何度忘れても、きみの春はここにある。
 白く細い首が、髪の毛の間から見える。
 俺はその首を見下ろしながら、こいつ本当に俺にカツアゲされると思っているのか……と、心の中で呆れた。
 桜木の言葉を完全に無視して、俺は質問を投げかける。
「お前なんでこんなこと記録してんの。怖」
「とくに理由はないです。返してください」
「いや、理由ねぇほうが怖いんだけど。ていうか、いいかげん顔あげろ」
 おでこを手の平で軽く押して顔を無理やり上げさせると、長めの前髪の隙間から、ばちっと目が合った。
 はじめてちゃんと顔を見たが、意外にも整った顔をしている。少なくとも俺よりは目が死んでいない。
「理由話したら、ノート返してくれますか」
「……考える」
「し、死んだばあちゃんとの、約束なんです」
 予想もしていない言葉に、顔にはいっさい出さないが、俺は少しワクワクしていた。
 桜木の小さな声を聞き逃さないように耳を傾ける。
「友達は作らなくてもいいけど、自分なりの思い出は作るって、約束したんで……。中学はなんの思い出も残さなかったから……」
「それがこのクラスメイトのプロフィール作成に繋がったってわけ? だとしたら超一方的な思い出じゃん。しかも関わってないならお前の偏見入ってそうだし。思い出って片方だけで成立すんの?」
「い、一方的でいいんです。自分のことが嫌いだから、誰の記憶にも残りたくないんです」
「お前、死ぬほど生きづらそうな性格してんな」
 俺はあらためてノートをパラパラとめくってみる。
 桜木が……自分が、この教室に存在した事実を残すためだけに、このノートはあるのか。
 そう思うと、なんだか少し桜木のことが切なく思えてくる。
 もう理由も聞いたし、ノートを返してやるか……なんて思ったとき、桜木が震えた声でつぶやいた。
「自分は誰の記憶にも残りたくないけど……自分の周りの世界のことは、ちゃんと覚えておきたいんです。それだけです」
 ……なんで?
 すぐに疑問を抱いたけれど、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。
 記憶障害のある俺には、理解したくてもできないことだと思ったから。
「もう、中学のときみたいに、無になりたくはないから……」
 無、という言葉が、雪のような冷たさで、胸の中に染み込んだ。
 人に関心を持つことなんて生きていてほとんど無かったのに、桜木は、自分と似ているなにかを持っていると思えてしまった。
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