【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
「サヴァン…?」

「あら、ご存知ありませんか?」

「あぁいえ、知ってはいますけれど……音が色で視えたりだとか、極端に記憶力が良かったり、ある分野に対してだけは異常な力を発揮したりといった、アレですよね」

「そう、それのことです。まぁ、それすらも比喩表現でしかないのですけれど」

 サヴァン症候群、といった既に特異な言葉ですら比喩だとは、これ如何に。
 どういったことか尋ねるのは、至極当然なことであっただろう。
 僕が口にした、音が色で視えたりといった現象のことは、総称して共感覚と呼ばれる。

 ただ、その中でも、今のところ誰一人として該当しない現象――人の感情、及びその変化が、対象を取り囲む靄のようなものとして、色で視えてしまう目を、桐島さんは持っているのだと言う。

「加えて、神前さんの疑問に先に答えるのなら、こちらは後天的に出て来たものなのですが——あくまでイメージの話として聞いていただけると幸いなのですけれど、私は頭の中に、記憶の図書館を有していまして」

「記憶の…図書館、ですか」

 桐島さんは頷いた。

「いわゆる、完全記憶に近い状態にあると言えます。日々の通勤通学ですれ違う、名前も顔も知らない、それも毎日異なる人や物、付随してその日時、天気、気温といった、ほぼほぼ誰もが記憶できるようなものではないことも、その図書館には保存されているのです。もっとも、本来であれば、誰にでも備わっているものではあるんですけれど。ほら、まったく知らない人が夢に出て来たという体験はありませんか?」

「それなら何度も。友人でもその知人でも、ましてテレビでも見たことがない人が、いることはありますね」

「それが正に、深層に覚えている記憶――道ですれ違った顔、ニュースのインタビューで後ろの方に見たことがある顔、はたまた自分の写っている写真に偶然入り込んでいた通行人の顔、と、その普通なら覚えていない筈の人が、夢に現れているものの正体なのですよ。記憶の中にないものは、頭の中で再現出来ませんから」

 誰とも知れない人と話したり、行動を共にしていたりすることならよくあったけれども、まさかそれが、記憶の奥底に眠っているものだったとは。

「違う点と言えば、私はそれを自在に操れるということ。普段は鍵のかかっているその図書館を開け、取り出すことが出来るのです」

「自身の感覚でも知らないと確定付けたものであっても、そこを探れば出て来る可能性がある、という理解で?」

「相違ありません」

 桐島さんはそう言って頷いた。
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