明日花咲くカタリーネ
2、エッフェンベルグ家へ
木、木、木。
あまりにも暇で手持ち無沙汰で、窓の外に目をやってみたけれど、流れていく景色は木ばかりである。
本はすべて荷物の中に入れてしまっているし、話し相手がいないから、とにかく暇だ。
ずいぶん長いこと馬車に揺られているけれど、エッフェンベルグ家にはまだ着かない。その上、思っていたものとは違って、馬車はあまり乗り心地はよくない。お金持ちの人が乗りたがるものだから、きっと速いし快適なのだと思っていたのに。
こんなことなら、飛んでおけばよかった。
でも、迎えに来たお使いの人に「わたし、飛べますよ?」と言ったら必死な形相で止められたのだ。こっちとしては荷物だけ預けて飛んで向かうつもりだったのに、「エッフェンベルグ家の使用人が飛ぶだなんて」ということらしい。
馬車がそんなにお上品か。そこまで良いものだとは思えないけれど。
ずっと森を走っているから景色が特別良いわけではないし、何より意外とお尻に来る。
いつ着くのか尋ねて、あと半日という答えが返ってきて、わたしは帰りは絶対飛んで帰ろうと決めたのだった。
朝早くに出発したはずなのに、エッフェンベルグ家に到着したのは夜だった。
しかも、道中で御者に尋ねてわかったことだけれど、一番足の速い馬にひかせているし、馬に疲労軽減の魔術をかけているためこれでも十分速いらしい。普通はどこかに一泊して二日かけて行く距離なのだとか。
「遠いところをお疲れ様でした。バルツァーさんのお部屋に案内しますので」
「はい」
門扉の前に乗りつけた馬車から降りると、わたしと歳が変わらないくらいの使用人がいた。お仕着せを身につけた見目麗しい少年だ。
給仕や来客にあたるのはこういった下僕なのだと、ミセス・ブルーメが言っていたっけ。「カッコイイ男の子がきっとたくさんいるんでしょうね」なんて言っていたけれど、わたしは仕事に行くのだ。イケメンだらけだろうとブサイクだらけだろうと関係ない。
それにしても、金持ちの家って無駄に広い。
門から屋敷までどれだけ歩かせるんだよ。まぁ、わたしが使用人としてやってきて、裏から入らされてるっていうのもあるんだろうけれど。
普段は歩くのは別に苦じゃないけれど、今日は慣れない乗り物で疲れた。
だから、部屋に着いたらお風呂に入ってすぐに寝てやろうーーそんなことを考えていたのに、思った通りにはいかないのが人生ってものなのだ。
「ようこそ、カティ。まぁまぁ! 疲れたでしょう? そんなに痩せ細って! ご飯をあげなくっちゃね! お洋服もすぐに仕立てさせますからね! 飲み物も部屋に持って行かせましょう!」
「え……あ、はい。ありがとうございます」
屋敷に入った途端、綺麗で、やたらテンションの高い人に捕まった。
撫でる触る抱きしめるしゃべるしゃべるしゃべる……のとんでもない攻撃に何が何やらわからずにいると、さっきの下僕が「奥様です」と教えてくれた。
なんですと⁉︎ と急いで姿勢を正したら、それを見てエッフェンベルグ夫人は笑った。
「カティ、そんなに畏まらないで。こんな大きな家に住んでいるけれど、我々は所詮商人で、貴族様ってわけじゃないんだから。……彼らと渡り合っていくために、それらしく振る舞うことが必要ってだけなの」
「はぁ……」
わたしの緊張をほぐすためか、夫人はにこにこと話してくれるけれど、その内容はよくわからなかった。話しかけられながら、数人がかりで採寸されていたから。
本当に、すぐに洋服を仕立ててくれるつもりらしい。
「サイズぴったりとはいかないでしょうけれど、お部屋に何着か用意してあるから、着替えたらダイニングに来てちょうだいね」
「は、はい」
嵐のような奥様とお針子部隊から解放され、下僕の子に案内されてわたしは部屋に向かうことになった。
何だったのだろう。
想像していた金持ちの奥様といういけ好かない感じの人ではなかったのだけれど、フレンドリーで世話好きで……慣れるまでは出会うたびにごっそり体力を削られそうだ。
「お召し替えに手伝いの者が必要でしたら、声をかけてください」
「はい」
いらないよ? というよりわたしは使用人としてここに来ているのでしょ? という疑問がわいたけれど、下僕は部屋まで案内するともうどこかへ行ってしまっていた。
部屋にはわたしの荷物がすでに運びこまれていて、何と飲み物も言われたとおり用意されていた。
クローゼットを開けると、まさに良家の子女のためのものといった感じの、品の良いワンピースやブラウスがわんさかあった。……てっきり、“使用人といえば”な控えめなエプロンドレスでも着るものだと思ったのに。
(あれ? あれれ? これ、何かおかしくない?)
わたしの頭の中では、警笛が鳴っている。
使用人としてエッフェンベルグ家にやってきたはずなのに、これは何かがおかしいと、全身が違和感を覚えていた。
その違和感の理由は、そのあとすぐにわかることになるのだけれど。
「カティ、あなたには使用人というより、マティウスのお友達になって欲しくて来てもらったのよ。セバスティアンから聞いたけれど、あなたは成績優秀で品行方正で、さらに働き者だそうね。ぜひ、そばにいてマティウスに良い影響を与えて欲しいのよ」
「は、はぁ……」
ダイニングに入ってすぐ、食卓に奥様がついているのを見ていよいよおかしいと思ったのだ。
普通、高貴な身分の方は使用人と一緒に食事をとらない。
でも、わたしがあくまで“客人”扱いなのだとわかれば、それも納得がいく。
(友達、ねぇ)
わたしはチラッと、同じテーブルについているマティウスを見やった。
使用人の女性が居つかない、喧嘩っ早いエッフェンベルグ家のご子息様は、端正なお顔立ちをしてらして、すまして席についている。
ミセス・ブルーメから聞いた話だと、元々は爵位を持つ家の子だったけれど、次男だったために子供のなかった叔父夫婦ーーこのエッフェンベルグ家に養子に出されたのだとか。ちなみに、エッフェンベルグ氏も次男だったため婿養子に入った形だという。だから、こんな感じで奥様のほうがパワフルなのかもしれない。
それにしても、お友達か。高貴なお方はお友達をお金で買ってもらうのか。そんなにお友達っているものだろうか。貧乏人のわたしは、別に友達と呼べる存在はいないけれど、どっこい生きているっていうのに。
「だから、カティはマティウスのお世話をするというより、そばにいて話し相手になってあげてほしいの。もちろん、魔術の稽古もよろしくね」
「わかりました。カタリーネ・バルツァーです。どうぞカティとお呼びください」
「ああ……よろしく」
当の本人はわたしへ一瞥くれただけで、黙々と食事を続けている。
まぁ、セバスティアンさんがわたしを選んだ理由というのは、容姿がマティウスの好みじゃないというのもあるのだろうから仕方ないけれど。
少しずつパンをかじって飢えをしのいで日々を生きているわたしは、痩せぎすでお世辞にも可愛いとは言えない自覚はある。
それにしても、容姿が良くて女に不自由していなさそうなのに、どうしてこの坊ちゃんは使用人に手を出してしまうのだろう。
「カティ、どんどん食べなさいね」
「え、あ……はい」
疑問は色々あるけれど、そんなことより今問題なのは、目の前に次々と出される料理だ。
夫人はたぶん、一晩でわたしを太らせる気なのだ。確かに、出されたこれらの料理を次から次へと胃へ収めることができれば、明日には丸々としていそうだけれど……食べることに慣れていないわたしの体は、どれだけ頑張れるだろうか。
にっこり笑った夫人の目が、「ちゃんと食べるまで解放しない」と言っているようで、わたしはそっとお腹をさすって覚悟を決めた。
あまりにも暇で手持ち無沙汰で、窓の外に目をやってみたけれど、流れていく景色は木ばかりである。
本はすべて荷物の中に入れてしまっているし、話し相手がいないから、とにかく暇だ。
ずいぶん長いこと馬車に揺られているけれど、エッフェンベルグ家にはまだ着かない。その上、思っていたものとは違って、馬車はあまり乗り心地はよくない。お金持ちの人が乗りたがるものだから、きっと速いし快適なのだと思っていたのに。
こんなことなら、飛んでおけばよかった。
でも、迎えに来たお使いの人に「わたし、飛べますよ?」と言ったら必死な形相で止められたのだ。こっちとしては荷物だけ預けて飛んで向かうつもりだったのに、「エッフェンベルグ家の使用人が飛ぶだなんて」ということらしい。
馬車がそんなにお上品か。そこまで良いものだとは思えないけれど。
ずっと森を走っているから景色が特別良いわけではないし、何より意外とお尻に来る。
いつ着くのか尋ねて、あと半日という答えが返ってきて、わたしは帰りは絶対飛んで帰ろうと決めたのだった。
朝早くに出発したはずなのに、エッフェンベルグ家に到着したのは夜だった。
しかも、道中で御者に尋ねてわかったことだけれど、一番足の速い馬にひかせているし、馬に疲労軽減の魔術をかけているためこれでも十分速いらしい。普通はどこかに一泊して二日かけて行く距離なのだとか。
「遠いところをお疲れ様でした。バルツァーさんのお部屋に案内しますので」
「はい」
門扉の前に乗りつけた馬車から降りると、わたしと歳が変わらないくらいの使用人がいた。お仕着せを身につけた見目麗しい少年だ。
給仕や来客にあたるのはこういった下僕なのだと、ミセス・ブルーメが言っていたっけ。「カッコイイ男の子がきっとたくさんいるんでしょうね」なんて言っていたけれど、わたしは仕事に行くのだ。イケメンだらけだろうとブサイクだらけだろうと関係ない。
それにしても、金持ちの家って無駄に広い。
門から屋敷までどれだけ歩かせるんだよ。まぁ、わたしが使用人としてやってきて、裏から入らされてるっていうのもあるんだろうけれど。
普段は歩くのは別に苦じゃないけれど、今日は慣れない乗り物で疲れた。
だから、部屋に着いたらお風呂に入ってすぐに寝てやろうーーそんなことを考えていたのに、思った通りにはいかないのが人生ってものなのだ。
「ようこそ、カティ。まぁまぁ! 疲れたでしょう? そんなに痩せ細って! ご飯をあげなくっちゃね! お洋服もすぐに仕立てさせますからね! 飲み物も部屋に持って行かせましょう!」
「え……あ、はい。ありがとうございます」
屋敷に入った途端、綺麗で、やたらテンションの高い人に捕まった。
撫でる触る抱きしめるしゃべるしゃべるしゃべる……のとんでもない攻撃に何が何やらわからずにいると、さっきの下僕が「奥様です」と教えてくれた。
なんですと⁉︎ と急いで姿勢を正したら、それを見てエッフェンベルグ夫人は笑った。
「カティ、そんなに畏まらないで。こんな大きな家に住んでいるけれど、我々は所詮商人で、貴族様ってわけじゃないんだから。……彼らと渡り合っていくために、それらしく振る舞うことが必要ってだけなの」
「はぁ……」
わたしの緊張をほぐすためか、夫人はにこにこと話してくれるけれど、その内容はよくわからなかった。話しかけられながら、数人がかりで採寸されていたから。
本当に、すぐに洋服を仕立ててくれるつもりらしい。
「サイズぴったりとはいかないでしょうけれど、お部屋に何着か用意してあるから、着替えたらダイニングに来てちょうだいね」
「は、はい」
嵐のような奥様とお針子部隊から解放され、下僕の子に案内されてわたしは部屋に向かうことになった。
何だったのだろう。
想像していた金持ちの奥様といういけ好かない感じの人ではなかったのだけれど、フレンドリーで世話好きで……慣れるまでは出会うたびにごっそり体力を削られそうだ。
「お召し替えに手伝いの者が必要でしたら、声をかけてください」
「はい」
いらないよ? というよりわたしは使用人としてここに来ているのでしょ? という疑問がわいたけれど、下僕は部屋まで案内するともうどこかへ行ってしまっていた。
部屋にはわたしの荷物がすでに運びこまれていて、何と飲み物も言われたとおり用意されていた。
クローゼットを開けると、まさに良家の子女のためのものといった感じの、品の良いワンピースやブラウスがわんさかあった。……てっきり、“使用人といえば”な控えめなエプロンドレスでも着るものだと思ったのに。
(あれ? あれれ? これ、何かおかしくない?)
わたしの頭の中では、警笛が鳴っている。
使用人としてエッフェンベルグ家にやってきたはずなのに、これは何かがおかしいと、全身が違和感を覚えていた。
その違和感の理由は、そのあとすぐにわかることになるのだけれど。
「カティ、あなたには使用人というより、マティウスのお友達になって欲しくて来てもらったのよ。セバスティアンから聞いたけれど、あなたは成績優秀で品行方正で、さらに働き者だそうね。ぜひ、そばにいてマティウスに良い影響を与えて欲しいのよ」
「は、はぁ……」
ダイニングに入ってすぐ、食卓に奥様がついているのを見ていよいよおかしいと思ったのだ。
普通、高貴な身分の方は使用人と一緒に食事をとらない。
でも、わたしがあくまで“客人”扱いなのだとわかれば、それも納得がいく。
(友達、ねぇ)
わたしはチラッと、同じテーブルについているマティウスを見やった。
使用人の女性が居つかない、喧嘩っ早いエッフェンベルグ家のご子息様は、端正なお顔立ちをしてらして、すまして席についている。
ミセス・ブルーメから聞いた話だと、元々は爵位を持つ家の子だったけれど、次男だったために子供のなかった叔父夫婦ーーこのエッフェンベルグ家に養子に出されたのだとか。ちなみに、エッフェンベルグ氏も次男だったため婿養子に入った形だという。だから、こんな感じで奥様のほうがパワフルなのかもしれない。
それにしても、お友達か。高貴なお方はお友達をお金で買ってもらうのか。そんなにお友達っているものだろうか。貧乏人のわたしは、別に友達と呼べる存在はいないけれど、どっこい生きているっていうのに。
「だから、カティはマティウスのお世話をするというより、そばにいて話し相手になってあげてほしいの。もちろん、魔術の稽古もよろしくね」
「わかりました。カタリーネ・バルツァーです。どうぞカティとお呼びください」
「ああ……よろしく」
当の本人はわたしへ一瞥くれただけで、黙々と食事を続けている。
まぁ、セバスティアンさんがわたしを選んだ理由というのは、容姿がマティウスの好みじゃないというのもあるのだろうから仕方ないけれど。
少しずつパンをかじって飢えをしのいで日々を生きているわたしは、痩せぎすでお世辞にも可愛いとは言えない自覚はある。
それにしても、容姿が良くて女に不自由していなさそうなのに、どうしてこの坊ちゃんは使用人に手を出してしまうのだろう。
「カティ、どんどん食べなさいね」
「え、あ……はい」
疑問は色々あるけれど、そんなことより今問題なのは、目の前に次々と出される料理だ。
夫人はたぶん、一晩でわたしを太らせる気なのだ。確かに、出されたこれらの料理を次から次へと胃へ収めることができれば、明日には丸々としていそうだけれど……食べることに慣れていないわたしの体は、どれだけ頑張れるだろうか。
にっこり笑った夫人の目が、「ちゃんと食べるまで解放しない」と言っているようで、わたしはそっとお腹をさすって覚悟を決めた。