医務室の魔女と魔術学院狂騒ディズ
第十三話 波乱の幕開け
 フィオーネが学院にやって来てから、二ヶ月ほど経った。
 相変わらず忙しくはあるけれど、来たばかりの頃のような騒がしさはない。フィオーネに対する物珍しさがなくなり、新学期の気忙しさが落ち着いたからだろう。
 でも、学生生活にはそうして慣れ始めた頃に催されるイベントがある。――生徒にとってはまったく楽しくないイベントが。
「試験期間ですか」
「そうだ。準備期間に二週間、実施期間に一週間の合計三週間が試験期間と呼ばれる」
 朝のコーヒータイムに、べルギウスはあと数日後から始まるビッグイベントについてフィオーネに説明した。
「うげ……その間、ずっと勉強漬けですか」
 町の学校を出ただけのフィオーネには馴染みのない話で、その大変そうな響きに思わず顔をしかめた。
「学校とは、本来勉強漬けになるための場所だからな」
「……そうでした」
 呆れ顔でもっともなことを言われ、フィオーネは恥ずかしくなってコーヒーを啜った。
「そうですよね。勉強を思いきりすることを認められてるのは、学校という場所ならではですもんね」
「ああ、そうだ。勉強していればいい、勉強だけしていればあい場所だ……ああ、学生に戻りたい……!」
 フィオーネの不用意な発言が、べルギウスの何かを刺激してしまったらしい。べルギウスは遠い目をして、膝に乗せていたカイザァを抱きしめた。
 年少の教師であるべルギウスは、日々雑務に追われている。主に、生徒たちが起こしたトラブルの後処理に。その大変さがわかっているフィオーネは、「学生に戻りたい」と呟いてしまった彼に心底同情した。
 でも、カイザァはそんな人間の気持ちにはお構いなしで、無理やりな抱擁に怒って、べルギウスの腕から飛び出していってしまった。
「ああっカイザァ……! とにかく、試験期間中は体調を崩す生徒が増えるから、気をつけてやってくれ。……カイザァ……」
 自分をふった猫への未練をにじませながら、べルギウスは注意事項を伝えていった。その背中にあまりにも哀愁がただよっていて、もう少しで優しくしてやってよとフィオーネはカイザァに思う。でも、猫はそういうものだから仕方がない。
「試験期間中の体調不良かあ……寝不足とか風邪とか、そんな感じかな? カイザァはどう思う?」
 窓際の特等席で丸まる愛猫の背中をフィオーネは撫でた。
 こんなふうにしていたら、彼が訪ねてこないかと考えて。もし来たら、試験期間中はどんなことに悩まされるのか、学院の生徒七年目の彼にぜひ聞きてみたいと思っていたのだ。
 ダリウスとは、相変わらず休み時間や放課後にお茶をする仲だ。ビー玉で居場所を探ったり、「俺たちは結婚するんだ」みたいなことを言ったりしなくなってからは、良好な関係を築けている。
 でもここ数日、ダリウスの訪問がパタッとなくなっている。フィオーネはそれを少し、寂しいと思っていた。
「やっぱり留年してるから、いろんなしなくちゃいけないことがあって忙しいのかな?」
 話しかけてみたけれど、当然カイザァは答えてくれない。耳はピクッと動いているから、どうやら聞いてはくれているらしい。
「そんなことより、試験期間に備えなきゃねー」
「ぶにゃ」
 飼い主であるフィオーネはやはり特別なのか。ようやくカイザァは可愛くない声で返事をした。

 ***

 試験期間に突入すると、意外にも医務室への訪問者の数は男子よりも女子のほうが多かった。
 女子たちに聞けば、男子は日頃からあまり予習復習をしていないため、試験期間は大あわてで勉強していて医務室に来る余裕すらないのだという。
 それを聞いて、フィオーネは納得した。
 休み時間のたびにふざけて魔術を使って怪我をしたり口から金魚を吐いたりしていれば、勉強に遅れも出るというものだ。
 二週間も準備期間があるとフィオーネは感心していたけれど、生徒に言わせれば二週間しかないらしい。その間に完成させなければならないレポートがたくさんあるし、持ち込みが許された(つまり、持ち込まなければ太刀打ちできないほどの難易度の)試験用のカンペを作らなくてはならないし、筆記試験終了後に実施される実技試験の準備もあるし、とにかく多忙なのだそうだ。
 自分にはまったく経験のないことだから、フィオーネはてんてこ舞いの生徒を見守り、支えてやることしかできないのがもどかしい。でも、やって来たばかりの頃のような忙しさがなくなっているのが正直、今は有難かった。
「先生、今は大丈夫ですか?」
「はいはい。大丈夫よ」
 昼休みになり、女子数人がやって来た。ドアは開けたままにしているけれど、一応ノックをしてくれる。多くの男子たちとはちがい、女子はこうして気遣いがあるから、フィオーネは最近すっかり女子贔屓気味だ。
 入ってきたのは、ナターシャとリリア――横分けとパッツン。それと彼女たちに引き連れられるようにしてやって来た、一・二年生くらいの子たちだ。まだ自分たちだけで来るのは恥ずかしいのか、こうしてお姉様方に連れて来てもらう下の学年の子たちもいる。
 ナターシャとリリアは寮長と副寮長という立場もあり、下級生たちの面倒をよく見ている。ただのうるさいダリウス親衛隊残党というわけではないらしい。
「それで、今日はどうしたの?」
「みんな眠かったり、お腹とか頭とかが痛かったりで、勉強に集中できないらしくて」
「ああ、なるほどね」
 もじもじとして口を開かない下級生たちに代わり、ナターシャが言った。それですぐ、フィオーネはピンと来た。
 彼女たちはおそらく、月のものの影響で体調が優れないのだろう。女性にはよくあることだ。でも、十三・四歳の少女にとって、そういった話題を誰かに話すのは恥ずかしくてはばかられることもあるのかもしれない。
 事情が飲み込めたフィオーネは、すぐに薬以外のものを入れてある棚に向かった。
「それらの症状って、冷えとか低血糖とかによって起きてるのかも。だから、血行をよくしたり適度に糖分を摂ったりすることで、いくらか改善するからね」
 そう言って、フィオーネは小分けにされたハーブティーの葉とナッツの包みを女子たちに差し出す。
あの(・・)ときになるべく摂取しないほうがいいのは、コーヒーとか紅茶、それからチョコレートね。飲み物はリラックス効果のあるハーブティー、おやつは体にいい油を多く含んだナッツがオススメだよ」
 ナッツもハーブティーも、こういうことで訪ねて来るであろう女子たちのために用意しておいたものだ。フィオーネ自身も似たような症状で悩まされるため、役立つアドバイスをすることができる。
「先生、ありがとうございます」
 ハーブティーとナッツを手にした下級生たちは、小さな声で口々にお礼を言った。まだ恥ずかしそうではあるけれど、笑顔が浮かんでいてフィオーネはホッとする。
 きっと前任のヘンデルさんなら、生徒たちに警戒心を抱かせずに済んだだろうと思うと服雑な気持ちになる。でも、フィオーネはフィオーネでやるしかないのだ。
「あの……たぶんあと数日もしたら男子たちがこぞって体調を崩して医務室に来るようになると思います。試験のたびにそうなんですけど、男子のほとんどが徹夜でどうにかしようとしてボロボロになるんです」
「えー……」
 去り際、リリアがそっと教えてくれた。その顔に浮かぶのは心底の同情で、それを見ればどんな大変なことが待っているのだろうかと想像してフィオーネはげっそりした。


 昼休み以降も、休み時間にはちらほらと生徒がやって来た。主に来るのは女子だけれど、日頃見かけない真面目なタイプの男子たちも何人か来た。どうやら、試験期間中は普段医務室に寄りつかないタイプの学生がやって来るようだ。……それはつまり、日頃やんちゃな男子が医務室に集まり、そうではない生徒が近寄りにくくなっているということだ。
 その由々しき問題について考えながら、フィオーネはゾンビたち(寝不足生徒)の襲来に備えて薬を作りながら過ごした。
 ゾンビたちがボロボロなのは主に睡眠不足が原因だから、本来は「寝なさい」というよりほかないのだけれど、なかなか寝るわけにはいかないという事情もわかっている。
 だから、少ない睡眠時間でもある程度の体力を維持できるよう、効率よく疲労を回復する手助けをする薬を処方しようと考えたのだ。
 生徒のことを思いやる気持ちが三割、残り七割はベッドが寝不足の生徒でいっぱいになったら嫌だという気持ちだった。
「あれ? カイザァ……?」
 気がつけば、あっという間に放課後になっていた。
 ゴリゴリと薬をキリのいいところまで作り終わって、フィオーネは早めの夕食にしようと席を立った。でも、一緒に連れて行こうと思っていたのにカイザァが見当たらないのだ。
 もしかしたらカイザァは疲れて、癒やしを求めて外出してしまったのかもしれない。
 試験の準備でみんな疲れているからか、医務室にやって来る生徒たちのほとんどが、吸い寄せられるようにカイザァを撫でた。しつこくしたり強引に抱き上げたりする子はいなかったからカイザァは撫でるのを許していたけれど、もしかしたら気疲れしたのかもしれない。
「パトロールかな? ここに来て行動範囲が広くなったよねー、あの子」
 開いた窓から中庭を見つめ、フィオーネは呟く。木々がたくさん植えてあり、カイザァにとってはいい遊び場になっているらしい。
 中庭を走り回っていても気に登っていても、生徒も教師もみんな好きにさせてくれている。売店に猫用フードが入荷されるほどには、カイザァもフィオーネもこの学院に受け入れられているということだ。
「まったく、手のかかる子ね……」
 待っていれば戻ってくるのだろうけれど、夕食に行きたいフィオーネは探しに出ることにした。

 中庭は広いけれど、カイザァの行動範囲は限られている。あの子は明るいところやあたたかいところが好きで、湿気の多いところや薄暗いところは避けるのだ。
 だから、寮に面した場所にはほとんど行かず、いつも教室棟の近くにいる。
「いたいた……あ」
 フィオーネの推測通り、カイザァは夕日に照らされた木の影にいた。
 オレンジ色に染まるその毛並みが、誰かの身体を座布団にしているのだと気づいて、フィオーネは身構える。
 でも、それがよく見知った人物だとわかって、すぐにホッとした。
「起きて。いくらあたたかいって言っても、風邪を引くわよ、ダリウス」
 寝息も立てずに眠っているダリウスの身体を、フィオーネはそっと揺さぶった。眠りは深くなかったのか、ダリウスはすぐに目を開けた。
 そのとき、サァッと風が吹いて、その日は結っていないダリウスの前髪を揺らした。
 すると、髪の下に隠されていた目元があらわになり、それを目にしたフィオーネは思わず息を呑んだ。
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