何度忘れても、きみの春はここにある。
 よく上京組に話は聞いていたが、自分の身にも起こるとは思ってもみなかった。
「類、今日呼んだのは、どうしても言いたかったことがあるんだ」
 ずっと庭を眺めていた祖父が、ゆっくり俺の方を向き直った。
 あらためて見た祖父の顔にはたくさんのしわが刻まれていて、でも、瞳の力は消えていない。
 少し間を溜めてから、真剣な声で祖父は語りかけた。
「……大切な人を作りなさい。生きる意味は、だいたいそこにある」
「え……」
 思わぬ言葉を言われた俺は、驚きその場に固まってしまった。
 しかし、祖父は俺を見つめたまま話し続ける。
「たとえ忘れても、大切な人を作りなさい。人じゃなくて、趣味でも動物でもいい。お前にはまだたくさんの時間がある。それは、お前が想像する以上にだ」
「時間……」
「長いぞ。俺の家系は、本当は皆長寿だからな」
 そう言って、祖父はわずかに口端を吊り上げて笑った。
 そんな表情をはじめて見たので、俺はより驚いて、上手く言葉が出てこない。
 ただ、何かの光のように、"大切な人を作りなさい"という言葉が響いて……。
 こんな感情に、昔、どこかでなった気がする。
 忘れてもいいから、大切にしたいという、そんな気持ちに。
 でも、それがいったいいつの思い出なのか分からない。
「娘が……、事件を起こす前、口癖のように言っていた。大切なものなんかないほうがいいと。ずっとその思想が、幼い頃からお前に根付いているんじゃないかと、不安だった」
「……」
「今思えば、そんなことを言い出したときに、仕事ばかりでなくもっと話を聞いてやればよかった」
 祖父の切なげな表情に、俺は何も言えなくなる。
 自分の根底にあるトラウマを、祖父がどれほど知っているのか分からないけれど。
 でも、何も持たずに生きたほうが楽だと、俺はとくにそうすべき人間なんだと思い込んでい生きてきたのは本当だ。
 でも、高校生の頃の自分は、どうだったのだろうか……。
「高校の頃、お前は卒業間際だけ、生き生きとしていたがな」
「え……?」
「待ち合わせがあると言って、たまに出かけていた」
「俺が……? バイト以外で?」
「あの時期だけ、何か考えてぼうっとしていることが増えたというか……」
 ……祖父の言葉に、俺はふとある考えが浮かんできた。
< 122 / 135 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop