策士な御曹司は真摯に愛を乞う
翌、早朝。
夏芽さんはいつもより少し遅めにベッドから起き出し、習慣にしているジョギングに出ていった。
トレーニングウェアを身に着ける微かな音を、私はベッドの中でうとうとしながら聞いていた。


彼の気配が消えてから、緩慢な動作でベッドを下りる。
部屋着姿でキッチンに立ち、彼が戻ってくるのを待ちながら、朝食の準備を始めた。
鍋の中で沸々と水面を揺らす味噌汁を、菜箸を持ったままぼんやりと見つめる。


『俺と君は、恋人にはなれていなかった』


昨夜の夏芽さんの言葉が、頭の中をグルグル回っている。


待って。
そんなの、意味がわからない。
だって、夏芽さんが言った通り、記憶は失っても、私の身体は彼を覚えていた。
それはもう疑いようもない。


夏芽さんが時折切なげで寂しそうな目をするのは、『恋人』の私が彼を忘れてしまっているから――。
他のすべてのことでも説明がつくし、私自身納得するしかない。
そう思ったのに……。


「恋人じゃないって。それじゃ、私……」


――付き合ってもいない人と、身体の関係に?


胸に湧いてくるのは、自分への嫌悪感。


「っ……!」


なのに同時に、昨夜の熱く激しい行為が、脳裏に蘇った。
お腹の奥の方がきゅんと疼く感覚に煽られ、私はビクッと身を震わせる。
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