【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
 小動物を愛でる時に顔が緩むのって、仕方のないことではないだろうか。
 曰く、普段クールな印象があるだけに、違う側面を見せてしまったことが恥ずかしかったらしい。

「別に誰からも何とも思われないって」

「私が気になるの。いいから忘れて」

「はいはい、分かった分かった」

 両手をひらひらと、あまり誠意のない旨を示す。
 頬を染め、口元を緩め、いつもよりやや高い声を出していたあの時の葵は、今となっては貴重なものなのかもしれない。
 覚えて置くとしよう。

 と、それとは別に、せっかく再開したドリアを食べ進める手が止まる。
 どうしたのか尋ねると、葵は小さく溜息を吐いた。

「この二、三日……実はと言うか、ちょっとは楽しい」

「楽しいって、何が?」

「晩御飯」

 葵は短く答えた。
 どう答えたものか。そりゃあ僕も、越して来てからそう月日も経っていないけれど、誰かとも食事はやっぱり楽しい。一人で好きな物を食べるより、誰かと普通程度の食事をする方が、良いものだ。

 けれども、僕は根が臆病な人間だ。
 折に触れて言葉を選び過ぎる癖がある為、

「……そっか」

 としか、返せなかった。
 僕が直接役に立てているのかは未だ疑問点ではあるけれど、やはり家で一人というよりかは、誰かあるいは何処かで食事を摂るという方が、この子にとっても良い刺激になっているらしい。

 であれば、今度の遠征は――

 葵にとって、何かが変わるきっかけになるかもしれない。
 そう思うのは、僕の自惚れだろうか。
 それから葵は再び食事に戻り、僕はまたそれを眺めて時を過ごした。
 美味しそうに次々と口に運ぶ様子を見ていると、何だかこちらも食事が楽しく思えてくる。

 無邪気、マイペース、純粋な葵だからこそ、だ。

「そうだ」

 葵はふと呟いて、僕の名前を呼んだ。

「何?」

 当然聞き返すのだけれど、今度の葵はどこか渋っている様子。
 らしくなく口を噤んで、なかなか次の言葉が出てこない。

「どうしたの?」

「うん……まことなら、良いか」

「良いって、何が?」

「先に言っておくけど、注視禁止。これなんだけど」
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