何度忘れても、きみの春はここにある。

忘れたくない景色


side瀬名類


 村主から『今日桜木と遊ぶんだって?』という連絡が来て、数秒思考が停止してから、徐々に記憶の断片が集まって桜木との約束を思い出した。
 ーー約束だけならまだしも、俺は一瞬桜木の存在自体を忘れていた。
 世界が一時停止したように感じて、俺はベッドの中で自分の頭を抱えたまま固まる。
 嘘だ。いや、でも本当に、今、桜木という名前を聞いて一瞬顔さえ浮かんでこなかった。
「怖……」
 つぶやいた声は、古い木造建築の壁や天井の中へ消えていく。
 俺は、犬のように頭をぶんぶんと横に振ってから、すぐに出かける支度をした。
 どんなに急いだって、着くときには一時間半も遅れてしまう。
 桜木は、絶対、もういない。分かっている。
 俺だったら絶対帰ってる。
 怒ってるだろうか。そりゃそうだ。自分から誘ったのに。
 ……外に出ると、いつもどおりの灰色の空。
 わずかに雪が降っていたが、俺は構わず駅へと走って向かう。
 いるわけない。ありえない。そう思っていた。
 しかし、待ち合わせ場所に着くと、時計台の下に目を閉じて突っ立っている人物が見えた。
「桜木……」
 どうしてだ。
 お前、どうしてこんな寒空の下、俺のことなんか待ってんだよ。
 鼻の先も、手も、頬も、全部赤い。
 思ってもみない展開に、言葉が出てこない。
 なんて言ったらいい。ごめんも、ありがとうも、違う。
 心臓が握り潰されたように、苦しい。
 こんな感情、はじめてで、どうしたらいいのか分からない。
「よかった……。会えましたね」
 手をカタカタと震わせながら、力なく笑う桜木を見たら、衝動的に体が動いてしまった。
 桜木のコートがしわになるほど、強く強く抱きしめる。桜木が戸惑っていることなんか、知らない。関係ない。
 心臓が苦しいから、抱きしめた。
 そして、抱きしめているこの一秒一秒が、自分の中の桜木の記憶を奪っていくことに、俺はどこかで気づいていた。
「せ、瀬名先輩……?」
「お前、バカじゃん……。意味分かんね……」

 認めたくないけど、分かってしまった。
 俺は、桜木を、忘れたくない。
 今この瞬間、強くそう願ってしまった。
 そう願えば願うほど、桜木のことを忘れていくというのに。



 自分はいったい今まで、何人の大切な人を忘れてきたんだろう。
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