明日花咲くカタリーネ
24、とんでもない朝
空腹と怠さを感じて目が覚めた。
何でこんなに怠いの? なんてことを考えて目を開けると、そこにあったのは見慣れない天井。
急いで周囲に目をやって、わたしは心臓が止まるかと思った。
なぜなら、隣に誰かが寝ていたから。
誰か、ではない。よくよく見ると、それはマティウスだった。
すやすやと寝息を立てて、気持ち良さそうに眠っている。
スッと通った鼻筋や繊細な睫毛に縁取られた瞼など、普段じっくりと見ることができないぶん見ていて飽きない。眠っていても、気品を感じさせる端正な顔立ちだ。
……って、そんなことはどうだっていい!
なぜ、わたしはマティウスと一緒のベッドで眠っていたのだろう。
そして、なぜマティウスは裸なのだろう。
「……」
そっと布団をめくって、マティウスが下は履いていることを確認した。わたしも、衣服を身につけている。ひとまず安心した。
「……うん」
体も、怠さ以外に特におかしなことはない。……と思う。
何せ寝て起きたらこうなっていたのだから、あまりしっかりとしたことは言えないけれど。
昨夜、説得を聞き入れないわたしを引き止めるために、マティウスはわたしに眠りの魔術をかけた。そこまではかろうじて覚えている。
でも、そのあとなぜマティウスの部屋に運ばれたのか、それから何があったのか、わからないのだ。
「……何で脱いでるのよ」
何もなかったと思うけれど、こうしてあられもない姿で隣にいられると困惑してしまう。
朝から破壊力抜群だ。曲がりなりにも好きな男の裸なんて、何の覚悟もなく見ていいものではない。
「マティウスさま……起きて」
ドキドキしすぎて痛む心臓を押さえて、わたしは隣で眠るマティウスの体を揺さぶった。むき出しの素肌に触れたというだけで、また一段階鼓動が跳ね上がる。
「ん……カティ!」
「キャッ」
「観念しろ!」
マティウスはパチリと目を開けるや否や、わたしに抱きついて羽交い締めにした。ただでさえはちきれそうだった心臓が、もう口から飛び出しそうな勢いで暴れている。そんなことにはお構いなしにマティウスはわたしの体の自由を奪おうと、抱きしめたままベッドに倒れこんだ。
「カティ、逃げないか?」
「逃げません! だから離して!」
「……ダメだ」
わたしを組み敷いて見下ろすマティウスの顔は、いたずらっ子のものだ。慌てるわたしを見るのが楽しいという顔をしている。
(肉食獣に捕まった小動物というのは、こういう気持ちになるのかしら)
そんなことを思ってしまうほど、わたしは今どうにもできない状況に陥っている。
「……マティウスさま、何か企んでます?」
「ああ。カティはもう私から逃げられない」
マティウスがにやりと悪い笑みを浮かべた直後、控えめにドアがノックされた。
「セバスティアンか。私は起きている。朝食は今朝はここで摂るから運んでくれるか? ーー二人分な」
「……もしや、そちらにカティさまが?」
「そうだ」
「かしこまりました」
ドアが開いて、隣のリビングルームにセバスティアンが入ってくる気配がすると、マティウスはすばやく指示を飛ばした。一瞬の間はあったけれど、セバスティアンは素早く対応した。適応力ありすぎでしょ!
今のやりとりだけだと、まるでそういうことがあったあとみたいじゃない!
わたしはセバスティアンにどういうふうに思われたかを考えて悶絶した。
「……これが狙いだったんですね」
下から睨みつけてやると、マティウスは困ったように微笑んだ。
まるで悪いことなどした覚えはないとでも言うような顔だ。
「既成事実を作ってしまえば、カティは私のそばにいてくれるのではないかと思ってな」
「……こんなこと、困ります」
「本当は何もなかったのだから、そんなに怒らないでくれ」
わたしを押さえ込む腕を決して緩めないまま、マティウスは今度は懇願するような切なげな眼差しをわたしへ注ぐ。悩ましげに眉根を寄せて少し目を細めるその表情が、わたしの胸をどれだけ苦しくさせるのか知っているとしか思えない。
「カティがこれでもまだ私の元から離れていくというのなら……手段を選んでいられないな」
わたしを見下ろす青い目に不穏な色が宿る。「何をする気ですか?」と聞けるほど、わたしは物を知らない子供ではない。だから、ただ見つめ返すしかできなかった。
手荒なことはされたくないし、して欲しくもない。お互いの気持ちが通じ合っていることがわかっているのに、何かの手段として事を進めてしまうのなんて悲しすぎる。
「……冗談だ、カティ。君が悲しむことを私はしないよ。ごめん」
わたしの胸の内が伝わったのか、マティウスはわたしを押さえ込んでいた腕を解いてごろりと横になった。寝転がって、こちらを見つめる目は不安げで、凛々しい容姿には似合わない。
「……怒ってませんから、そんな顔をしないでください。それと、早く服を着てください」
何故だかかわいそうになって、わたしはマティウスの髪を撫でた。似合わないはずなのに、不安に揺れる顔は無性にわたしの庇護欲をくすぐるのだ。だから、つい甘くなってしまう。そんなわたしを見て、マティウスは嬉しそうに笑った。
「わかった。逃げちゃダメだからな!」
「!」
マティウスは勢いをつけて上体を起こすと、そのままわたしに覆いかぶさるようにして、啄ばむように唇を重ねた。そして何事もなかったかのように離れると、隣の部屋へと歩いていってしまった。
……キス、された。
初めてのキスだったのに、それは雰囲気も何もあったものではなかった。
「……カティ、そろそろ機嫌を直してはくれないか?」
「話しかけないでください」
「そんな……カティ、頼むよ」
キスの一件で頭に来たわたしは、マティウスを許さないことに決めた。
だって、あんまりだ。寝起きで、ちゃんと服を着ていなくて、おまけに覚悟もできていない状態で一方的に奪われたのだ。
初めてのキスに夢を持っていたつもりはなかったけれど、これじゃないという気持ちはすごくある。とにかく、マティウスのなってなさにすごく腹が立っているのだ。
「カティ……食べなよ。お腹が空いているんだろう?」
「……食べますけど」
わたしが食事に手をつけないから、マティウスはお預けを食った犬のように潤んだ目でわたしを見てくる。そんなに食べたいなら先に食べてしまえばいいのにと思うけれど、そういう性格ではないから仕方がない。
あれから、着替えて戻ってきたマティウスに頼んで服を取りに行ってもらった。着替えに行きたかったけれどマティウスがそれを許してくれなかったし、よく考えたら勘違いされているのだから迂闊に廊下を歩けないのだ。
そういうことがあった(と思われている)あとに寝間着で歩いているところなんて見られたら淑女として終わりだ。上品ぶるつもりはないけれど、やっぱりそこは最低限気をつけなければならない。
持ってきてもらった服に着替えてリビングルームへ行くと、そこには豪勢な朝食がセッティングされていた。それを見て、もうこの家に味方はいないような気がしてきて、食べる気になれなかったのだ。
豪華というよりお祝いムードの食事が、セバスティアンが気を使った結果だとわかる。セバスティアンが気を使ったということは、料理人にも、下手をすると他の使用人にも伝わっているということだろう。
……わたしとマティウスが、深い関係になったということが。
そんなの、恥ずかしすぎる! 本当はまだ何もないのに!
「カティ、私はカティのことが好きだ。カティも私が好きか?」
「……はい」
「好きか?」
「……好きです」
「なら、何の問題があったんだ?」
パンをちぎって口へ運びながら、マティウスはやや不満そうに唇を尖らせている。
キスをしてわたしが不機嫌になったことに納得がいかないらしい。
わたしはキスが嫌だったわけではない。ただ、タイミングが良くなかったというだけだ。
ただ、そういった感覚的なことを言葉に出して伝えるのは難しい。
「……もうちょっと、雰囲気が欲しかったんです」
思い切って言ってみると、ものすごく恥ずかしかった。これじゃあ、わたしはそこらへんの恋に浮かれる面倒臭い女ではないか。
明確な基準の存在しないところで、あれが嫌だこれが気に入らないといって恋人を困らせたり愛を試そうとしたりする、あの面倒臭い思考だ。
自分で気がついて、めまいがしてくる。
でも、なぜかマティウスは嬉しそうだ。
「何でニヤニヤしてるんですか?」
「いや……カティが可愛いことを言うから。今度からは雰囲気に気を配るから、またキスしてもいいだろうか?」
「……そうやって聞くのもダメです」
まるで恋人同士のような会話をしている。自分でも、本当に信じられないことだ。
それに、気になることがある。確かめないといけないことがある。
だから、わたしはそれを真っ直ぐにマティウスにぶつけることにした。
「マティウスさま……わたしたちの関係は、許されるものなのでしょうか?」
何でこんなに怠いの? なんてことを考えて目を開けると、そこにあったのは見慣れない天井。
急いで周囲に目をやって、わたしは心臓が止まるかと思った。
なぜなら、隣に誰かが寝ていたから。
誰か、ではない。よくよく見ると、それはマティウスだった。
すやすやと寝息を立てて、気持ち良さそうに眠っている。
スッと通った鼻筋や繊細な睫毛に縁取られた瞼など、普段じっくりと見ることができないぶん見ていて飽きない。眠っていても、気品を感じさせる端正な顔立ちだ。
……って、そんなことはどうだっていい!
なぜ、わたしはマティウスと一緒のベッドで眠っていたのだろう。
そして、なぜマティウスは裸なのだろう。
「……」
そっと布団をめくって、マティウスが下は履いていることを確認した。わたしも、衣服を身につけている。ひとまず安心した。
「……うん」
体も、怠さ以外に特におかしなことはない。……と思う。
何せ寝て起きたらこうなっていたのだから、あまりしっかりとしたことは言えないけれど。
昨夜、説得を聞き入れないわたしを引き止めるために、マティウスはわたしに眠りの魔術をかけた。そこまではかろうじて覚えている。
でも、そのあとなぜマティウスの部屋に運ばれたのか、それから何があったのか、わからないのだ。
「……何で脱いでるのよ」
何もなかったと思うけれど、こうしてあられもない姿で隣にいられると困惑してしまう。
朝から破壊力抜群だ。曲がりなりにも好きな男の裸なんて、何の覚悟もなく見ていいものではない。
「マティウスさま……起きて」
ドキドキしすぎて痛む心臓を押さえて、わたしは隣で眠るマティウスの体を揺さぶった。むき出しの素肌に触れたというだけで、また一段階鼓動が跳ね上がる。
「ん……カティ!」
「キャッ」
「観念しろ!」
マティウスはパチリと目を開けるや否や、わたしに抱きついて羽交い締めにした。ただでさえはちきれそうだった心臓が、もう口から飛び出しそうな勢いで暴れている。そんなことにはお構いなしにマティウスはわたしの体の自由を奪おうと、抱きしめたままベッドに倒れこんだ。
「カティ、逃げないか?」
「逃げません! だから離して!」
「……ダメだ」
わたしを組み敷いて見下ろすマティウスの顔は、いたずらっ子のものだ。慌てるわたしを見るのが楽しいという顔をしている。
(肉食獣に捕まった小動物というのは、こういう気持ちになるのかしら)
そんなことを思ってしまうほど、わたしは今どうにもできない状況に陥っている。
「……マティウスさま、何か企んでます?」
「ああ。カティはもう私から逃げられない」
マティウスがにやりと悪い笑みを浮かべた直後、控えめにドアがノックされた。
「セバスティアンか。私は起きている。朝食は今朝はここで摂るから運んでくれるか? ーー二人分な」
「……もしや、そちらにカティさまが?」
「そうだ」
「かしこまりました」
ドアが開いて、隣のリビングルームにセバスティアンが入ってくる気配がすると、マティウスはすばやく指示を飛ばした。一瞬の間はあったけれど、セバスティアンは素早く対応した。適応力ありすぎでしょ!
今のやりとりだけだと、まるでそういうことがあったあとみたいじゃない!
わたしはセバスティアンにどういうふうに思われたかを考えて悶絶した。
「……これが狙いだったんですね」
下から睨みつけてやると、マティウスは困ったように微笑んだ。
まるで悪いことなどした覚えはないとでも言うような顔だ。
「既成事実を作ってしまえば、カティは私のそばにいてくれるのではないかと思ってな」
「……こんなこと、困ります」
「本当は何もなかったのだから、そんなに怒らないでくれ」
わたしを押さえ込む腕を決して緩めないまま、マティウスは今度は懇願するような切なげな眼差しをわたしへ注ぐ。悩ましげに眉根を寄せて少し目を細めるその表情が、わたしの胸をどれだけ苦しくさせるのか知っているとしか思えない。
「カティがこれでもまだ私の元から離れていくというのなら……手段を選んでいられないな」
わたしを見下ろす青い目に不穏な色が宿る。「何をする気ですか?」と聞けるほど、わたしは物を知らない子供ではない。だから、ただ見つめ返すしかできなかった。
手荒なことはされたくないし、して欲しくもない。お互いの気持ちが通じ合っていることがわかっているのに、何かの手段として事を進めてしまうのなんて悲しすぎる。
「……冗談だ、カティ。君が悲しむことを私はしないよ。ごめん」
わたしの胸の内が伝わったのか、マティウスはわたしを押さえ込んでいた腕を解いてごろりと横になった。寝転がって、こちらを見つめる目は不安げで、凛々しい容姿には似合わない。
「……怒ってませんから、そんな顔をしないでください。それと、早く服を着てください」
何故だかかわいそうになって、わたしはマティウスの髪を撫でた。似合わないはずなのに、不安に揺れる顔は無性にわたしの庇護欲をくすぐるのだ。だから、つい甘くなってしまう。そんなわたしを見て、マティウスは嬉しそうに笑った。
「わかった。逃げちゃダメだからな!」
「!」
マティウスは勢いをつけて上体を起こすと、そのままわたしに覆いかぶさるようにして、啄ばむように唇を重ねた。そして何事もなかったかのように離れると、隣の部屋へと歩いていってしまった。
……キス、された。
初めてのキスだったのに、それは雰囲気も何もあったものではなかった。
「……カティ、そろそろ機嫌を直してはくれないか?」
「話しかけないでください」
「そんな……カティ、頼むよ」
キスの一件で頭に来たわたしは、マティウスを許さないことに決めた。
だって、あんまりだ。寝起きで、ちゃんと服を着ていなくて、おまけに覚悟もできていない状態で一方的に奪われたのだ。
初めてのキスに夢を持っていたつもりはなかったけれど、これじゃないという気持ちはすごくある。とにかく、マティウスのなってなさにすごく腹が立っているのだ。
「カティ……食べなよ。お腹が空いているんだろう?」
「……食べますけど」
わたしが食事に手をつけないから、マティウスはお預けを食った犬のように潤んだ目でわたしを見てくる。そんなに食べたいなら先に食べてしまえばいいのにと思うけれど、そういう性格ではないから仕方がない。
あれから、着替えて戻ってきたマティウスに頼んで服を取りに行ってもらった。着替えに行きたかったけれどマティウスがそれを許してくれなかったし、よく考えたら勘違いされているのだから迂闊に廊下を歩けないのだ。
そういうことがあった(と思われている)あとに寝間着で歩いているところなんて見られたら淑女として終わりだ。上品ぶるつもりはないけれど、やっぱりそこは最低限気をつけなければならない。
持ってきてもらった服に着替えてリビングルームへ行くと、そこには豪勢な朝食がセッティングされていた。それを見て、もうこの家に味方はいないような気がしてきて、食べる気になれなかったのだ。
豪華というよりお祝いムードの食事が、セバスティアンが気を使った結果だとわかる。セバスティアンが気を使ったということは、料理人にも、下手をすると他の使用人にも伝わっているということだろう。
……わたしとマティウスが、深い関係になったということが。
そんなの、恥ずかしすぎる! 本当はまだ何もないのに!
「カティ、私はカティのことが好きだ。カティも私が好きか?」
「……はい」
「好きか?」
「……好きです」
「なら、何の問題があったんだ?」
パンをちぎって口へ運びながら、マティウスはやや不満そうに唇を尖らせている。
キスをしてわたしが不機嫌になったことに納得がいかないらしい。
わたしはキスが嫌だったわけではない。ただ、タイミングが良くなかったというだけだ。
ただ、そういった感覚的なことを言葉に出して伝えるのは難しい。
「……もうちょっと、雰囲気が欲しかったんです」
思い切って言ってみると、ものすごく恥ずかしかった。これじゃあ、わたしはそこらへんの恋に浮かれる面倒臭い女ではないか。
明確な基準の存在しないところで、あれが嫌だこれが気に入らないといって恋人を困らせたり愛を試そうとしたりする、あの面倒臭い思考だ。
自分で気がついて、めまいがしてくる。
でも、なぜかマティウスは嬉しそうだ。
「何でニヤニヤしてるんですか?」
「いや……カティが可愛いことを言うから。今度からは雰囲気に気を配るから、またキスしてもいいだろうか?」
「……そうやって聞くのもダメです」
まるで恋人同士のような会話をしている。自分でも、本当に信じられないことだ。
それに、気になることがある。確かめないといけないことがある。
だから、わたしはそれを真っ直ぐにマティウスにぶつけることにした。
「マティウスさま……わたしたちの関係は、許されるものなのでしょうか?」