桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
最強神の涙
最強神の部屋では、ヒマリに扮した深名孤が現状に気づき、大声で泣き始めていた。
「これは…………ワシの部屋か! ワシャ、反転してしもうたのかぁ!」
ぽろぽろぽろー。
「なんということじゃああああ!!」
ぽろぽろぽろー。
光り輝く涙は勾玉になってぽろぽろと零れ、床の上にどんどん溜まってゆく。
「これは一体…………」
久遠は驚きの声をあげた。
最強神の側近になって間もない久遠だが、深名斗と深名孤の反転を直視するのは二度目である。
二体の最強神に『反転』という奇怪な現象が起きる事実は、ほとんどの神が書物による知識しか得られ無かったが。
彼女が無事で、本当に良かった。
と、いうことは、今は深名様がクスコになったのか。
どういう結果を生むのだろう。
あの傲慢で最悪な方の『深名様』が、この部屋からいなくなった。
反転の力によって、見捨てようとした人間世界に自ら飛び込んでしまったのだ。
なんと清々しい…………などと感じている場合ではない。
大地が心配だ。
今、大地の側にいるのは、他でもないあの深名様なのだから。
絶句しているのは爽の方で、彼は泣いている深名孤をただただ凝視している。
ひたすら修理の作業を進めていたが、爽はあやうく手に持っていた四角い灰色のゲーム機に似た『人間世界』を、黒光りする床へと落としそうになってしまう。
少し落ち着きを取り戻した久遠とは逆に、爽の心はどんどん混乱していく。
それでも彼は、修理道具と『人間世界』をテーブルの上に静かに置き、深名孤の方へやっと体を向けた。
胸の内がざわつく。
人間世界が故障してからというもの、修理の対応に追われていたため、深名孤が姫毬そっくりの姿に変身していた事を、時の神・爽は今の今まで忘れていた。
まさか、深名孤がこれほど自分の妻そっくりの姿に変身していたなんて…………。
声が同じというだけではない。
揺蕩う青い瞳の色を除き、全くの瓜二つ。
一番美しかった時の、姫毬の容姿。
「…………」
大斧で心臓を割られたような衝撃である。
時の神の最上位として世に君臨した者が、自ら課した掟とは。
動揺してはいけない、ということ。
爽は初めて、掟を破ってしまった。
「深名様、ご無事で何よりでした」
久遠が深名孤に声をかけ、彼女の方へ歩み寄った。
「反転が起こり、ワシは大地から引き離された。もう、あの場所へは戻れぬのかえ…………」
深名孤は心のままに、爽に向かって叫び出した。
「爽よ、いつワシは、あの場所へ戻れるのじゃ!」
「…………」
時の神の最上位にも、最強神の行く末ばかりはわからない。
時を生み出して操ることは出来るが、最強神の体調を管理する事だけは到底、出来るはずが無かった。
深名孤と深名斗の状態を改善できるのは、最強神である彼ら二体だけなのである。
深名孤は泣きながら爽に近寄り、彼の胸を三度叩いた。
ドン!
ドン!!
ドン!!!
「ワシが応援してやる、と大地に言ったのじゃ! これでは約束が果たせぬ! 爽よ、時を元へ戻すのじゃ!」
「…………」
爽は深名孤の言葉に、返答出来ずにいる。
時の神の体は、微かに震えていた。
人間世界は故障しており、今は動かすことが出来ない。
そればかりか、修理できるという自信が全く持てない。
愛する妻と同じ容姿を腕の中に抱き、激しく動揺してしまったから。
どこの誰ともわからぬ男に、血を穢されたあの美しい妻。
口惜しさと、哀れみと、同情と、殺意と、嫌悪。
彼女を思い出すのは、あの感情を思い出すのと同じ事だった。
爽の白銀色のマントは彼の胸で泣く深名孤の涙で、ぐしょぐしょになっている。
思わず爽は、妻にそっくりな深名孤を引き寄せ、強く抱きしめていた。
生きている。
とても温かい。
彼女をなだめるように、爽はその背中をそっとさすった。
まるで自分の妻を抱きしめているような気持ちになる。
今、自分に八つ当たりをしているのが、自分が抱きしめているのが、本物の姫毬だったならどんなにかいいだろう。
彼女の叫びを全て受け入れ、泣きわめく感情を全て受け止められたのなら、どんなにか嬉しいだろう。
ああ。自分は今でも、こんなにも彼女を求めている。
時は少しも、動いていない。
彼女を愛している。
爽は今、そんな自分の気持ちを手に取るように感じてしまった。
「クスコ。いえ、深名孤。…………落ち着いて下さい。あなたらしくない」
久遠も深名孤をなだめるように、師匠の肩に手を当てた。
彼女をこの名前で呼ぶのは一体、いつぶりだろう。
大地が生まれる直前あたりだったろうか。
「ご無事で何よりです、深名孤。生きていて下さって、本当に良かった」
最強神・深名斗の乱心。
それは全てを投げ出し、自殺行為に及ぼうとした事。
どうも、今回の深名斗の乱心と二体の最強神が人間世界で何かを手放したこととは、深い関係があるらしい。
側近以外の大部分の神々は、最強神がどういう存在なのか知らなかった。
近づくことも、話しかけることも、禁じられていたからである。
そのため神々の多くは、最強神が本当は二体おり、互いの尾を常に追いかけ合う存在であるという事すら、知らなかったのである。
久遠をはじめとする『七神』と呼ばれる側近達は、深名斗の衝動を抑えるのに必死だった。
うっかりすると深名孤を殺し、自分も死のうとしてしまう。
反対の存在である深名孤を殺せば、自分が死ぬことも可能である。
その行為を止めるために作り上げたのが、この『隔離室』である。
最強神の部屋とは名ばかりの、同じ作りになった二対の部屋。
ここは力をある程度封じ込めるために作り出された部屋で、二体の最強神を決して会わせない事によって、神々は世界の均衡を保とうとした。
ところが。この隔離室作戦は、最強神二体の体を最も弱く、心を最も強くさせた。
ある程度の憎しみが生きる原動力になる可能性は、極めて高い。
その力が反転し、何かの現象を生み出せるからだ。
だが何もかもを蔑みながら退屈を持て余す闇の心は、本当に手に負えない。
今の深名斗は隔離室という狭い空間の中で、最強の闇のエネルギーを貯めてしまった、世界最大の怪物という事になる。
体の弱体化が解消されれば人間世界はおろか、全世界が塵と化す可能性が高い。
深名孤は熱く、彼女の声は震えている。
「ワシらしいとはなんじゃ! 常に落ち着いておることかえ? ワシは大地に約束したのじゃ。ワシがついてるぞえ。安心せい、とあやつに言ったのじゃ! ワシは大地との約束だけは絶対に、破るわけにはいかぬのじゃ!」
「側にいなくたって、応援は出来るはずです」
「…………」
「あなたは最強神。ですが、決して万能じゃない。それを一番わかっているのは、あなた自身では無いですか。……たかが反転くらいで、なんと情けない!」
たかが反転。
久遠が説教している。
最強神である自分に。
深名孤は泣きながら、笑い出しそうになった。
「万能ではないのはここにいる私も、爽も同じです」
心身共にいくら成熟したところで、生きている限りこれで終わりという事は無い。
成長しようという気概を持たなければ、衰え続けるだけだ。
久遠が可愛らしくて小さな子供だった頃を、深名孤はよく知っている。
そうか。老いると誰もがこんな風に、若い者に諭されるものなのだ。
これぞ反転ではないか。
「もっとしっかりして下さい。あの方に殺されそうになった妻を見事救い出し、私の心を救ってくださったのは深名孤、あなたではありませんか」
爽の胸でなおも泣きじゃくりながら深名孤は、久遠の言葉にじっと耳を傾けた。
「まだ何も始まっておりませんし、何も終わってはおりません。私の息子はあなたが側にいないくらいで気を落とし、命を粗末にするような男ではありません」
深名孤は頷き、やっと爽の胸から顔を上げた。
「久遠よ、すまぬのう。……ワシは愚かであった。もっとシャキッとせねばならぬな」
たった一つの存在を除いては、心の中で世界の全てを受け入れる。
深名孤は再び、自分にそう誓った。
「これは…………ワシの部屋か! ワシャ、反転してしもうたのかぁ!」
ぽろぽろぽろー。
「なんということじゃああああ!!」
ぽろぽろぽろー。
光り輝く涙は勾玉になってぽろぽろと零れ、床の上にどんどん溜まってゆく。
「これは一体…………」
久遠は驚きの声をあげた。
最強神の側近になって間もない久遠だが、深名斗と深名孤の反転を直視するのは二度目である。
二体の最強神に『反転』という奇怪な現象が起きる事実は、ほとんどの神が書物による知識しか得られ無かったが。
彼女が無事で、本当に良かった。
と、いうことは、今は深名様がクスコになったのか。
どういう結果を生むのだろう。
あの傲慢で最悪な方の『深名様』が、この部屋からいなくなった。
反転の力によって、見捨てようとした人間世界に自ら飛び込んでしまったのだ。
なんと清々しい…………などと感じている場合ではない。
大地が心配だ。
今、大地の側にいるのは、他でもないあの深名様なのだから。
絶句しているのは爽の方で、彼は泣いている深名孤をただただ凝視している。
ひたすら修理の作業を進めていたが、爽はあやうく手に持っていた四角い灰色のゲーム機に似た『人間世界』を、黒光りする床へと落としそうになってしまう。
少し落ち着きを取り戻した久遠とは逆に、爽の心はどんどん混乱していく。
それでも彼は、修理道具と『人間世界』をテーブルの上に静かに置き、深名孤の方へやっと体を向けた。
胸の内がざわつく。
人間世界が故障してからというもの、修理の対応に追われていたため、深名孤が姫毬そっくりの姿に変身していた事を、時の神・爽は今の今まで忘れていた。
まさか、深名孤がこれほど自分の妻そっくりの姿に変身していたなんて…………。
声が同じというだけではない。
揺蕩う青い瞳の色を除き、全くの瓜二つ。
一番美しかった時の、姫毬の容姿。
「…………」
大斧で心臓を割られたような衝撃である。
時の神の最上位として世に君臨した者が、自ら課した掟とは。
動揺してはいけない、ということ。
爽は初めて、掟を破ってしまった。
「深名様、ご無事で何よりでした」
久遠が深名孤に声をかけ、彼女の方へ歩み寄った。
「反転が起こり、ワシは大地から引き離された。もう、あの場所へは戻れぬのかえ…………」
深名孤は心のままに、爽に向かって叫び出した。
「爽よ、いつワシは、あの場所へ戻れるのじゃ!」
「…………」
時の神の最上位にも、最強神の行く末ばかりはわからない。
時を生み出して操ることは出来るが、最強神の体調を管理する事だけは到底、出来るはずが無かった。
深名孤と深名斗の状態を改善できるのは、最強神である彼ら二体だけなのである。
深名孤は泣きながら爽に近寄り、彼の胸を三度叩いた。
ドン!
ドン!!
ドン!!!
「ワシが応援してやる、と大地に言ったのじゃ! これでは約束が果たせぬ! 爽よ、時を元へ戻すのじゃ!」
「…………」
爽は深名孤の言葉に、返答出来ずにいる。
時の神の体は、微かに震えていた。
人間世界は故障しており、今は動かすことが出来ない。
そればかりか、修理できるという自信が全く持てない。
愛する妻と同じ容姿を腕の中に抱き、激しく動揺してしまったから。
どこの誰ともわからぬ男に、血を穢されたあの美しい妻。
口惜しさと、哀れみと、同情と、殺意と、嫌悪。
彼女を思い出すのは、あの感情を思い出すのと同じ事だった。
爽の白銀色のマントは彼の胸で泣く深名孤の涙で、ぐしょぐしょになっている。
思わず爽は、妻にそっくりな深名孤を引き寄せ、強く抱きしめていた。
生きている。
とても温かい。
彼女をなだめるように、爽はその背中をそっとさすった。
まるで自分の妻を抱きしめているような気持ちになる。
今、自分に八つ当たりをしているのが、自分が抱きしめているのが、本物の姫毬だったならどんなにかいいだろう。
彼女の叫びを全て受け入れ、泣きわめく感情を全て受け止められたのなら、どんなにか嬉しいだろう。
ああ。自分は今でも、こんなにも彼女を求めている。
時は少しも、動いていない。
彼女を愛している。
爽は今、そんな自分の気持ちを手に取るように感じてしまった。
「クスコ。いえ、深名孤。…………落ち着いて下さい。あなたらしくない」
久遠も深名孤をなだめるように、師匠の肩に手を当てた。
彼女をこの名前で呼ぶのは一体、いつぶりだろう。
大地が生まれる直前あたりだったろうか。
「ご無事で何よりです、深名孤。生きていて下さって、本当に良かった」
最強神・深名斗の乱心。
それは全てを投げ出し、自殺行為に及ぼうとした事。
どうも、今回の深名斗の乱心と二体の最強神が人間世界で何かを手放したこととは、深い関係があるらしい。
側近以外の大部分の神々は、最強神がどういう存在なのか知らなかった。
近づくことも、話しかけることも、禁じられていたからである。
そのため神々の多くは、最強神が本当は二体おり、互いの尾を常に追いかけ合う存在であるという事すら、知らなかったのである。
久遠をはじめとする『七神』と呼ばれる側近達は、深名斗の衝動を抑えるのに必死だった。
うっかりすると深名孤を殺し、自分も死のうとしてしまう。
反対の存在である深名孤を殺せば、自分が死ぬことも可能である。
その行為を止めるために作り上げたのが、この『隔離室』である。
最強神の部屋とは名ばかりの、同じ作りになった二対の部屋。
ここは力をある程度封じ込めるために作り出された部屋で、二体の最強神を決して会わせない事によって、神々は世界の均衡を保とうとした。
ところが。この隔離室作戦は、最強神二体の体を最も弱く、心を最も強くさせた。
ある程度の憎しみが生きる原動力になる可能性は、極めて高い。
その力が反転し、何かの現象を生み出せるからだ。
だが何もかもを蔑みながら退屈を持て余す闇の心は、本当に手に負えない。
今の深名斗は隔離室という狭い空間の中で、最強の闇のエネルギーを貯めてしまった、世界最大の怪物という事になる。
体の弱体化が解消されれば人間世界はおろか、全世界が塵と化す可能性が高い。
深名孤は熱く、彼女の声は震えている。
「ワシらしいとはなんじゃ! 常に落ち着いておることかえ? ワシは大地に約束したのじゃ。ワシがついてるぞえ。安心せい、とあやつに言ったのじゃ! ワシは大地との約束だけは絶対に、破るわけにはいかぬのじゃ!」
「側にいなくたって、応援は出来るはずです」
「…………」
「あなたは最強神。ですが、決して万能じゃない。それを一番わかっているのは、あなた自身では無いですか。……たかが反転くらいで、なんと情けない!」
たかが反転。
久遠が説教している。
最強神である自分に。
深名孤は泣きながら、笑い出しそうになった。
「万能ではないのはここにいる私も、爽も同じです」
心身共にいくら成熟したところで、生きている限りこれで終わりという事は無い。
成長しようという気概を持たなければ、衰え続けるだけだ。
久遠が可愛らしくて小さな子供だった頃を、深名孤はよく知っている。
そうか。老いると誰もがこんな風に、若い者に諭されるものなのだ。
これぞ反転ではないか。
「もっとしっかりして下さい。あの方に殺されそうになった妻を見事救い出し、私の心を救ってくださったのは深名孤、あなたではありませんか」
爽の胸でなおも泣きじゃくりながら深名孤は、久遠の言葉にじっと耳を傾けた。
「まだ何も始まっておりませんし、何も終わってはおりません。私の息子はあなたが側にいないくらいで気を落とし、命を粗末にするような男ではありません」
深名孤は頷き、やっと爽の胸から顔を上げた。
「久遠よ、すまぬのう。……ワシは愚かであった。もっとシャキッとせねばならぬな」
たった一つの存在を除いては、心の中で世界の全てを受け入れる。
深名孤は再び、自分にそう誓った。