【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
 一番起こりやすいものでは握力の低下。
 これはリハビリで回復が見込めるが、継続することが必要。
 次に、神経痛や痺れ。
 こちらも、温浴や理学療法にて、およそ一年くらいで完治する。

 が、最後。

「手術にて神経がよほど傷ついた場合に限りますが、反射性の交感神経萎縮症を発症してしまいます。これは、ちょっとした刺激により強く興奮作用が起こり、血管収縮に伴い神経萎縮、最終は筋肉の拘縮といった症状が出ます。早期であれば治療の効果も出やすいですが、出やすいだけです。確実とは言えないのが実際ですね」

「そ……」

 んな、と続かない乾いた喉。
 リスクこそあれ、どうしてそれだけの腕を持っていながら、前向きに検討しなかったのか、僕には不思議だった。

 《持っている者》に憧れているわけではないけれど、《持っている者》がそれを自ら切り捨てる決断たるや、好きでもないのに才能だけでやってきた――なんて人でもない限り、そうそう踏ん切りのつくものではない。
 そういうのも、結局僕の勝手な持論なのだけれど。

 しかし、勿体ないことに変わりはない。

「最期の演奏会で高宮少年が放った一言は、『大切なものが守れなくなるのは困る』というものでした。それなら手術をして、とも思いますけれど、それで後遺症でも残れば成せなくなる。だから、バイオリンを捨てて、治すのではなく悪化させないという道を選んだのだそうです」

 大切なもの――

『あんなんだから友達も少ないし』

 ふと、高宮兄の言っていた台詞が脳裏を過った。
 おそらくは、何かしら関係があるのだろうけれど。
 深く追求すれば、何かを侵してしまいそうな予感があった。



 そうして特に何かするでもなく記憶堂を後にし、家に帰った僕を待っていたものは。

「メッセージ?」

 液晶に浮かび上がってきるのは、《新着メッセージ:高宮葵》の文字。
 記憶堂での話し合いの後、結局本当について行かされることになった僕と連絡先を交換しておいたのだ。

 何か動きがあったのだろうか、と勘ぐる僕に反して、表示したメッセージは何ともまぁ変わったものだった。

『明日の夕方六時、星屋』

 とだけ短く。

 わざわざ呼び出すということは、何か話したいことでもあるのだろう。
 僕も短く『了解』とだけ送ると、直ぐに読んだ形跡が。しかし、以降何も返って来ないままだった。
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