【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
 詰まることなく一番駆けを頂いた葵に驚きもしたけれど、ピシッと綺麗に靴を揃える辺り、特に心配はなさそうだ。と、そんな視点で見ていた僕に気が付いたらしい遥さんは、まぁ俺と爺さん仕込みの常識人の筈だからな、と笑った。

 廊下を進むと、味噌の良い香りが漂って来た。奥の部屋へと足を進めるにつれ、それはより強くなって鼻をくすぐる。
 昼から飴玉一つしか食べていないことを思い出して、腹の虫が鳴る。

「おっきな音」

「五月蠅いよ。丁度かぶって葵の腹も鳴ったようだし」

「すまん、それは俺だ」

「……まことー?」

「すいませんでした」

 漫才みたいなやり取りにくすりと笑うのは、共にあるく残り一人、お母さまだった。
 なるほどあの二人の友達ですね、と嬉しいやら悲しいやらな一言。

 辿り着いた廊下最奥右手の扉の奥では、モザイク硝子越しに部屋の灯りが点いている様子が見える。

「お、お邪魔します……」

 顔だけで覗き込んで中の様子を確認すると、

「いらっしゃい」

 ソファに腰掛けてテレビを観ていた男性が立ち上がって振り向いて、僕らの顔を交互に見つめて優しく言った。
 そうしてそのまま少し歩いてこちらにやってきて手を差し出す。

「娘たちが世話になっているようで。父の誠二と申します」

「ご、ご丁寧にどうも…! 神前真、それとこっちが本題の高宮葵さんと、兄の遥さんです」

「今更だが、お前が俺たちを紹介するのってどうなんだ。いや、良いんだけどよ。よろしくお願いいたします、誠二さん」

 一つしか変わらない遥さんが、余裕な表情で後に続く。

「よろしく」

 遥さんとの握手も終わると、

「よろしくお願いします。高宮葵、十七歳」

「丁寧にどうも」

 葵にも優しく笑ってみせる。
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