桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

時を狩る男

 時の神・(ソウ)は、いつになく張り切っていた。

 自分の仕事をひとまず置いて、高天原の自室を出られる事など滅多に無い。

 ちょっとした旅行気分で、人間世界と繋がっている龍宮城へ、そそくさと向かう。

「懐かしい…………」

 高天原の最果ての南、ウタカタの虹の橋を渡りきるとすぐの場所に、龍宮城は巨大な円錐状の形をした城の姿で存在している。

 神々の世界と人間世界の、ちょうど狭間にあたる場所だ。

 創設時には爽も、この城で人間世界について学びたくなり、足繫く通ったものだ。

 煉瓦造りの城の壁面には、虹色の鱗みたいな階段がカーブを描きながら最上階まで伸びており、炎に似た光が一定の間隔で常に、ゆらゆらと輝いている。

「ここは変わらず、美しいな……」

 爽は感嘆の声を上げた。
 
 最上階にはドーム状の丸いガラス屋根で覆われた神殿があり、重要な授業や儀式や試験などは、常時そこで行われている。

 爽の直属の部下である鳳凰・梅が校長を務めたこともあるこの城では、意欲のある神々だけが、人間や人間の生態について数多くの知識を学ぶことが出来る。

 あと半年で成人を迎える大地などは、大好きな人間の生態分野以外に、神々の生態についてもこの城で学んできた。

 純白の石で出来た巨大な城門が、門番の合図によって開かれる。

 ギィー…………。

 時の神・爽の存在を知らぬものは、この城にはいない。

「…………爽様ではありませんか!」

「お久しゅうございます! どうしてこの城へ?」

 城の中から猪の姿をした屈強な霊獣が二体、彼のもとへ駆け寄って来た。

「人間世界へ行きたいんだ。時を狩りに」

「…………は」

「しかし何故、時の神の統領である、あなた様が自ら?」

「うん。いや、もう何もかも埒が明かなくてね」

 詳細は省いたが「自分が行くしか無くなったんだ」と言って、爽は苦笑して見せた。

「ほら。あのヘンテコな塔の最下層に、ちょっと大きくなっちゃってた穴が、あったでしょ?」

「ヘンテコな塔………? もしかして『ホシガリの塔』の事ですか?」

「そう! その『ホシガリの塔』! 案内してくれる?」

 爽は愉快だった。

 面倒くさかった人間世界の修理を光の神・遊子に全て押し付ける事に成功したので、自分は伸び伸びとやりたい事が出来る。

「はい、まぁ、ご案内させていただくくらいなら」

 猪の霊獣二体は度肝を抜かれたような顔をしながら、城を守るために建てられた五本のうち、一番南に建てられた白い塔へ爽を案内した。

 爽が現場へ出向かなければならぬほどに、高天原は神様不足なのだろうか?

 それとも、人間世界が存亡の危機に?

 戸惑っている猪たちに、爽はにっこりと笑って見せた。

「大丈夫。こう見えても、私はまだ飛べる」

「いえいえ爽様、我々が危惧しているのは、そこじゃなくて…………」

「あんな穴からゲーム……では無く、人間世界に行くつもりですか?」

「うん。人間の世界が故障してるせいで、隣接地域に住む神々が必要以上に警戒して、入口になりそうな場所を全部、塞いじゃってるらしいんだ。残る入口はあの穴くらいしか、思いつかないんだよ」

 なんと原始的な方法で、爽は人間世界に行こうとしているのだろう!

 神々の世界とは全く違う空気に、違う磁場。

 いくら最強神に近い爽といえど、いきなり壊れた穴から飛び降りたりしたら、大怪我をしてしまう可能性もある。

 神々が簡単に人間を助ける事が出来ないのは、力が無いからではない。

 面倒な物事と関わり合いになりたくない、という理由も大きいのである。

 どんなに気にかけていたとしても、人間達の世界に手を加えるためには、目の前にある壁…………つまりは出来事を片っ端から、クリアしていかなければならない。

 時間も、パワーも、経験も、余裕も、判断力も、慈愛の心も、有り余るほどに持っている神にしか、人を助けることが不可能なのである。

 爽にもし万一の事があったなら、人間世界のみならず、他のあらゆる世界にも影響を及ぼしてしまう。

 猪達はもう一度、爽に質問をした。

「あの壊れた穴を使う以外に、方法は無いのですか?」

「……少々危険過ぎる気もしますが」

 心配そうな彼らに、爽は笑いかけた。

「大丈夫。自分の身を案じてばかりいたら、大切なものを守れないだろ?」

「…………は」

 予測の出来ない未来に心躍らせる事など、二度と無いと思っていた。

 久しくさびついていた翼を広げ、『ホシガリの塔』へ案内してくれた猪たちに、もう一度爽は笑って見せた。

「高天原の神々はいつから、そんな腰抜けになったんだ? まるで、人間世界へ行くのが怖いみたいでは無いか」

 何かに挑む気持ちや、先の見えない未来にドキドキワクワクする気持ちなど、とうの昔に忘れていた。

「私なら大丈夫。それに、久遠がそのうち来てくれる」

 しばらくの間は、時の神である自分の出番である。

 『ホシガリの塔』は左巻き…………つまり、反時計回りの螺旋を描きながら、煉瓦造りの龍宮にぴったりと寄り添う姿で立っている。

 そのてっぺんには鳳凰の形に作られた彫刻が、虚空を睨みつけている。

「どうぞ中へ」

 入り口の鍵を開けてもらい、猪二体と共に塔の中へと入った爽は、つんとする黴ときつい潮の香りを同時に感じた。

「ご案内出来るのは、ここまでです」

「うん。ありがとう」

 礼を言って猪達と別れ、爽は後ろを振り返らずに階段を下へ下へと降りて行った。

 壮大な神々の歴史が、壁画となって延々と刻まれている。

 暴食にうつつを抜かし、ときめくより先に眠ってしまう神々。

 色欲にうつつを抜かし、自ら迷い苦しむ羽目に陥ってしまう神々。

 強欲にうつつを抜かし、蔑んでいた獲物に逆襲されてしまう神々…………など。

 世界を次々と侵略したがる神々が、性懲りも無く繰り返してきた『暗黒の歴史』。

 誰も彼もが本当は滑稽で悲しく馬鹿げており、それに自分では気づいていない。

「時間さえあれば……と誰もが思う。だが、どれほど時間があったって意味が無い」

 爽は自嘲するように声を上げた。

 無性に、姫毬に会いたくなる。

 彼女がふと見せてくれた笑顔だけが、今の爽には尊いもののように感じられた。

 今度は、人間達の歴史が壁面に刻まれている。

 それらも神々の歴史と、ほぼ同じ内容だ。

 王座の馬鹿げた奪い合い、生き物同士の殺し合い、醜い罵り合いばかりが続く。

 神が人へ完全に取って代わっただけの図式であり、そこに美しさは存在しない。

 ついに行き止まりとなった。

 階段が無くなり、爽の体が入れるくらいの大きな穴が、ぽっかりと開いている。

 この先は、深い海の底と同じ。

 自分の強さと、未来に輝くはずの光を信じて、勢い良く飛び降りるより他はない。

 何にどこまで期待しようとも、結果は同じなのだから。

 迷いや悩みや不安や苦しみを抱え、成長過程のまま出来上がってしまう不安定な、幻惑だらけの世界の中で作り上げられるのは、いつだって自身のみ。


 道案内はどこにもいない。


 導けるのはこの身だけだ。


「これより螺旋城(ゼルシェイ)に向かう」


 爽は翼を広げ、羽ばたきながら苦笑した。


 
 正面から風を浴びて、歯を食いしばるのが本当に、久しぶりだと気づいたから。
 
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