医務室の魔女と魔術学院狂騒ディズ
第十一話 魔女、戦う
足をもつれさせて転ばないように気をつけながら走って走って、フィオーネはようやく玄関ホールへとたどりついた。上からまず見ていこうと、最上部に向かっていたのがまずかった。三階で影に行き遭ってしまったフィオーネは、上ってきた階段をまた下らねばならなかったのだ。
「え? フィオ……どうしたの?」
「……ひっ」
ゼェゼェと肩で息をし、恐怖に震えているフィオーネは、そう声をかけられて飛び上がった。
振り返ると、そこにいたのはダリウスで、安心していいのか怖がるべきなのか困惑した。
「あ、ちがうよ? たまたま寮から出て来たらフィオがいただけで、ビー玉で居場所を突き止めたわけじゃないから!」
「そ、そうなの……」
目を見開いて固まるフィオーネをなだめようと、ダリウスは両手を上げて身の潔白を訴えた。それに対し、フィオーネはひとまずうなずく。
「ところで、フィオはどうしてここに?」
「女子寮にオバケが出るって噂があって、それを確かめに……」
「オバケ?」
「うん、オバケ……さっき見たの」
知っている顔を見てホッとしかけたフィオーネだったけれど、さっき見た影のことを思い出し、また怖くなってしまった。
「そんなに怯えてるなんて……俺でよければ、話聞くけど」
どさくさにまぎれて、ダリウスはそっとフィオーネの肩を抱いた。
その美貌には、下心がありありと浮かんでいる。怖がっているフィオーネをなぐさめ、あわよくば好感度を上げようと考えているのだろう。せっかくのイケメンが台無しだ。
「ありがとう……あのね」
ダリウスの企みに気がつかないフィオーネは、肩を抱かれたまま事情を説明しようとした。でも、下手な企みは上手くいかないのが世の常だ。
「あ、ダリウス先輩!」
寮の入り口に現れたグリシャが、ダリウスを指差して叫んだ。それに、いつものメンバーが続く。
「先輩がフィオ先生を寮に連れ込もうとしてるぞ!」
「不潔だ! 破廉恥だ!」
「捕まえろー!」
ダリウスはフィオーネから事情を聞いてなだめ、それから悩みをかっこよく解決して、「ダリウス、素敵!」と言ってもらうはずだったのに。
突然現れた目からビーム四人衆によって、その計画は頓挫した。
「ち、ちがう! 誤解だ。フィオがあわてて寮から出て来たから、事情を聞こうとしてただけだよ……」
四バカの勢いに、ダリウスはたじたじになる。でも、フィオーネは安堵した様子だ。にぎやかになって、怖さが薄れたのだろう。
「……あなたたちの顔を見てホッとする日が来るなんて、思いもしなかった」
「おおっ……!」
“医務室の魔女”の顔ではなく女の子としてのフィオーネの顔を見て、グリシャたち四バカたちは目を丸くした。
「なになに? フィオ先生、俺らでよかったら力になるよ!」
元気いっぱいグリシャが言う。ほかの三人も目を輝かせてうなずきあっている。自称正義のヒーローたちは、困っている女の子を助けたくて仕方がないらしい。
その様子に、フィオーネはしばらく考え込んだ。目からビーム集団は厄介ではあるけれど、悪いやつらではないのだ。それに今は、すがれるものなら何にだってすがるべきなのだろう。
そう思い、フィオーネは口を開いた。
「あのね……女子寮にオバケが出るんだけど……」
一度解散して、再び寮の玄関前に集合した男子たちを見て、フィオーネは絶句していた。
オバケとやり合うことになるかもしれないと思い、フィオーネは武器になりそうなものを取りに行っていたのだけれど、男子たちは「女子寮に潜入するための用意をしてくる」と言っていたのだ。
その用意とやらがこれだったのかと、フィオーネは目の前の惨状に呆然とする。
「みんなブ……いや、エミールって偉大だね」
正直な感想が口から飛び出しそうになって、フィオーネはぐっとこらえた。
ダリウスたちは、女装をしていた。カツラをかぶってメイクをして、おそらく精一杯装ってきたのだろう。でも、付け焼き刃の女装では、素体の男らしさを隠しきれていない。
「今、フィオ先生さ、ブスって言いかけた! この人、ブスって言いかけたよ!」
「ブスだから仕方がないだろ……恥ずかしいな」
フィオーネの心ない言葉にグリシャは憤慨したけれど、ダリウスはあきらめ顔で羞恥に震えている。
「アンヌ先生にやってもらったから、いけると思ったんだが」
眉の凛々しいディートリヒが、フィオーネの反応に納得がいかないというように首をかしげた。彼は体格がいいぶん、ほかの誰よりも女装の出来映えが残念だというのに。
お調子者のボリスと元気なカールは、お互いのスカートをめくりあって大笑いしている。女子になりきる気は一切ない。このふたりはわりと華奢なため、なかなか様になっているのだけれど、ミニスカートからのぞく脚がガニ股なのがすべてを台無しにしている。
この悲惨な有り様の助っ人たちを前に、どうしたものかとフィオーネは溜息をついた。
「とりあえず、女子寮についてきて一緒に影を見て欲しいの。倒せるかどうかも、どう倒せるのかもわかんないけど」
内心では「その前に女子寮に入れるかどうかもわかんないけど……」と思いつつ、ダリウスたちを見つめる。できればこの姿を見て、影のオバケが逃げ出してくれればいいのにななどとひどいことも考える。
「悪口を食べて大きくなる、動き回る影かあ……燃やしてもダメだろうな」
攻撃系の魔術が得意なグリシャは、そう言って頭を抱えた。何かにつけ燃やしたい性分らしい。
「というより、物理攻撃が効くのかどうかもわかんないよね」
ダリウスも腕組みをする。キリッとしてかっこよく見えるはずのその仕草も、今は女装しているせいで様にならない。
「あのさ、悪口を糧にしてるっていうなら、逆に優しい言葉をかけてやったらどうなるんだろうなー?」
歩きながら一行が悩んでいると、お調子者のボリスがポンッと手を打った。
「子供のときさ、近所の人の悪口ばっか言って、すぐに暴言を吐くばあさんがいたんだよ。そんな性格だからよくトラブル起こして、みんなに嫌われて、孤独だったよ。でもな、あるとき新しく引っ越してきた女の人が、そのばあさんに優しく接したんだよ。暴言吐かれても、嫌味言われても。その女の人はみんなに優しい人だったから、影響を受けてそのばあさんに優しく話しかける人も出てきたんだ。そしたらそのうち、ばあさんの態度はやわらかくなってって、ひどいこと言わなくなったんだ」
語り終え、どうだいい話だろうとボリスは胸を張る。でも、フィオーネたちは全員首をかしげた。いい話なのだろうけれど、それがオバケ退治にどう役に立つのかはわからない。
「それ、ばあさんが改心したっていうただのいい話じゃん! オバケに説教して改心させるとか言うのかよ?」
「カール、何だよ! わらうなよー!」
ほかのみんなが思っても言わなかったことをカールははっきりと口にした上、何がツボだったのか大笑いし始める。笑われて最初は頬をふくらませていたボリスも、そのうち一緒になって笑い出す。
「ちょっと、シーッ! 静かに……」
授業中で無人とはいえ、ここは一応女子寮だ。静かにさせなければとフィオーネが焦ったそのとき。
「コラーッ! あんたたち、何やってんの!?」
野太い女性の声が響き渡った。そして、フィオーネ以外の全員がビシッと背筋を伸ばす。
声のしたほうを振り返ると、腰に手を当てた女性が仁王立ちしていた。
「うわーっ! 寮母さんだー!!」
そうグリシャは叫ぶと、一目散に走り出す。ほかのメンバーもそれに続く。
「またルルツ君たちなの!? 待ちなさいー!」
「わー! ごめんなさーい」
よほど寮母さんが怖いのか、男子たちは全力疾走で逃げる。さして距離を開けられず、寮母さんはそれを追う。かなりの駿足だ。ドドド……という足音を廊下に響かせながら、追う者と追われる者は遠ざかっていき、やがて見えなくなった。
「あーあ……」
ひとりぼっちになり、フィオーネは呟いた。やはり、女装男子に女子寮潜入は荷が重すぎたのだ。あまりあてにしてはいなかったはずなのに、こうしていなくなってしまうと途端に心細くなった。
先ほどまでにぎやかだったせいか、その心細さもより一層強くなる。
「……どうしようかな」
そんなことを言いながらも、フィオーネは歩みを止めない。怖いと思っても、引き返すわけにはいかないことはわかっているのだ。
退治はできないかもしれないけれど、できる限りのことはやって戻るつもりだ。何か情報を持ち帰らなければならないと思っている。
(教鞭をとってるわけではないけど、私だって先生なんだから……!)
そう思って、フィオーネは拳を握りしめ、決意を固める。直後にその決意を揺るがすことが起きた。
「…………っ」
フィオーネは、ビクッとして体を強張らせた。背後から、何か気配が近づいてきているのだ。静かに、ゆっくりと。
影だろうかと考えたけれど、振り返って確かめる勇気はない。ただ追いつかれまいと、歩調を速めた。
すると、気配のほうもスピードを上げて追いかけてきた。パタパタという軽い足音が迫ってくる。
「……先生! フィオーネ先生!」
「わっ!」
思いきってフィオーネが振り返ったのと、可愛らしい声が呼びかけて来たのはほとんど同時だった。
そこにいたのは、朝の女子三人組。心配そうな顔でフィオーネを見上げている。
「みんな……どうしたの?」
何とか平静を装って、フィオーネは尋ねた。本当はまだ心臓がバクバク鳴っているけれど、生徒相手にそれを悟られなくない。
「授業に出たんだけど、やっぱり顔色が悪いからって、寮に帰るよう言われたの。そしたらフィオーネ先生が歩いてるのが見えて。驚かせちゃいけないと思って静かに近づいたら、よけいに怖がらせちゃったみたいでごめんなさい……」
「そうだったのね」
ひとりの子の説明に、フィオーネは少し恥ずかしくなる。後ろから見て、よほどビクビクして歩いているのがわかったのだろう。
「先生は、オバケ退治に来てくれたの?」
「えっと……そうね。倒せるかはわからないけど、頑張ってみようかと思って」
期待のこもる眼差しに、フィオーネは何とか笑顔を浮かべて答えた。生徒たちの顔を見れば、はったりでもそれが正解だったのだとわかるけれど、キラキラした目で見つめられることにフィオーネは耐えられなくなった。
「じゃあ、あなたたちの部屋まで送っていくから。オバケは、そのあとで探しに行くね」
ひとまず、この子たちの安全を確保しなければと、フィオーネは生徒たちをうながした。戦うにしても、フィオーネひとりのほうが危険が少ないはずだから。
でも、生徒たちは首を振る。
「……先生についていく」
「本当は怖いんでしょ?」
「無理しなくていいよ」
朝、医務室に来たときはあんなに怖がっていたのに、三人の女子生徒はまっすぐにフィオーネを見上げていた。その瞳には強い意志が宿っていて、ひくつもりがないのがわかる。それを見て、フィオーネはフッと力が抜けたように笑った。
「……ありがとう。そう言ってもらえると、すごくこころ強いよ。本当は、ひとりはちょっと不安だったの」
フィオーネが素直にそう言えば、生徒たちも笑った。それから、フィオーネのローブや手を握ってくる。
「じゃあ、行こうか。――さっきは三階にいたから、上に行ってみよう」
フィオーネが言うと、生徒たちもうなずいた。そして、ピタッとくっついて団子状になった一行はそろりそろりと歩きだす。
静かな廊下を、階段を、息をつめて進んでいく。自分たちのほかに気配はなく、そのせいで足音や呼吸の音すら敏感に拾ってしまう気がする。
でも、そんなふうに緊張していたのも最初のうちだけだ。
「……あれ?」
三階まで階段を上って、その廊下に問題の影を見つけられなかったところで、フィオーネは少し気が抜けてしまった。決戦は三階でだろうと決めつけていたのだ。
そのホッとした雰囲気は、生徒たちにまで伝染した。
「先生、オバケいないね。もしかして、私たちとは逆の階段から下りていってたりして」
階段は、廊下の両端にある。だから、オバケが使っているほうとは逆の階段を使っていれば、遭遇しないと考えたのだろう。その発言に一行は笑ったけれど、少し考えてからフィオーネはハッとする。
「……でも、それだとどこかの段階で、廊下か階段でオバケと鉢合わせになるんじゃない?」
フィオーネの言葉に、生徒たちも青ざめる。
四階建の建物の廊下と階段をジグザグに移動してきて、三階までにオバケと出会わなかったということは、つまり……四階にいるということだ。
「じゃ、じゃあ、残すは四階だけだから、行こうか! もしかしたら、いないのかもしれないし。ね?」
主に自分を鼓舞するために、フィオーネは元気な声で言う。一度気が抜けてしまったせいで、恐怖は倍増している。だから、たとえ空元気でも明るく装わなければやっていられない。
プルプルと震える生徒たちを引き連れて、フィオーネは再び階段を上っていく。拳を握りしめ、いつオバケが出てきても大丈夫なようにと覚悟を決めて。
でもすぐに、その覚悟はまったく足りていなかったことに気づかされる。
「……ギャーッ! でたー!!」
影はいた。階段をちょうど上り終えてすぐのところに。
いると覚悟はしていたけれど、まさかそんなにすぐに行き遭うとは思っていなかったから、フィオーネの心拍数は一気に上昇した。
フィオーネは続き、生徒たちも悲鳴を上げる。もう安全に勇気が消失し、フィオーネの背中に隠れようとしている。
「……ひっ」
悲鳴に反応したのか、影がゆっくりと振り返るのがわかって、フィオーネは身構えた。目などないし、どちらが前か後ろかわからないのに、こちらを振り返ろうとしているのを感じたのだ。
(……私が、守らなきゃ)
湧き上がる恐怖心をねじ伏せ、フィオーネは気合を入れた。
影はこちらに向かってきている。生徒たちは怯えている。それなら、自分が戦うしかないじゃないか、と。
「元気になれー!」
そう叫ぶと、フィオーネは腰のポーチから液体の入った瓶を掴み、影に向かって投げつけた。
「早くよくなれー! 健康になれー! 美肌になれー!」
そんな珍妙なことを叫びながら、次々と瓶を投げつけていく。そんなフィオーネに生徒たちが戸惑うのがわかった。
「悪口を食べて大きくなるんでしょ? それなら、反対に優しい言葉をかけてらどうかなって。元気になれー!」
説明しながらフィオーネが投げるのは、うがい薬、喉の薬、胃の薬、ニキビの薬などだ。それらの薬が混ざり、変な匂いが立ち込め始める。
「か、かわいいよー」
「大好きよー」
「いい子だねー」
訳がわからないながらも、生徒たちは思いつく限りの“優しい言葉”をかけていく。というより、自分たちが言われて嬉しい言葉をかけているのだろう。でも、そういった言葉は悪口よりもずっといい。
薬が効いているのか、優しい言葉が効いているのか、影は動きを止めている。
それから、かける言葉が思いつかなくなり、「頑張れー頑張れー」のフィオーネに対する応援に変わった頃、紫色や緑色の煙が上がり始めた。おそらく、薬同士が反応しているのだろう。その煙は一度上がり始めると勢いを増し、やがて影を覆い隠してしまった。
「ごめん、誰か窓開けてきて!」
毒ではないけれど、あまりにもくさすぎる。そう思ってフィオーネが叫ぶと、気を利かせたひとりが走っていって踊り場の窓を開けてくれた。
「……え?」
窓から風が吹き込んで、煙を押し流していった。その中からまた影が現れたら投擲(とうてき)を再開しようとフィオーネは構えていたのに、煙がすべてなくなったあとには何もなくなっていた。
「……倒したの?」
もしかすると、逃亡したのかもしれない。
でも、ひとまず危機が去ったとわかると、フィオーネたちは力が抜けて、その場にへたりこんでしまったのだった。
「え? フィオ……どうしたの?」
「……ひっ」
ゼェゼェと肩で息をし、恐怖に震えているフィオーネは、そう声をかけられて飛び上がった。
振り返ると、そこにいたのはダリウスで、安心していいのか怖がるべきなのか困惑した。
「あ、ちがうよ? たまたま寮から出て来たらフィオがいただけで、ビー玉で居場所を突き止めたわけじゃないから!」
「そ、そうなの……」
目を見開いて固まるフィオーネをなだめようと、ダリウスは両手を上げて身の潔白を訴えた。それに対し、フィオーネはひとまずうなずく。
「ところで、フィオはどうしてここに?」
「女子寮にオバケが出るって噂があって、それを確かめに……」
「オバケ?」
「うん、オバケ……さっき見たの」
知っている顔を見てホッとしかけたフィオーネだったけれど、さっき見た影のことを思い出し、また怖くなってしまった。
「そんなに怯えてるなんて……俺でよければ、話聞くけど」
どさくさにまぎれて、ダリウスはそっとフィオーネの肩を抱いた。
その美貌には、下心がありありと浮かんでいる。怖がっているフィオーネをなぐさめ、あわよくば好感度を上げようと考えているのだろう。せっかくのイケメンが台無しだ。
「ありがとう……あのね」
ダリウスの企みに気がつかないフィオーネは、肩を抱かれたまま事情を説明しようとした。でも、下手な企みは上手くいかないのが世の常だ。
「あ、ダリウス先輩!」
寮の入り口に現れたグリシャが、ダリウスを指差して叫んだ。それに、いつものメンバーが続く。
「先輩がフィオ先生を寮に連れ込もうとしてるぞ!」
「不潔だ! 破廉恥だ!」
「捕まえろー!」
ダリウスはフィオーネから事情を聞いてなだめ、それから悩みをかっこよく解決して、「ダリウス、素敵!」と言ってもらうはずだったのに。
突然現れた目からビーム四人衆によって、その計画は頓挫した。
「ち、ちがう! 誤解だ。フィオがあわてて寮から出て来たから、事情を聞こうとしてただけだよ……」
四バカの勢いに、ダリウスはたじたじになる。でも、フィオーネは安堵した様子だ。にぎやかになって、怖さが薄れたのだろう。
「……あなたたちの顔を見てホッとする日が来るなんて、思いもしなかった」
「おおっ……!」
“医務室の魔女”の顔ではなく女の子としてのフィオーネの顔を見て、グリシャたち四バカたちは目を丸くした。
「なになに? フィオ先生、俺らでよかったら力になるよ!」
元気いっぱいグリシャが言う。ほかの三人も目を輝かせてうなずきあっている。自称正義のヒーローたちは、困っている女の子を助けたくて仕方がないらしい。
その様子に、フィオーネはしばらく考え込んだ。目からビーム集団は厄介ではあるけれど、悪いやつらではないのだ。それに今は、すがれるものなら何にだってすがるべきなのだろう。
そう思い、フィオーネは口を開いた。
「あのね……女子寮にオバケが出るんだけど……」
一度解散して、再び寮の玄関前に集合した男子たちを見て、フィオーネは絶句していた。
オバケとやり合うことになるかもしれないと思い、フィオーネは武器になりそうなものを取りに行っていたのだけれど、男子たちは「女子寮に潜入するための用意をしてくる」と言っていたのだ。
その用意とやらがこれだったのかと、フィオーネは目の前の惨状に呆然とする。
「みんなブ……いや、エミールって偉大だね」
正直な感想が口から飛び出しそうになって、フィオーネはぐっとこらえた。
ダリウスたちは、女装をしていた。カツラをかぶってメイクをして、おそらく精一杯装ってきたのだろう。でも、付け焼き刃の女装では、素体の男らしさを隠しきれていない。
「今、フィオ先生さ、ブスって言いかけた! この人、ブスって言いかけたよ!」
「ブスだから仕方がないだろ……恥ずかしいな」
フィオーネの心ない言葉にグリシャは憤慨したけれど、ダリウスはあきらめ顔で羞恥に震えている。
「アンヌ先生にやってもらったから、いけると思ったんだが」
眉の凛々しいディートリヒが、フィオーネの反応に納得がいかないというように首をかしげた。彼は体格がいいぶん、ほかの誰よりも女装の出来映えが残念だというのに。
お調子者のボリスと元気なカールは、お互いのスカートをめくりあって大笑いしている。女子になりきる気は一切ない。このふたりはわりと華奢なため、なかなか様になっているのだけれど、ミニスカートからのぞく脚がガニ股なのがすべてを台無しにしている。
この悲惨な有り様の助っ人たちを前に、どうしたものかとフィオーネは溜息をついた。
「とりあえず、女子寮についてきて一緒に影を見て欲しいの。倒せるかどうかも、どう倒せるのかもわかんないけど」
内心では「その前に女子寮に入れるかどうかもわかんないけど……」と思いつつ、ダリウスたちを見つめる。できればこの姿を見て、影のオバケが逃げ出してくれればいいのにななどとひどいことも考える。
「悪口を食べて大きくなる、動き回る影かあ……燃やしてもダメだろうな」
攻撃系の魔術が得意なグリシャは、そう言って頭を抱えた。何かにつけ燃やしたい性分らしい。
「というより、物理攻撃が効くのかどうかもわかんないよね」
ダリウスも腕組みをする。キリッとしてかっこよく見えるはずのその仕草も、今は女装しているせいで様にならない。
「あのさ、悪口を糧にしてるっていうなら、逆に優しい言葉をかけてやったらどうなるんだろうなー?」
歩きながら一行が悩んでいると、お調子者のボリスがポンッと手を打った。
「子供のときさ、近所の人の悪口ばっか言って、すぐに暴言を吐くばあさんがいたんだよ。そんな性格だからよくトラブル起こして、みんなに嫌われて、孤独だったよ。でもな、あるとき新しく引っ越してきた女の人が、そのばあさんに優しく接したんだよ。暴言吐かれても、嫌味言われても。その女の人はみんなに優しい人だったから、影響を受けてそのばあさんに優しく話しかける人も出てきたんだ。そしたらそのうち、ばあさんの態度はやわらかくなってって、ひどいこと言わなくなったんだ」
語り終え、どうだいい話だろうとボリスは胸を張る。でも、フィオーネたちは全員首をかしげた。いい話なのだろうけれど、それがオバケ退治にどう役に立つのかはわからない。
「それ、ばあさんが改心したっていうただのいい話じゃん! オバケに説教して改心させるとか言うのかよ?」
「カール、何だよ! わらうなよー!」
ほかのみんなが思っても言わなかったことをカールははっきりと口にした上、何がツボだったのか大笑いし始める。笑われて最初は頬をふくらませていたボリスも、そのうち一緒になって笑い出す。
「ちょっと、シーッ! 静かに……」
授業中で無人とはいえ、ここは一応女子寮だ。静かにさせなければとフィオーネが焦ったそのとき。
「コラーッ! あんたたち、何やってんの!?」
野太い女性の声が響き渡った。そして、フィオーネ以外の全員がビシッと背筋を伸ばす。
声のしたほうを振り返ると、腰に手を当てた女性が仁王立ちしていた。
「うわーっ! 寮母さんだー!!」
そうグリシャは叫ぶと、一目散に走り出す。ほかのメンバーもそれに続く。
「またルルツ君たちなの!? 待ちなさいー!」
「わー! ごめんなさーい」
よほど寮母さんが怖いのか、男子たちは全力疾走で逃げる。さして距離を開けられず、寮母さんはそれを追う。かなりの駿足だ。ドドド……という足音を廊下に響かせながら、追う者と追われる者は遠ざかっていき、やがて見えなくなった。
「あーあ……」
ひとりぼっちになり、フィオーネは呟いた。やはり、女装男子に女子寮潜入は荷が重すぎたのだ。あまりあてにしてはいなかったはずなのに、こうしていなくなってしまうと途端に心細くなった。
先ほどまでにぎやかだったせいか、その心細さもより一層強くなる。
「……どうしようかな」
そんなことを言いながらも、フィオーネは歩みを止めない。怖いと思っても、引き返すわけにはいかないことはわかっているのだ。
退治はできないかもしれないけれど、できる限りのことはやって戻るつもりだ。何か情報を持ち帰らなければならないと思っている。
(教鞭をとってるわけではないけど、私だって先生なんだから……!)
そう思って、フィオーネは拳を握りしめ、決意を固める。直後にその決意を揺るがすことが起きた。
「…………っ」
フィオーネは、ビクッとして体を強張らせた。背後から、何か気配が近づいてきているのだ。静かに、ゆっくりと。
影だろうかと考えたけれど、振り返って確かめる勇気はない。ただ追いつかれまいと、歩調を速めた。
すると、気配のほうもスピードを上げて追いかけてきた。パタパタという軽い足音が迫ってくる。
「……先生! フィオーネ先生!」
「わっ!」
思いきってフィオーネが振り返ったのと、可愛らしい声が呼びかけて来たのはほとんど同時だった。
そこにいたのは、朝の女子三人組。心配そうな顔でフィオーネを見上げている。
「みんな……どうしたの?」
何とか平静を装って、フィオーネは尋ねた。本当はまだ心臓がバクバク鳴っているけれど、生徒相手にそれを悟られなくない。
「授業に出たんだけど、やっぱり顔色が悪いからって、寮に帰るよう言われたの。そしたらフィオーネ先生が歩いてるのが見えて。驚かせちゃいけないと思って静かに近づいたら、よけいに怖がらせちゃったみたいでごめんなさい……」
「そうだったのね」
ひとりの子の説明に、フィオーネは少し恥ずかしくなる。後ろから見て、よほどビクビクして歩いているのがわかったのだろう。
「先生は、オバケ退治に来てくれたの?」
「えっと……そうね。倒せるかはわからないけど、頑張ってみようかと思って」
期待のこもる眼差しに、フィオーネは何とか笑顔を浮かべて答えた。生徒たちの顔を見れば、はったりでもそれが正解だったのだとわかるけれど、キラキラした目で見つめられることにフィオーネは耐えられなくなった。
「じゃあ、あなたたちの部屋まで送っていくから。オバケは、そのあとで探しに行くね」
ひとまず、この子たちの安全を確保しなければと、フィオーネは生徒たちをうながした。戦うにしても、フィオーネひとりのほうが危険が少ないはずだから。
でも、生徒たちは首を振る。
「……先生についていく」
「本当は怖いんでしょ?」
「無理しなくていいよ」
朝、医務室に来たときはあんなに怖がっていたのに、三人の女子生徒はまっすぐにフィオーネを見上げていた。その瞳には強い意志が宿っていて、ひくつもりがないのがわかる。それを見て、フィオーネはフッと力が抜けたように笑った。
「……ありがとう。そう言ってもらえると、すごくこころ強いよ。本当は、ひとりはちょっと不安だったの」
フィオーネが素直にそう言えば、生徒たちも笑った。それから、フィオーネのローブや手を握ってくる。
「じゃあ、行こうか。――さっきは三階にいたから、上に行ってみよう」
フィオーネが言うと、生徒たちもうなずいた。そして、ピタッとくっついて団子状になった一行はそろりそろりと歩きだす。
静かな廊下を、階段を、息をつめて進んでいく。自分たちのほかに気配はなく、そのせいで足音や呼吸の音すら敏感に拾ってしまう気がする。
でも、そんなふうに緊張していたのも最初のうちだけだ。
「……あれ?」
三階まで階段を上って、その廊下に問題の影を見つけられなかったところで、フィオーネは少し気が抜けてしまった。決戦は三階でだろうと決めつけていたのだ。
そのホッとした雰囲気は、生徒たちにまで伝染した。
「先生、オバケいないね。もしかして、私たちとは逆の階段から下りていってたりして」
階段は、廊下の両端にある。だから、オバケが使っているほうとは逆の階段を使っていれば、遭遇しないと考えたのだろう。その発言に一行は笑ったけれど、少し考えてからフィオーネはハッとする。
「……でも、それだとどこかの段階で、廊下か階段でオバケと鉢合わせになるんじゃない?」
フィオーネの言葉に、生徒たちも青ざめる。
四階建の建物の廊下と階段をジグザグに移動してきて、三階までにオバケと出会わなかったということは、つまり……四階にいるということだ。
「じゃ、じゃあ、残すは四階だけだから、行こうか! もしかしたら、いないのかもしれないし。ね?」
主に自分を鼓舞するために、フィオーネは元気な声で言う。一度気が抜けてしまったせいで、恐怖は倍増している。だから、たとえ空元気でも明るく装わなければやっていられない。
プルプルと震える生徒たちを引き連れて、フィオーネは再び階段を上っていく。拳を握りしめ、いつオバケが出てきても大丈夫なようにと覚悟を決めて。
でもすぐに、その覚悟はまったく足りていなかったことに気づかされる。
「……ギャーッ! でたー!!」
影はいた。階段をちょうど上り終えてすぐのところに。
いると覚悟はしていたけれど、まさかそんなにすぐに行き遭うとは思っていなかったから、フィオーネの心拍数は一気に上昇した。
フィオーネは続き、生徒たちも悲鳴を上げる。もう安全に勇気が消失し、フィオーネの背中に隠れようとしている。
「……ひっ」
悲鳴に反応したのか、影がゆっくりと振り返るのがわかって、フィオーネは身構えた。目などないし、どちらが前か後ろかわからないのに、こちらを振り返ろうとしているのを感じたのだ。
(……私が、守らなきゃ)
湧き上がる恐怖心をねじ伏せ、フィオーネは気合を入れた。
影はこちらに向かってきている。生徒たちは怯えている。それなら、自分が戦うしかないじゃないか、と。
「元気になれー!」
そう叫ぶと、フィオーネは腰のポーチから液体の入った瓶を掴み、影に向かって投げつけた。
「早くよくなれー! 健康になれー! 美肌になれー!」
そんな珍妙なことを叫びながら、次々と瓶を投げつけていく。そんなフィオーネに生徒たちが戸惑うのがわかった。
「悪口を食べて大きくなるんでしょ? それなら、反対に優しい言葉をかけてらどうかなって。元気になれー!」
説明しながらフィオーネが投げるのは、うがい薬、喉の薬、胃の薬、ニキビの薬などだ。それらの薬が混ざり、変な匂いが立ち込め始める。
「か、かわいいよー」
「大好きよー」
「いい子だねー」
訳がわからないながらも、生徒たちは思いつく限りの“優しい言葉”をかけていく。というより、自分たちが言われて嬉しい言葉をかけているのだろう。でも、そういった言葉は悪口よりもずっといい。
薬が効いているのか、優しい言葉が効いているのか、影は動きを止めている。
それから、かける言葉が思いつかなくなり、「頑張れー頑張れー」のフィオーネに対する応援に変わった頃、紫色や緑色の煙が上がり始めた。おそらく、薬同士が反応しているのだろう。その煙は一度上がり始めると勢いを増し、やがて影を覆い隠してしまった。
「ごめん、誰か窓開けてきて!」
毒ではないけれど、あまりにもくさすぎる。そう思ってフィオーネが叫ぶと、気を利かせたひとりが走っていって踊り場の窓を開けてくれた。
「……え?」
窓から風が吹き込んで、煙を押し流していった。その中からまた影が現れたら投擲(とうてき)を再開しようとフィオーネは構えていたのに、煙がすべてなくなったあとには何もなくなっていた。
「……倒したの?」
もしかすると、逃亡したのかもしれない。
でも、ひとまず危機が去ったとわかると、フィオーネたちは力が抜けて、その場にへたりこんでしまったのだった。