明日花咲くカタリーネ
1、信じられるものはお金だけ
わたしにとって大切なものは、お金ーーただそれだけである。
母が生きていた頃は、母が一番大切だったけれど、その母も亡くなってからはお金を稼ぐことだけがわたしの生き甲斐になった。
貧しい路上出身の母は、若くしてわたしを身籠り、女手一つでわたしを育ててくれた。
といっても、この厳しい世の中で学も何もない母にできることは体を売ることだけで、母は娼婦をして生計を立てていた。
「やっぱりこれからの世の中、女も賢くなくっちゃね」
というのが母の口癖で、それを聞いていたわたしは幼い頃から本を読んで大きくなった。
母が買ってきたりもらってきたりする本は子供のわたしには難しすぎるものがほとんどだったけれど、気まぐれにお客さんが読み書きを教えてくれたから、物心がつく頃には何とか読めるようになっていた。
美しく気だても良かった母は何やかんやお客さんにも恵まれていたため、生活も年々良くなっていった。
あとは、わたしが大きくなって学校に行って立派になるだけーーそう思っていたのに、母は男に騙されて多額の借金を負わされた。
そしてその返済に追われるうちに病を得て、そのまま死んでしまったのだ。
それ以来、わたしにとってお金がすべてだ。
お金は、決してわたしを裏切らない。
「つまり、わたしにその坊ちゃんの世話係をしろと?」
「端的に言えば、そうなりますね」
「それで、その坊ちゃんがあなた方が思うような振る舞いをできるようになったら、わたしは約束のお金をいただけるわけですね?」
「はい。その上、卒業後、希望する職場へのエッフェンベルグ家の推薦状をつけましょう」
「……悪い話じゃないわね」
「そうでしょう」
セバスティアンと名乗ったエッフェンベルグ家の執事は、出されたお茶を一口飲むと、鷹揚に頷いた。
貿易商人として名高いエッフェンベルグ家が、何故わたしに目をつけたのかという話はとりあえずおいておくとして。
悪い話ではない。
独学で初歩魔術を学んで、奨学金をもらって魔術学院に入学したけれど、奨学金でまかなえるのは学費だけだ。
欲しい本はたくさんあるし、何より日々を生きるのにお金がいる。
だから、お金はいくらあってもいい。あればあるだけ素敵だと思う。
「好きなものはお金と勉強、嫌いなものは男ーーバルツァーさんのことは調べさせていただきました。それで、これは適役だと判断したのです」
「はぁ、そりゃどうも(それは、ありがとうございます)」
寮の応接間で、寮母さんが目を光らせているから、言語変換の魔術で話す内容をごまかしておく。
自分で考えたものだけれど、これは便利だ。自分と話し相手の間にある空気にその魔術をかけることで、わたしの言葉が相手に届くときには相手の耳馴染みのある表現に変わっているというものだ。相手がお上品な方々のときは、まさにその効能を最大限に発揮する。
それにしても、一体どこ調査なのだろう。
確かにお金は好きだけれど、勉強は生きるためにしているだけだ。
男が嫌いというより、男に生まれただけで女のわたしより偉いと思っている奴が嫌いなだけ。だから、逆もまたしかりで、つまりはむやみやたらに偉そうな人間が男女問わず嫌いなのだ。
「それで、引き受けていただけますでしょうか?」
「うん、別にいいよ(はい、よろしくお願いします)」
スカウトのポイントがいまいち謎だけれど、引き受けないわけがない。
だって、金持ちの坊ちゃんのお守りをするだけで大金をもらえるなんて、そんなおいしい話は滅多にないのだから。
「では後日、使いの者をやりますので、荷物をまとめておいてくださいね」
「わかりました」
最後まで気を抜かず、いかにも好々爺なセバスティアンが部屋を出て行くまでお行儀良くして、ドアが閉まった瞬間こっそりガッツポーズをした。
「カティ!」
それを寮母さんに見咎められたのかと身構えたら、目に涙を浮かべた彼女はそのふくよかな胸元にわたしをむんずと抱きしめた。
「よくやりましたね、カティ! あなたは優秀な子だと思っていましたけれど、まさかエッフェンベルグ家からお誘いがあるなんて! 今夜はご馳走を作りましょうね」
「あ、ありがとうございます……」
忘れていた。この行儀作法にうるさい寮母、ミセス・ブルーメが、同時に感激屋で世話焼きだということに。
きっと、今夜は食べきれないほどのご馳走と、彼女のとめどないおしゃべりに殺されかけるのだ。
でも、そんな日があってもいいかなとも思う。
本当だったら、もうすぐ始まる休暇はバイトに明け暮れお金を稼ぐことに走り回るはずだったけれど、さっきめでたく仕事が決まったのだから。
お祝いしたい気分だ。ミセス・ブルーメのおしゃべりにだって、付き合ってあげられそうなくらい。
エッフェンベルグ家の坊ちゃんの教育係兼世話係、か。
問題は、その坊ちゃんが色々と手が早いことだ。
女中に手を出しては泣いて出て行かれるか飽きてポイしてしまうため、なかなか居つかないのだという。おまけに男は嫌いだと言ってセバスティアン以外近寄らせないとか。
さらに、喧嘩っ早いため学友をぶん殴って学院を停学中。しかも、学院内での噂を信じるならば、彼はとってもお馬鹿さんなのだという。
わたしの仕事は、この休暇の間に彼に魔術の授業をつけ、ついでに近くにいてお世話をしてやること。
お馬鹿なケダモノのお世話……そう思うとちょっとだけ憂鬱だけれど、いざとなったらおとなしくしてもらえばいいだけだ。
だから何があっても、投げ出したりしない。
だってこれは、一攫千金のチャンスなのだから!
母が生きていた頃は、母が一番大切だったけれど、その母も亡くなってからはお金を稼ぐことだけがわたしの生き甲斐になった。
貧しい路上出身の母は、若くしてわたしを身籠り、女手一つでわたしを育ててくれた。
といっても、この厳しい世の中で学も何もない母にできることは体を売ることだけで、母は娼婦をして生計を立てていた。
「やっぱりこれからの世の中、女も賢くなくっちゃね」
というのが母の口癖で、それを聞いていたわたしは幼い頃から本を読んで大きくなった。
母が買ってきたりもらってきたりする本は子供のわたしには難しすぎるものがほとんどだったけれど、気まぐれにお客さんが読み書きを教えてくれたから、物心がつく頃には何とか読めるようになっていた。
美しく気だても良かった母は何やかんやお客さんにも恵まれていたため、生活も年々良くなっていった。
あとは、わたしが大きくなって学校に行って立派になるだけーーそう思っていたのに、母は男に騙されて多額の借金を負わされた。
そしてその返済に追われるうちに病を得て、そのまま死んでしまったのだ。
それ以来、わたしにとってお金がすべてだ。
お金は、決してわたしを裏切らない。
「つまり、わたしにその坊ちゃんの世話係をしろと?」
「端的に言えば、そうなりますね」
「それで、その坊ちゃんがあなた方が思うような振る舞いをできるようになったら、わたしは約束のお金をいただけるわけですね?」
「はい。その上、卒業後、希望する職場へのエッフェンベルグ家の推薦状をつけましょう」
「……悪い話じゃないわね」
「そうでしょう」
セバスティアンと名乗ったエッフェンベルグ家の執事は、出されたお茶を一口飲むと、鷹揚に頷いた。
貿易商人として名高いエッフェンベルグ家が、何故わたしに目をつけたのかという話はとりあえずおいておくとして。
悪い話ではない。
独学で初歩魔術を学んで、奨学金をもらって魔術学院に入学したけれど、奨学金でまかなえるのは学費だけだ。
欲しい本はたくさんあるし、何より日々を生きるのにお金がいる。
だから、お金はいくらあってもいい。あればあるだけ素敵だと思う。
「好きなものはお金と勉強、嫌いなものは男ーーバルツァーさんのことは調べさせていただきました。それで、これは適役だと判断したのです」
「はぁ、そりゃどうも(それは、ありがとうございます)」
寮の応接間で、寮母さんが目を光らせているから、言語変換の魔術で話す内容をごまかしておく。
自分で考えたものだけれど、これは便利だ。自分と話し相手の間にある空気にその魔術をかけることで、わたしの言葉が相手に届くときには相手の耳馴染みのある表現に変わっているというものだ。相手がお上品な方々のときは、まさにその効能を最大限に発揮する。
それにしても、一体どこ調査なのだろう。
確かにお金は好きだけれど、勉強は生きるためにしているだけだ。
男が嫌いというより、男に生まれただけで女のわたしより偉いと思っている奴が嫌いなだけ。だから、逆もまたしかりで、つまりはむやみやたらに偉そうな人間が男女問わず嫌いなのだ。
「それで、引き受けていただけますでしょうか?」
「うん、別にいいよ(はい、よろしくお願いします)」
スカウトのポイントがいまいち謎だけれど、引き受けないわけがない。
だって、金持ちの坊ちゃんのお守りをするだけで大金をもらえるなんて、そんなおいしい話は滅多にないのだから。
「では後日、使いの者をやりますので、荷物をまとめておいてくださいね」
「わかりました」
最後まで気を抜かず、いかにも好々爺なセバスティアンが部屋を出て行くまでお行儀良くして、ドアが閉まった瞬間こっそりガッツポーズをした。
「カティ!」
それを寮母さんに見咎められたのかと身構えたら、目に涙を浮かべた彼女はそのふくよかな胸元にわたしをむんずと抱きしめた。
「よくやりましたね、カティ! あなたは優秀な子だと思っていましたけれど、まさかエッフェンベルグ家からお誘いがあるなんて! 今夜はご馳走を作りましょうね」
「あ、ありがとうございます……」
忘れていた。この行儀作法にうるさい寮母、ミセス・ブルーメが、同時に感激屋で世話焼きだということに。
きっと、今夜は食べきれないほどのご馳走と、彼女のとめどないおしゃべりに殺されかけるのだ。
でも、そんな日があってもいいかなとも思う。
本当だったら、もうすぐ始まる休暇はバイトに明け暮れお金を稼ぐことに走り回るはずだったけれど、さっきめでたく仕事が決まったのだから。
お祝いしたい気分だ。ミセス・ブルーメのおしゃべりにだって、付き合ってあげられそうなくらい。
エッフェンベルグ家の坊ちゃんの教育係兼世話係、か。
問題は、その坊ちゃんが色々と手が早いことだ。
女中に手を出しては泣いて出て行かれるか飽きてポイしてしまうため、なかなか居つかないのだという。おまけに男は嫌いだと言ってセバスティアン以外近寄らせないとか。
さらに、喧嘩っ早いため学友をぶん殴って学院を停学中。しかも、学院内での噂を信じるならば、彼はとってもお馬鹿さんなのだという。
わたしの仕事は、この休暇の間に彼に魔術の授業をつけ、ついでに近くにいてお世話をしてやること。
お馬鹿なケダモノのお世話……そう思うとちょっとだけ憂鬱だけれど、いざとなったらおとなしくしてもらえばいいだけだ。
だから何があっても、投げ出したりしない。
だってこれは、一攫千金のチャンスなのだから!
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