【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
「悩み事、ですか」

 思わず聞き返す。
 彼女は「ええ」とだけ言って、傍らにあった小さなメモとペンを取った。
 数秒、サラサラと心地の良い音が響く。
 そうして手渡されたメモには、女性らしい達筆で『すばらしいものをください』と書かれていた。

「ここの裏で、花屋もやっているのですけれど、そこに置かれていたメモの内容です。よく来る常連の外国人男性の筆跡で間違いはないのですが、その方はいつも、奥様から預かったメモを私に手渡すだけなのです。本人は日本語をまったく話せず、しかしこのメモは日本語で書かれたものでした。つまりは、奥様ではなくその常連さんが買いたいお花だということなのですが、神前さんなら、どういったお花を準備しますか? 男性目線でお願いしたいのです」

 ――と、そう言われましても。

 花については多少知ってはいるけれど、この含みのある笑み、ただ綺麗で素敵な花を準備すれば良いだけではすまなさそうだ。

(すばらしい花、か……)

 彼女の要望に応えられるかはさておいて。
 まずは情報が足らなさすぎる。

「いくつか質問しても?」

「ええ、構いませんよ」

 ふむ。

「その方の出身は?」

「アメリカです。普通の英語を話される方ですね」

「では、その方は何月頃に来られましたか?」

「二月の半ばでした。もうすぐ妻の誕生日なんだよ、と言っていました」

 カチ。

「その奥様について何か知っていることは?」

「――ふふ。ええ、二月です。二月が、その奥様の誕生日なのですよ」

 カチ。

「最後に一つだけ。本当に一言も、日本語は話せないんですね?」

「ええ、まったく。簡単な『コンニチハ』とか、そういったものは除いて、ですが。文章での会話は出来ません」

 カチリ。
 ピースがはまった音がした。
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