【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
なるほど、今は必要ないというのは、そういうことか。
彼女は、先のような観光本から地図、つまりはここにあるその仕事道具一式の内容を、覚えているのだ。多少忘れてしまったとて、その図書館とやらを探れば、出て来ると。
僕とはあまりに感覚が違い過ぎる。が、それをイメージと言うのであれば、気になる点は一つだけあった。
「鍵、と言いましたね。つまりは、それを開ける為のトリガーも、存在するということですよね」
「神前さんはとても頭がよろしいのですね。ええ、その通り。錠には鍵が付き物ですから」
「その、鍵というのは…?」
僕の問いかけに、桐島さんは黙ってしまった。まずいことを聞いたか、と反省もしたが、一瞬間だけ口を噤むと、すぐに先のように柔和な笑みを浮かべた。
良かった、地雷ではなかったか。
そう安心しきった僕に、
「私に関わる私自身の記憶一つ。それが、図書館の鍵です」
撫でおろした胸にしこりを残すような言葉を吐いた。
記憶。
誰か助手を雇いたいというのは、差し詰めそのリスクを少しでも減らしたいから、ということだろうか。
不思議だ――自分でもおかしいくらいに、落ち着いている。
夢のようで現実で、けれどもやはり、あまりにかけ離れた内容が続き過ぎて、麻痺でも起こしてきているのだろうか。
特別なことを特別な風に話さない、彼女の雰囲気がそうさせているのかも知れない。
しかし、そうであるならば。
「知っていることの全てを引き出すにはリスクが付き物、ということは分かりました。が、どうにも分からないのは、人の内側まで視えてしまう貴女が、どうして初対面の僕を『採用です』などと言ってのけることが出来るのか。サヴァンの特異な能力は、後天的に無くなることもあると言いますが、それが僕を採用するに足る理由なのですか?」
そう尋ねた瞬間、桐島さんの表情が曇った。
聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと、僕はこれ以上口を出せず、彼女の言葉を待つことしか出来ない。
「どの色がどんな感情に振り分けられるかを知った理由は割愛しますが――あなたには、汚れた色が一切混ざっていないんですよ。態度や頑張りと平行して見ていたのは、そこです」
「汚れた色…?」
「ええ。発言をそのまま信じても、実はそれとは違う思惑がある、ということは、大いに有り得ることです。下心、他意と呼ばれるものですね」
「それは、貴女には視えてしまうものですよね」
「そういう人は、往々にして二十ないしはそれ以上の色を有しています。ぐちゃぐちゃな色をしているのだと、私には簡単に分かってしまう。けれども、相手が人であるという仕事から、そういった感情は無いに越したことはありません。純粋な心で真っ直ぐ向き合う心が、どうしても必要になってきますから」
「なるほど。では、それが無いと言う僕は、一体何色なのでしょう? それこそが、僕が採用されるに足る理由という訳なのでしょう?」
桐島さんは無言で頷いた。
こんな人に出会ったのは初めてです。と、一言置いて。
「君は、とっても――とっても澄んだ、透明な色をしています。私には、君の色が分からない。分からないのです」
そんなことを言った。
彼女は、先のような観光本から地図、つまりはここにあるその仕事道具一式の内容を、覚えているのだ。多少忘れてしまったとて、その図書館とやらを探れば、出て来ると。
僕とはあまりに感覚が違い過ぎる。が、それをイメージと言うのであれば、気になる点は一つだけあった。
「鍵、と言いましたね。つまりは、それを開ける為のトリガーも、存在するということですよね」
「神前さんはとても頭がよろしいのですね。ええ、その通り。錠には鍵が付き物ですから」
「その、鍵というのは…?」
僕の問いかけに、桐島さんは黙ってしまった。まずいことを聞いたか、と反省もしたが、一瞬間だけ口を噤むと、すぐに先のように柔和な笑みを浮かべた。
良かった、地雷ではなかったか。
そう安心しきった僕に、
「私に関わる私自身の記憶一つ。それが、図書館の鍵です」
撫でおろした胸にしこりを残すような言葉を吐いた。
記憶。
誰か助手を雇いたいというのは、差し詰めそのリスクを少しでも減らしたいから、ということだろうか。
不思議だ――自分でもおかしいくらいに、落ち着いている。
夢のようで現実で、けれどもやはり、あまりにかけ離れた内容が続き過ぎて、麻痺でも起こしてきているのだろうか。
特別なことを特別な風に話さない、彼女の雰囲気がそうさせているのかも知れない。
しかし、そうであるならば。
「知っていることの全てを引き出すにはリスクが付き物、ということは分かりました。が、どうにも分からないのは、人の内側まで視えてしまう貴女が、どうして初対面の僕を『採用です』などと言ってのけることが出来るのか。サヴァンの特異な能力は、後天的に無くなることもあると言いますが、それが僕を採用するに足る理由なのですか?」
そう尋ねた瞬間、桐島さんの表情が曇った。
聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと、僕はこれ以上口を出せず、彼女の言葉を待つことしか出来ない。
「どの色がどんな感情に振り分けられるかを知った理由は割愛しますが――あなたには、汚れた色が一切混ざっていないんですよ。態度や頑張りと平行して見ていたのは、そこです」
「汚れた色…?」
「ええ。発言をそのまま信じても、実はそれとは違う思惑がある、ということは、大いに有り得ることです。下心、他意と呼ばれるものですね」
「それは、貴女には視えてしまうものですよね」
「そういう人は、往々にして二十ないしはそれ以上の色を有しています。ぐちゃぐちゃな色をしているのだと、私には簡単に分かってしまう。けれども、相手が人であるという仕事から、そういった感情は無いに越したことはありません。純粋な心で真っ直ぐ向き合う心が、どうしても必要になってきますから」
「なるほど。では、それが無いと言う僕は、一体何色なのでしょう? それこそが、僕が採用されるに足る理由という訳なのでしょう?」
桐島さんは無言で頷いた。
こんな人に出会ったのは初めてです。と、一言置いて。
「君は、とっても――とっても澄んだ、透明な色をしています。私には、君の色が分からない。分からないのです」
そんなことを言った。