【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
 傍らに置いていた小さなショルダーバッグから、一枚の写真を取り出して机上に置いた。
 ある夏の一幕だと言うそれは、中央に穏やかな優しい笑みを浮かべつ白髪の男性、向かってその左側に遥さん、右側には葵が、それぞれ水着姿で映っている。

 遥さんは控えめな黒いズボンタイプで、葵はビキニの上に短パン。いや、そこはどうでもよくて。
 背景として映り込んでいるのは河川敷。二人とも、年の頃は十歳と少し辺りだろう。

 しゃがみ込み、中央の男性と目線の高さを合わせている。

「この人が……依頼のおじいさん…?」

「うん。篤郎(あつろう)って名前」

 篤郎――高宮篤郎。
 それが、葵が探し求めて止まない思い出をくれた、祖父の名前。

「いや、待って。僕なら着いて来るだろうって、初めから踏んで来たな?」

「……そんなことない」

 間ってやつは、往々にして言葉以上に雄弁に語るものだよ。

「小学校の時の写真。厳しいだろうって親は言ってたんだけど、おじいちゃんの方が無理を言って、私たちと遊んでくれたの」

「そうなんだ。こんなことを聞くのもアレなんだけど、車椅子を使っているのは、その——完全に?」

「うん。その時、もう下肢は全く動かなかった。ALSっていう難病」

「難病……ALSだって?」

「そ。筋萎縮性側索硬化症。知ってる?」

「そりゃあ…」

 ALS。

 手足、喉、舌をはじめ、呼吸に関する筋力までもが衰え、人により差異こそあるものの、数年ほどで死に至る難病。
 身体だけでなく発語の自由まで奪っていくそれは、何の悪戯か、筋肉の萎縮が進行し喋れなくなっても、脳は外部の音をキャッチ出来てしまう。
 動けずとも、一方的に情報を得ることだけが可能な状態となるのだ。
 難病指定されているだけに、明確な治療法はない。
 手が動かせ無くなれば口を主に、口も動かなくなれば、専用の機械を用いた視線による文字打ちのみ。
 それも出来なくなれば——呼吸器取り付けにより多少の延命は可能だが、それもただ死を先送りにするだけだ。

 治ることは、ない。
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