10人ほどいた兄や姉が次々と消えたにも関わらず、マユランは呑気なもので「きっとみんな、この城の生活に飽きてしまわれたのだわ」くらいにしか思わなかった。
螺旋城が兄たちを、ムシャムシャと食べてしまったなどとは、マユランは夢にも思っていない。
果たして彼らは本当に、無事、外へ逃げ出せたのだろうか。
マユランには現実の厳しさも、残酷さも、何も理解出来ていなかったのである。
一番下の弟にあたるナユナンが最後に行方不明になってからしばらく経つが、方向音痴で迷路が苦手なマユランは、ナユナンを探し出すことはおろか、城から抜け出すことさえ出来なかった。
自分はこの城の中で死ぬのだと思っていたし、外へ出たいと思った事も無い。
母親であるユナがたった一人、城の中に取り残されてしまうのも心配である。
5歳のナユナンがいなくなってからというもの、母親のユナは過去の記憶を全て捨て、自分の笑顔や思い出さえどこかへと、閉じ込めてしまったように見える。
ユナはもう喋らない。
動かない。
こちらを見ようともしない。
以前は笑っていたのに。
怒っていたのに。
泣いていたのに。
今は食べ物を与えても、ただ自動的にほんの少し食べるだけ。
これでは彼女が本当に生きているのかどうかも、良くわからない。
彼女と関わろうとすればするほど、陰気な気分が襲ってくる。
この母親の雰囲気によるものなのか、自分が生きているたった一つの世界だというのに、マユランは呼吸をする事さえ苦しくなっていた。
助けてくれる人などは、どこにもいない。
もうユナとジン以外の生き物が、マユランの前に姿を現すことは無くなっていた。
はたから見ると、狂った世界なのかも知れない。
けれどマユランは、最後に残った自分こそが、誰よりも幸せなこの城の『王女』なのだと、自分に言い聞かせながら生きてきた。
忘れ去られた城の中に、マユランは静かなユナと、召使のジンとたったの三人。
音など、無くて当たり前。
そのはずが。
「?」
マユランは黄緑色の瞳を見開いて椅子から立ち上がり、震えながら声を発した。
「何か聞こえるわ!」
螺旋城の時間は止まっており、長きにわたり音なんて聞こえなかったはずなのに。
今はキラキラした綺麗な音色が、重なりながら聞こえてくる。
「お母様…………聞こえますか?」
マユランが声をかけたにも関わらず、玉座に腰かけた母親のユナは無表情のまま娘の方を見ようともせず、返事もしない。
ナユナンが行方不明になってからというもの、ユナはいつもこんな調子なのである。
無気力のまま、ただ時間が過ぎるのを待つだけになってしまった。
興奮状態のマユランは、そんな母親の態度など意に介さず、音に耳を傾けた。
「ジン、ジン! 一大事よ」
扉の向こうから、たった一人の召使が姿を現した。
「お呼びでしょうか、姫様」
「この音が聞こえる? ジン」
「…………ええ」
とくん、とマユランの心臓は、音を立てた。
ぞくりと肌が泡立って、いてもたってもいられない。
まぶしい光を見たことも、美しい音楽を聞いたことも無いマユランにとって、こんな刺激を受けたのは、生まれて初めての経験にあたる。
「…………」
その音色はどこか物悲しげで、泣き叫んでいるかのようだ。
激しくて重たい怒りに満ちている。
けれど、繊細でとても美しい。
涙が次から次へと溢れ出てくるのを、マユランは止められなくなった。
────これ、どこから聞こえるの?
玉座に座ったままの母親は、マユランの方を見ようともしない。
その蒼黒の瞳は虚ろな様子で、目の前の空間をただ見つめている。
「私、見に行ってみます!」
そう言うなり、マユランは音がする方角へと走り出した。
「あっ! 姫様!」
ジンは慌てて、マユランの後を追いかけた。
聞いたことの無い旋律。
キラキラと輝く音色。
音がする場所に向かって、マユランとジンの二人は、螺旋城の中を無我夢中で走り回った。
城の壁が音色に合わせ、微かに震えている。
まるで螺旋城の魂が、蘇っていくようだ。
「きっと大広間よ!」
マユランは息を切らしながら、足を止めた。
城で一番大きな大広間を、螺旋階段のてっぺんから見下ろした。
五千人くらいなら余裕で入れる広さの床に、ステンドグラスの窓からは、見たことの無いくらいにまぶしい光が、燦燦と注ぎ込まれている。
他には誰も住んでいないはずのこの城に────誰かがいる。
艶やかで美しい『音色』によって、蘇った城が一斉に震え出す。
マユランとジンは身をかがめ、巨大珊瑚でできた柱の陰にそっと隠れた。
「何、あれ…………」
大広間の中央には艶やかで大きくて赤く、片側が奇妙に湾曲した何かが見えた。
後からわかるのだが、それは『ピアノ』という名の楽器のようだった。
マユランよりも大人に見える少女が、同じ色の椅子に深く座り、白くて細い鍵盤部分に触れながら、美しい音を奏でている。
「魂が揺さぶられる、素晴らしい音ね! さすがは私の娘よ、律!」
律と呼ばれた少女の横には、赤くて奇妙な装束を身にまとった、ほっそりとした美しい女が立っていた。
透き通るような長い金髪と紫色の瞳が、意地悪そうに揺らめいている。
「ありがとう、スズネお母様」
鍵盤から手を離した律は、にこりともせずスズネを見上げ、そう答えた。
この城は遠い過去に、全世界を支配していた時の神が、美しい姫君を閉じ込めておくために作り上げたと伝えられている。
13歳の少女マユランは、生まれた時からこの城で何不自由なく生きて来た。
食べたい食糧は好きなだけ、召使のジンが届けてくれる。
そういえば最近、身の回りの世話をしてくれる召使が、また変わった。
ジンは狼に変身できる寡黙な青年で、元々は人間の世界で生きていたのだという。
広々とした部屋で安心して眠れるのであればマユランは、ジンがもともとは狼だろうと殺し屋だろうと、一向に構わなかった。
時間が止まったこの城は、外部から完全に隔離されているので、大切な何かを隠すには、うってつけの場所である。
暗赤色の珊瑚が複雑怪奇な螺旋を描いて伸びあがり、絡み合いながら成長したその城は、美しい迷路と化していた。
城の中以外の出来事など、マユランには知る由もなかった。
情報を知る術が、無かったからである。
10人ほどいた兄や姉が次々と消えたにも関わらず、マユランは呑気なもので「きっとみんな、この城の生活に飽きてしまわれたのだわ」くらいにしか思わなかった。
螺旋城が兄たちを、ムシャムシャと食べてしまったなどとは、マユランは夢にも思っていない。
果たして彼らは本当に、無事、外へ逃げ出せたのだろうか。
マユランには現実の厳しさも、残酷さも、何も理解出来ていなかったのである。
一番下の弟にあたるナユナンが最後に行方不明になってからしばらく経つが、方向音痴で迷路が苦手なマユランは、ナユナンを探し出すことはおろか、城から抜け出すことさえ出来なかった。
自分はこの城の中で死ぬのだと思っていたし、外へ出たいと思った事も無い。
母親であるユナがたった一人、城の中に取り残されてしまうのも心配である。
5歳のナユナンがいなくなってからというもの、母親のユナは過去の記憶を全て捨て、自分の笑顔や思い出さえどこかへと、閉じ込めてしまったように見える。
ユナはもう喋らない。
動かない。
こちらを見ようともしない。
以前は笑っていたのに。
怒っていたのに。
泣いていたのに。
今は食べ物を与えても、ただ自動的にほんの少し食べるだけ。
これでは彼女が本当に生きているのかどうかも、良くわからない。
彼女と関わろうとすればするほど、陰気な気分が襲ってくる。
この母親の雰囲気によるものなのか、自分が生きているたった一つの世界だというのに、マユランは呼吸をする事さえ苦しくなっていた。
助けてくれる人などは、どこにもいない。
もうユナとジン以外の生き物が、マユランの前に姿を現すことは無くなっていた。
はたから見ると、狂った世界なのかも知れない。
けれどマユランは、最後に残った自分こそが、誰よりも幸せなこの城の『王女』なのだと、自分に言い聞かせながら生きてきた。
忘れ去られた城の中に、マユランは静かなユナと、召使のジンとたったの三人。
音など、無くて当たり前。
そのはずが。
「?」
マユランは黄緑色の瞳を見開いて椅子から立ち上がり、震えながら声を発した。
「何か聞こえるわ!」
螺旋城の時間は止まっており、長きにわたり音なんて聞こえなかったはずなのに。
今はキラキラした綺麗な音色が、重なりながら聞こえてくる。
「お母様…………聞こえますか?」
マユランが声をかけたにも関わらず、玉座に腰かけた母親のユナは無表情のまま娘の方を見ようともせず、返事もしない。
ナユナンが行方不明になってからというもの、ユナはいつもこんな調子なのである。
無気力のまま、ただ時間が過ぎるのを待つだけになってしまった。
興奮状態のマユランは、そんな母親の態度など意に介さず、音に耳を傾けた。
「ジン、ジン! 一大事よ」
扉の向こうから、たった一人の召使が姿を現した。
「お呼びでしょうか、姫様」
「この音が聞こえる? ジン」
「…………ええ」
とくん、とマユランの心臓は、音を立てた。
ぞくりと肌が泡立って、いてもたってもいられない。
まぶしい光を見たことも、美しい音楽を聞いたことも無いマユランにとって、こんな刺激を受けたのは、生まれて初めての経験にあたる。
「…………」
その音色はどこか物悲しげで、泣き叫んでいるかのようだ。
激しくて重たい怒りに満ちている。
けれど、繊細でとても美しい。
涙が次から次へと溢れ出てくるのを、マユランは止められなくなった。
────これ、どこから聞こえるの?
玉座に座ったままの母親は、マユランの方を見ようともしない。
その蒼黒の瞳は虚ろな様子で、目の前の空間をただ見つめている。
「私、見に行ってみます!」
そう言うなり、マユランは音がする方角へと走り出した。
「あっ! 姫様!」
ジンは慌てて、マユランの後を追いかけた。
聞いたことの無い旋律。
キラキラと輝く音色。
音がする場所に向かって、マユランとジンの二人は、螺旋城の中を無我夢中で走り回った。
城の壁が音色に合わせ、微かに震えている。
まるで螺旋城の魂が、蘇っていくようだ。
「きっと大広間よ!」
マユランは息を切らしながら、足を止めた。
城で一番大きな大広間を、螺旋階段のてっぺんから見下ろした。
五千人くらいなら余裕で入れる広さの床に、ステンドグラスの窓からは、見たことの無いくらいにまぶしい光が、燦燦と注ぎ込まれている。
他には誰も住んでいないはずのこの城に────誰かがいる。
艶やかで美しい『音色』によって、蘇った城が一斉に震え出す。
マユランとジンは身をかがめ、巨大珊瑚でできた柱の陰にそっと隠れた。
「何、あれ…………」
大広間の中央には艶やかで大きくて赤く、片側が奇妙に湾曲した何かが見えた。
後からわかるのだが、それは『ピアノ』という名の楽器のようだった。
マユランよりも大人に見える少女が、同じ色の椅子に深く座り、白くて細い鍵盤部分に触れながら、美しい音を奏でている。
「魂が揺さぶられる、素晴らしい音ね! さすがは私の娘よ、律!」
律と呼ばれた少女の横には、赤くて奇妙な装束を身にまとった、ほっそりとした美しい女が立っていた。
透き通るような長い金髪と紫色の瞳が、意地悪そうに揺らめいている。
「ありがとう、スズネお母様」
鍵盤から手を離した律は、にこりともせずスズネを見上げ、そう答えた。