策士な御曹司は真摯に愛を乞う
「あ、でも。呼び分けが必要な機会は、そうないと思いますけど……」


二人から視線を浴びると、なにか居心地悪い。
私が、ぎこちないのを承知で笑いかけると、副社長……夏芽さんは口元を手で隠し、ふいっと顔を背けてしまった。
その反応に、不安が過ぎる。


「あの……すみません。ダメでしょうか?」


恐る恐る訊ねると、第一秘書の方……湊さんが、プッと小さく吹き出した。


「名案だと思いますよ、黒沢さん」


この短い時間で、私は湊さんの人格をわりと掴めていた。
彼に秘書の口調で言われると、言葉通りの意味ではないと思っていい。
だから、夏芽さんを気にして、可否を求めて目で追ってしまう。


「気にするな。照れてるだけだから」


私の目線を見遣って、湊さんがボソッと呟く。


「湊っ!」


夏芽さんが、即座に、先ほどとはまた違った声色で一喝する。
今度は湊さんも、本気で謝罪を返す様子はない。


「口が滑りまして、重ね重ね申し訳ございません」


軽い調子でうそぶいて、ふと、左の袖をちょんと摘まんだ。
そこから、品のいい革ベルトの腕時計を覗かせ、


「では、私はそろそろ。また明日、お伺いいたします」


秘書の顔で、丁寧に暇を告げる。
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