医務室の魔女と魔術学院狂騒ディズ
第八話 禁断の美少女


 
「エミール……!」
 女子生徒ふたりは、開かれた出入口に立つ人物を見て言葉を失った。
 肩上で切りそろえられたミルクティー色の髪はふわふわ。大きな目は青く、肌は白く、そして不敵な笑みを浮かべる唇はうっすらピンク色。そこにいたのは、圧倒的な美少女だった。
「ダリウス先輩の親衛隊か……全部いなくなったと思ってたんだけど、まだいたんだね」
 エミールと呼ばれた美少女は、何も言えずにいるパッツンと横分けに冷ややかな視線を向ける。その鋭さに、彼女たちはさらに身を縮こまらせた。
「本人が望んでいない親衛隊なんて、ただの迷惑行為だよ? その上、関係ない人まで巻き込むのもおかしいよね。――わかったら、さっさと僕の目の前から消えて?」
 エミールのその凍てつくような言葉に、女子生徒たちはそそくさと逃げ出した。
 その謎の力関係に、フィオーネはあっけにとられて口をポカンと開けていた。
「あれれ。びっくりさせちゃった? ごめんね。あの子たちの存在は、僕の指導力不足だった」
「いえ……ありがとう?」
 先ほどとは打って変わって感じの良い笑みを浮かべるエミールに、フィオーネは戸惑った。
「新しい医務室の先生はダリウス先輩のお気に入りだって噂を聞いたから、心配で来てみたんだ。そしたら、案の定さっきのみたいなのがいて……この学校、嫌になっちゃった?」
 少し悲しそうな顔で問われ、フィオーネは即座に首を振った。すると、安心したようにエミールは微笑む。
「あの子たち、ダリウス先輩に憧れる気持ちはわかるんだけど、好きって気持ちで嫉妬心を正当化するのはだめだよね」
 エミールは適当な椅子に腰かけると、自然な感じでおしゃべりを始める。その何気ない仕草すら可愛くて、なぜかフィオーネはどぎまぎしてしまった。
「ダリウス先輩が素敵だから、騒いじゃう気持ちはわかるんだけどねー。留年こそしちゃってるけど、魔術の才能がすごくてさ。おまけにあの容姿でしょ。女の子たちが放っておかないんだよ。そのくせ調子に乗ることなんかなくて、むしろ騒がれることに怯えて縮こまってるようなタイプだから、親衛隊が勘違いしちゃったんだよねぇ」
 エミールは目をキラキラさせながら、ダリウスについて語る。美少女がとびきりの笑顔で楽しそうに話す姿は、何だかとってもまぶしい。
(この子も、ノイバート君が好きなのかなぁ)
 フィオーネは、聞きながらそんなことを考えていた。目の前の美少女が恋する乙女なのだと思うと、余計に可愛く見える。
「僕、入学してすぐにダリウス先輩を見て、かなわないなぁってすぐに気がついちゃったんだよね。今は超絶美男子のダリウス先輩だけど、そのとき十三歳くらいの先輩って、すっごく可愛かったんだよ。だから、生まれて初めて『負けた。完敗した』って思った相手だったんだよね」
 負けたと言いつつ、エミールは幸せそうだった。それが何だか微笑ましくて、フィオーネは思わずくすりとした。それを見て、からのエミールは不思議そうにする。
「ん? 何で笑ったの?」
「あなたが、ダリウスのことを本当に好きなんだなぁと思って」
「えー。好きは好きだけど、恋愛の好きじゃないよ。女の子の服装してるけど、僕は恋愛対象は女の子だもん」
「え?」
「うん?」
 何気ない会話をしていたはずなのに、突然、妙な沈黙が生まれた。
 でもエミールはしばらくキョトンとしてから、今度はイタズラっぽい笑顔を向けてきた。
「……フィオちゃん先生、無防備だなぁ。そんなんで、この魔窟でやっていけるのかなぁ」
「え?」
 スッと立ち上がり、エミールはフィオーネのそばに寄った。そうして近くにくると、フィオーネより少し背が高いことがわかる。
「女子だと思って気を許してくれたみたいだけど、れっきとした男だよ?」
 そう言って、エミールはフィオーネの手を取り、自分の胸に触れさせた。そこには、ぺたりとした胸板の感触。いくら慎ましやかでも、女の子ならもう少し柔らかいものだとフィオーネは知っている。
「えーっ!?」
 事態を理解しても、理解したくないと心が拒否している。こんなに女の子より可愛い男の娘がいてたまるかと、フィオーネの乙女心が危機に瀕している。
「そんなにびっくりすることかなぁ。ヘンデル先生は僕が男だってすぐ気づいたよ。フィオちゃん先生、抜けてるなぁ」
 イタズラが成功した子供のように、無邪気にエミールは笑う。その笑顔を見ると、男子なのだとはやっぱり信じがたい。
「そんなに女の子だって信じてくれてたんなら、もっといろいろしちゃえばよかったなぁ。添い寝のおねだりとか、ほっぺにチューとか。……時間をかければ、もっとすごいこともできたかも?」
 圧倒的美少女(だが男だ)に至近距離でそんなことを言われ、フィオーネはプルプルと震えた。
(ここは、魔窟だわ! こんな恐ろしい生き物がいるなんて……!)
 可愛い女の子のふりをしていただけではなく、肉食獣だったのだ。そんな獣をまんまと自分の懐に迎え入れようとしていたことが恐ろしい。
「な、何で女装なんか……?」
「ダリウス先輩を見てすぐ、『この人がいる限り、この学院のトップには立てない!』って気づいちゃったんだよ。だから、かっこよさじゃなくて可愛さで頂点を極めようって方向転換したわけ」
 震えながら尋ねるフィオーネに、エミールは何でもないことのように答える。そういうものなのかとフィオーネは納得しかけたけれど、少し考えてからやはり腑に落ちないと首を振る。
「似合ってるからいいと思うんだけど、その、頂点を極めるって何? リーダーを目指すってこと? さっきも、あの子たちに対して指導力不足だった云々って言ってたけど」
 女子生徒たちの反応を見る限り、エミールがかなり影響力の強い人物であることはわかった。でも、それが何によるものなのかがわからない。
「んー、リーダーっていうより偶像崇拝の対象のつもりかな? ……ダリウス先輩はあがめられたがってないけど、こういう集団生活においてそういう存在が必要だってことは、まぁわかるからさ。だから、ダリウス先輩の代わりに僕がそういう存在になっちゃおうと思って」
「そうなんだ……」
 相槌を打ちながらも、フィオーネはよくわかっていなかった。わかったのは、エミールが何らかの志を持って女装しているということだけ。
「とにかく、あなたは自ら崇拝に足る存在になることで、ノイバート君に集中していた視線を自分に向けよようとしていた、ってことで合ってる?」
「そうだね。そんな高尚なものじゃないんだけど。ただ僕は悪意とか邪悪なものとかが嫌いで、そういったものを捨ておけなかったんだ。だから、ダリウス先輩の親衛隊も嫌いで、存在を認めないって表明してる。僕が六年になったら、絶対に親衛隊なんて許さないって決めてたんだ」
 ふふふと笑って言ってのけるエミールには、女王の風格があった。
 高尚ではないと言いつつも、強い気持ちがないときっとやれないことだ。面倒くさがりのフィオーネには信じられないことで、だからこそ感心していた。
「リーダー性もあるし、すごく可愛いから、エミール君って人気者でしょ」
 フィオーネが心からそう言えば、エミールは悪い笑みを浮かべる。
「……フィオちゃん先生も、僕のファンになっちゃった? 何ならフィオちゃん先生だけ特別に、男の僕を見せてあげてもいいんだけど」 
 グイッと距離を詰めて、エミールは低い声でそんなことを囁いた。美少女の顔に浮かぶ男の表情は、危険な香りがする。フィオーネの本能がその香りを察知して、あわてて距離を取る。
「遠慮しときます!」
「ざーんねん。ダリウス先輩もベルギウス先生もグリシャたちも夢中のフィオちゃん先生と、みんなよりひと足先にいい感じになっちゃおうって思ったんだけど」
「えー……」
 ダリウスはともかく、ベルギウスはそういったものではないし、あの目からビーム集団に気に入られているとしたら、何だか嫌だ。
 そんなフィオーネの考えが読めたのか、エミールは肩をすくめた。
「興味ない女性のところに毎朝通わないものだよー。あとね、グリシャたちは『フィオちゃん先生に新技見せるぞー』って、新しい魔術具の開発にいそしんでるからね。無自覚でいるのは勝手だけど、トラブルを避けたかったら、しっかりしなよ」
「……わかったわ」
 内心でものすごく面倒くさいと思いつつも、親切な忠告だとわかったからとりあえずうなずいた。
 エミールが魔窟と表現したように、この魔術学院で無事にやっていくにはぼんやりしているわけにはいかないのだろう。そのことは、フィオーネにもそろそろわかってきた。
「僕から頼むのも何か変だけど、ダリウス先輩と仲良くしてあげてね。フィオちゃん先生に対しては結構積極的みたいだけど、先輩って本来引っ込み思案で、人と打ち解けるの苦手な人だから」
 去り際、エミールは振り返ってそんなことを言った。
 ダリウスのひとつ年下、フィオーネと同い年のはずなのに、そのときのエミールは何だか少し大人びていた。
 ふざけた振る舞いをしつつも、芯はしっかりした子なのかなというのが、現時点でのエミールに対するフィオーネの印象だった。
 たぶん、魔術学院でできた知り合いの中では、今のところベルギウスと同じくらいにはまともだろう。……今いる知り合いが彼らのほかにはまだ、ダリウスと目からビーム集団とアンヌしかいないというのが、そもそもの問題なのだろうけれど。

 エミールが出て行って少しして、フィオーネはおもむろに立ち上がって、隣の自室へ行った。それからコンロにケトルをかけ、お湯を沸かした。
 ある気配を感じて、それでこうしてお茶の準備をしているわけだけれど、フィオーネが医務室を出てこの部屋に来たことを、気配の主はどう思っているのだろうか。
「……入っておいでよ。お茶の用意できたよ」
 フィオーネは窓を開け、そこにうずくまる影に声をかけた。日は暮れ、医務室が面している中庭はすっかり夕闇に飲まれている。その気配の主も、のっそりと大きな影になっていた。
「……おじゃましまーす」
 窓枠に手をかけ、ダリウスはするりと部屋の中に入ってきた。その腕にはカイザァを抱いている。
「猫じゃないんだから、ちゃんとドアから入ってきなさい」
「いっそ、フィオの猫になりたいよ。そしたら、ずっとそばにいられるもん」
 ダリウスは、あきらかにすねていた。その子供っぽさにあきれて、フィオーネは溜息をついた。
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