明日花咲くカタリーネ
29、秘めた蕾、開くとき


 倉庫の扉が開いて入ってきたのは、アルノー・ギースラーだった。
 先ほどまでの余裕綽々な様子はなく、ものすごく焦っているみたいだ。
 
「おい! 外のやつらが何かヤバイことになってる! お前、何かやったのか!?」

 わたしが移動していることになど気づかず、アルノー・ギースラーは尋ねてくる。
 とりあえず、わたしは黙って首を振っておいた。

「何か、見張りのやつらとかが突然植物の蔦みたいに絡み取られて、動けなくなっちまったんだよ! どこからともなく蔦から枝やらが生えてきてよ、ここもいつ崩れるかわかんねぇ! 本当にお前じゃねえのか!? こんなおかしなこと、魔術だとか魔法だとか以外ありえないだろ!」
「し、知らない。だって、わたし、首のこれで魔術使えないし……」
「じゃあ何で立ち上がってんだよ! よく見りゃ動いてるしよ!」
「これは、すごい音がしたから、怖くてびっくりして思わず立ち上がっちゃっただけで」
「……くそっ! どうすりゃいいんだよ!」

 鋭いのか鈍いのか、アルノー・ギースラーはわたしの言い訳を信じたようだ。というより、本気で焦っていて瑣末なことを気にしている余裕がないのだろう。
 ひとまず、逃げ出そうとしていたことがバレなくてよかった。

「雇ったやつらはみんはやられちまった。ここにはもういられねえが、金はねえ。……金はまだかよ。これは、あの金持ちの家のやつらがしたことなのか……?」

 苛立った様子で、アルノー・ギースラーはブツブツとしゃべっている。触れれば切れそうな危うい雰囲気だ。
 貴族や女性を騙す柔和で爽やかな雰囲気とも違うし、わたしを嘲笑った下衆な様子とも違う。狂気じみたこの雰囲気が、こいつの正体なのだろうか。
 わからないけれど、見ているうちにだんだんとわたしは不安になってきた。

(あの音、何だろう? 植物って? 雇われてるごろつきがやっつけられてるっていうけど、わたしの味方なのかな……?)

 不安で怖くて、わたしは誰かが助けに来てくれたのを想像した。
 でも、それなら誰か?と考えると思い浮かばない。
 もしエッフェンベルグ家の人が助けをよこしてくれたのだとしたら、それは得体の知れない魔法使いとかではなく警察だろうし、それなら単独で特攻などせずに素早くこの場を制圧するだろう。
 冷静に考えれば考えるほど、意味がわからなくなった。誰かが助けに来てくれたのだと考えるよりも、何か得体の知れないものがこの場所に入り込んで暴れていると考えるほうが自然な気がする。
 そう考えると、ここはおとなしくしているのは得策ではなくて、このどさくさに紛れて逃げるのが正解な気がする。

「……もうだめだ! サツでもそれ以外でも、もう終わりだ! 逃げられるだけ逃げてやる!」

 ブツブツ言っていたアルノー・ギースラーは、どうやら覚悟を決めたらしい。狂人の表情のまま、わたしのほうに向き直った。
 そうして手を伸ばしながら足早に近づいてこられるのが怖くて、わたしは後退った。本当なら出口に近づきたいけれど、アルノー・ギースラーから逃げるには逆方向へ行くしかない。

「逃げるな! お前は盾で、無事にここを抜けたら適当なところに売っ払われて金になるんだよ!」
「きゃっ」

 逃げるわたしに腹を立てたらしく、アルノー・ギースラーは大きく一歩踏み込んで近づいてきた。胸ぐらを掴まれて、ブラウスのきれいなボタンが千切れ飛んだ。そんなことには構わず、アルノー・ギースラーはわたしを担ぐために高く持ち上げようとした。
 そのとき――。

「うわっ! 何だこれ!?」

 わたしの胸元あたりから突如植物が吹き出した。細い細い蔦のようなものが集まって、男性の腕くらいの太さになっている。
 その腕のようになった植物はアルノー・ギースラーをわたしから引き剥がし、掴み、放り投げ、そして再び掴んで高く高く持ち上げた。
 その植物は、確実に意思を持っている。そう確信するだけの動きをした。

(何、これ? どうやって生えてきた? わたしのこと、守ってくれてる……?)

 そんなことを考えて、ふとわたしは身近にいる、植物を操るのが得意な人間のことを思い出していた。
 彼は、彼になら、植物を使って大勢の悪党を倒したり、離れた場所からわたしを守ったりできるだろう。
 本当は彼は魔術が不得意なんかではなく、人を傷つけたくないと思っているだけなのだから。

「カティにひどいことをするなんて、信じられないやつだ。こんな可愛い子を見て、可愛がる以外のことを思いつくのがありえないな。まあ、だからお前は親になれなかったのだろうが」

 倉庫の扉が開いて、誰かが入ってきた。
 それは、わたしが思っていた人だった。
 助けに来てくれたらいいのにと思っていた、でも来ることはできっこないと思っていたその人が、今本当にここに来てくれた。

「マティアス!」
「カティ、遅くなってごめん。怖い思いをさせたね」

 倉庫に入ってきたマティアスは、アルノー・ギースラーには目もくれず、まっすぐにわたしのところに来てくれた。
 それから、わたしの胸元から生えていた植物を引っこ抜くと、それを鞭のように操ってアルノー・ギースラーを床に激しく叩きつけた。

「カティがもしも危ない目に遭ったときに守れるように、ちょっとした魔術を仕込んでたんだ。びっくりさせて、ごめんね」
「ううん、いいの……守ってくれて、ありがとう」
「泣かないで。可哀相に……本当は、この魔術が発動する日なんて来てほしくなかったんだ」

 マティアスの顔を見たら、安心してしまって涙が止まらなくなった。本当は、聞きたいことも言いたいこともたくさんある。でも今は、マティアスの穏やかな顔を見ながら泣いていたい。
 
「おい! 人をこんな目に遭わせてる横でいちゃつくなよ!」

 床に叩きつけられてもなお意識を保っていたアルノー・ギースラーが、口から泡を飛ばしながら叫んでいた。
 てっきり、マティアスが来てくれたことで一件落着したと思っていたから、わたしは再び身構えた。
 でも、マティアスは落ち着いていて、再び植物を使ってアルノー・ギースラーを持ち上げる。

「まだ意識があったんだ。起きていてもいいが、騒がないでもらいたい」
「金持ちのボンボンがッ、いい気になるなよ!」
「……本当は今すぐこの世から退場してほしいんだけど、そういうことをするとカティが悲しむから拘束するだけで済ませてるんだ。これ以上あまり怒らせないでくれ」

 近づくことができれば噛みつきそうな勢いで叫ぶアルノー・ギースラーに、マティアスは冷ややかな視線を送った。それを見て、彼が落ち着いているのではなく静かに怒っているのがわかった。怒るとものすごく怖いタイプだ、絶対。
 
「そうだ、カティ! 俺はお前の父親だぞ! 情けくらいあるだろ? 逃してくれたら、お前に二度と迷惑はかけない。だからこのボンボンに、俺を離すよう言ってくれ」

 マティアスを相手にしてもだめだとわかったからか、アルノー・ギースラーはわたしのほうを向いて言った。必死に媚びるような笑みを浮かべてくるその顔が、ものすごく醜い。
 でも腹が立つよりも何よりも、こんな男のためにお母さんが死ななくちゃいけなかったことが悲しくて、心が憎しみで真っ黒に塗りつぶされてしまいそうだ。

「――おい、発言には気をつけろ。お前がカティの親だって? 親は生んだだけでなれるものではない。ましてや、遺伝子を提供しただけで親だと名乗れるわけがないだろう? 黙らないなら黙らせるぞ」

 マティアスは、これまで私の前で出したことがないような低い声で、アルノー・ギースラーに言い放った。
 暗がりと雷がだめで、眠るときに誰かにそばにいてほしがる甘えたな彼とは思えないほど、凛々しくて、そして殺気立っていた。
 さすがにそこまで言われて何も言えなかったのか、ようやくアルノー・ギースラーは口を閉じた。でも、それでも何とか抜け出せないかと足をばたつかせ、身体をよじっていた。
 そうこうしているうちに、大勢の足音と話し声が近づいてくるのが聞こえてきた。

「警察だよ。カティ、もう安心していい」

 ほっとしたように笑って、マティアスは言った。どうやら、平気そうに見えてかなり気を張っていたらしい。

「ねえ、そういえばどうやってわたしの場所がわかったの? まさか、追跡の魔術でもつけてたの?」

 ここに警察が来てくれたこともびっくりだけれど、何よりも警察より先にマティアスが来たことが不思議だったのだ。
 来てくれてよかったし、助かったとも思っている。でも、やっぱりどうやったのかは気になる。

「セバスティアンが、教えてくれたんだ。カティがいるのはここだって。だから、苦手だけど魔術で飛んできた」
「え? セバスティアンさんがわたしに追跡魔術つけてるの?」
「いや、セバスティアンじゃなくて寮母の、ミセス・ブルーメが」

 「なぜミセス・ブルーメが?」と聞こうとしたときに、灯りと共に倉庫の中にたくさんの警察官が入ってきた。あっという間にアルノー・ギースラーは取り押さえられ、丸太のように担いで連れて行かれてしまう。
 その次に警察官たちが目を向けたのは、わたしだ。
 わたしの姿を確認すると彼らは安心した表情をして、そして保護しようと近づいてきた。
 敵ではない、助けに来てくれたのだ――そうわかっていても、わたしの身体はすくんだ。
 百貨店でさらわれ、先ほどまで悪党と一緒にいたということで、気づかないうちにかなり心的疲労が蓄積していたらしい。知らない人間に囲まれるというのが、今はものすごく疲れることだった。
 たくさんの男の人たちが怖いというのも、どうもあるみたいだった。
 それに気がついてくれたらしく、マティアスがそっと抱きしめてくれた。

「彼女がカタリーネ・バルツァーです。こうして無事に保護できましたので、今夜はエッフェンベルグ家に連れて帰りたいと思います。警察への証言は、日を改めて家のものと一緒に行かせますので」

 マティアスは、まるで立派な大人みたいに言った。
 あの甘えたなマティアスがだ。
 警察の人たちは、ひとまずわたしが無事だったことと、被害にあった心理を考えてのことで、エッフェンベルグ家への帰宅を許してくれた。
 縄を切ってもらい、怪我の有無を確認され、わたしはマティアスと共に外に来ていた馬車に乗せられた。
 馬車の座席に身体を預けたとき、ようやくわたしはほっと息を吐くことができた。

「カティ、怖かったね。それに疲れただろう? 屋敷に帰ったら何かあたたかいものを食べて、今夜はゆっくり休みなさい。何なら、私が一緒に寝てやるからな」
「……はい」
「素直に返事をしてしまうなんて、よほど疲れているんだな」

 最後の部分にわたしがツッコミを入れなかったからだろう。マティアスは心配そうに顔を覗き込んできた。
 以前だったらつっこんだかもしれないけれど、今はそんな気はしない。冗談のつもりの添い寝も、いいかもしれないと思っている。

「疲れてはいますけど、大丈夫です。マティアスさまが、いろんなものから守ってくれましたから。……倉庫に捕まってるとき、マティアスさまが来てくれたらいいのにって思いました。そしたら本当に来てくれて、悪いものをみんなやっつけてくれて、こうして家に連れて帰ってくれて、ほっとしてます。ありがとう」
「カティ……」

 夜会のときも思ったけれど、マティアスはしおらしいわたしが苦手だ。今も眉根を寄せて、困ったような切ないような顔をしてわたしを見てくる。
 その顔は、わたしのことを大切に思って心配してくれている顔だ。こんな顔をさせたいわけではないのだけれど、ああ愛されているのだと強く感じられて、胸がキュンとしてしまう表情でもある。

「もう二度と、怖い思いをさせないと誓う。我が家としても、私自身としても、あの男を許す気はないから。カティに二度と関わらせたりしない。カティの人生から、完全に退場してもらう。だから、安心していていいからね」
「はい」

 わたしの肩を抱いて、優しく髪を撫でながらマティアスは言う。
 今日起きた出来事は不幸だけれど、それがなければマティアスのことをこんなにも頼もしく思うことはなかっただろう。
 そのことが嬉しいような、誇らしいような気持ちになって、わたしの胸はいっぱいになる。
 そして、この人がこんなにもわたしを好きでいてくれることが、ありがたくて信じられない気がする。

「マティアスさまは、ひとりで危険な場所に飛んできてくれるくらいわたしのことが好きなんですね」

 確認する意味ではなく、ただ口に出したくてわたしは言った。
 たとえるなら、ふいにお母さんに聞きたくなる「わたしのこと好き?」と同じたぐいの質問だ。
 わかりきっている。答えなんて知っている。だからこそ、つい口に出してしまうのだ。

「好きだよ。それ以上の気持ちだ。だから、カティのことはこれからずっと、わたしが必ず守るから」
 
 少しの迷いもなく、マティアスは言った。
 見れば、目がチカチカしてしまいそうなほど、まぶしい笑顔を浮かべている。
 それが嬉しくて、この上なく幸せで。
 わたしは馬車が揺れてよろけたふりをして、ギュッとマティアスの身体にしがみついたのだった。
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