果たせなかった約束~アイドルHinataの恋愛事情【4の番外編】~
02 『木下さん』
「へぇ……安西紗弥香さん、ね」
『木下悟』と名乗った眼鏡の男性は、わたしが差し出した名刺を見ながら言った。
「あ、この会社のあるビルって、すぐそこじゃん。ボク、たまにこのビルの前通るよ」
「あの、木下さんは、どんなお仕事されてるんですか?」
わたしが聞くと、木下さんは、んー…っと考えて、
「そうだな……。サービス業……かな? いろいろやってるよ」
と、足元に置いてあった自分のカバンを手に取った。
ガサガサっとカバンの中から取り出したのは……手帳?
木下さんは手帳を開きながら、
「安西さんは、OLさんってことは、土日が休みだよね。ボクは、いつが休みって決まってないんだけど。あ、来週の土曜は空いてる?」
「……えっ?」
な、何?
いまどういう話になってるの?
訳も分らず木下さんの顔を見ると、木下さんは手帳から視線を上げてわたしを見て、クスッと笑った。
「罰ゲームでしょ?」
木下さんは、クイッと親指で自分の肩の少し上のあたりを差した。
その先には、こちらの様子を好奇心たっぷりに見ている紘子たちがいる。
うわぁ……、罰ゲームって気付かれてたんだ(は、恥ずかしい……)。
「『見ず知らずの人を口説く』だなんてさ、罰ゲームじゃなきゃできないよね。……特に、きみみたいに、おとなしそうな女のコには」
いたずらっぽく笑った木下さんは、カバンのポケットから携帯を取り出して、どこかに掛け始めた。
「もっしもーし。ボクだけど。お疲れーっす。…………うん。ちょっと確認したいんだけどさぁ、来週の土曜日って、ボク夕方まで……………………えぇ? マジで? なんっでもっと早く教えてくんないのさ?」
仕事のスケジュールの確認?
え? え? な、なんで?
『罰ゲーム』だって、気づいてるんでしょ?
……もしかして、いまわたし、逆にナンパされてるの?
ちょっと、状況がさっぱり分からない。
木下さんは、携帯を片手に、自分の手帳に何やら書き込んでいる。
「……もうこれで終わり? 他にはない? …………いや、そんなこと分かってるけどさぁ。……………………うん」
携帯で会話を続けながら木下さんは、手帳をズイッとわたしの方へと押しやった。
……え? なに?
木下さんの顔を見ると、彼は指先で手帳をとんとんっと指した。
『手帳を見ろ』ってこと?
手帳の指し示された部分に視線を落とすと、一週間後の水曜日の部分に。
『シゴト終わったら空いてる?』
わ……この人、もしかして……慣れてる?
―――なんて、感心してる場合じゃないの。
再び木下さんの顔を見ると、彼は『どうなの?』といった感じで首を傾げた。
……どうしよう。
わたしが何の反応もできずに固まっていると、木下さんは携帯に向かって「ちょっと待ってて」と言ったあと、携帯を耳から離してそれを手で覆った。
「……あのさ、せっかく罰ゲームに乗ってあげてんだから―――」
「べっ……別に、乗っていただかなくてもっ。だいたい、罰ゲームはわたしがあなたに声をかけるところまでで成立してるんです。そんな―――」
「いや……そうかもしれないけど、このまま普通にボクが断ったら、別に何も面白くないじゃん。きみだって、彼らだって、決していい気分にはならないでしょ?」
……どういう意味だろう?
「だから、一度だけ、ホントにデートしてみない? ってこと。そしたらさ、『わたしのタイプじゃないから、付き合うのはやめにした』とでも言えばいいんじゃない? きみも、こんな意味不明な罰ゲームでみじめな思いしなくて済むし、彼らだって――」
「みっ……みじめだなんて、思いませんけどっ。たかが罰ゲームでっ」
「あ、いや……ごめん。だから、何が言いたいかって…………」
……あ、そうか。
紘子たちは、『木下さんが罰ゲームだって気づいてる』ってことには気づいてないわけで。
木下さんに断られる、ということは、すなわち、わたしはフラれる、ということ。
これが、罰ゲームであろうと、なかろうと、『フラれる』ということは事実。
公衆の面前で『フラれる』なんて……客観的に考えると、やっぱりみじめ……というか、哀れだよね。
木下さんは、みんなの前でわたしが恥をかかないように、って気を遣ってくれてるんだ……たぶん。
「あ、あのっ、わかりました。来週の水曜日……ですね。大丈夫です」
わたしが笑顔を作って言うと、木下さんは一瞬間を置いたあとフッと笑ってうなずいて、再び携帯を耳元にあてた。
「……もしもし? ごめんっ、待たせて。……あのさ、来週の水曜日の夜っ。絶対何も入れるなよっ。…………そう、その後。…………絶対だぞっ!!」
一週間後の水曜日。
定時で仕事を終えたわたしは、先週木下さんに待ち合わせ場所として指定された、会社の最寄駅の3番出口の隣の本屋の前にいた。
ふと、Hinataが表紙に載ってる雑誌を見つけて、手に取った。
少しいたずらっぽく笑っている、『中川盟』の顔を見ながら、考える。
さっき会社を出てくる時、今日が木下さんと約束した日だと告げてある紘子から、『頑張ってこいっ!!』っと言われた。
『頑張る』もなにも、今日のデートは、あくまでこの間の罰ゲームの延長で。
紘子たちの前で、わたしが恥をかかないようにっていう、木下さんの配慮であって。
そもそも、『恋愛』っていうのは、彼氏を作ろうと思ってするものではないと思うし。
……なんて、真面目なこと言ってるから、いつまで経っても彼氏ができないのかな。
うん。考えようによっては、これもある意味『出会い』と言えるかも。
木下さんのあの対応は、頭の回転が早いってことだと思うし。
顔だって……わたしの好みとは違うけど、あの爽やかな笑顔は、なかなかかっこよかった。
これは……この雑誌に載っている『中川盟』が幼馴染の『メイくん』かも、なんて妄想から卒業する、いいきっかけになるのかもしれない。
ちょっとだけ……頑張ってみようかな……。
そんなことを考えていると、突然、後からぽんっと肩を叩かれた。
あ、……木下さんかな?
振り返ろうとすると、叩かれたのとは反対側から、人の気配。
「安西さん、お待たせっ。ごめん、少し遅くなって……」
慌てて声がした方を振り返ると、目の前に、眼鏡をかけた木下さんの横顔。
ちょっ……ち、近いっ! 近すぎますけどっ?
と、いうか……わたしの肩に、どうしてまだ木下さんの手が乗ってるのっ?
わたしが硬直していると、木下さんはパッとわたしの肩から手を離した。
「あ……ごめん。つい……」
『つい』? 『つい』って……なに?
そんな、彼女でもない女の人の肩に『つい』手をまわしちゃうって、あるの?
ちょっと……『頑張ろう』って思ってたの、考えなおそうかな……。
そんなことを考えてると、木下さんはわたしが持っていた雑誌に視線を落とした。
「ん……安西さんって、Hinataが好きなの?」
「え? あ、いえ、あの、そんな特別『好き』ってわけじゃ……」
わたしが答えると、木下さんは少し考えて、
「んじゃぁ、この3人の中で、誰が安西さんの好み?」
「……え?」
いったい、どういう会話の流れなんだろう。
あ、単純に、世間話? 和ませるために?
「えーっと……た、たぶん、この人」
と、わたしは雑誌の表紙の高橋諒くんを指差した。
わたしが『中川盟』を気にしているのは、あくまで名前やプロフィールが『メイくん』を連想させるものであるからであって。
単純に、『好みのタイプ』かどうか、と聞かれれば、やっぱり高橋くんかな?
なんとなくだけど。
わたしの答えを聞いた木下さんは、なぜだか苦笑い。
……もしかして、この人。
自分が『中川盟』に似てるっていうの意識してて、わざと聞いたの?
それで、わたしが『中川盟が好み』って答えなくて……で、苦笑い?
うわ……もし、そうだとしたら、ちょっと、……嫌かも。
あり得ないくらい高低差の激しいサーキット場でのカーレース。
突然、それまで平和だった街中で繰り広げられる銃撃戦。
某アニメのテーマソングに合わせて軽快に叩く和太鼓。
これが、今夜の木下さんとのデートコース。
連れてこられたのは、待ち合わせ場所から歩いて30秒のところにあるゲームセンター。
「おおぉぉおっっっっし!! そこだっ!! ……うわわわっっっ!! ちょっっっ……うわあぁぁぁぁぁああああ!!」
一応、『二人で楽しく遊べるもの』を選んでくれてるようだけど、熱中し過ぎて叫ばれると、こっちが恥ずかしいんですけど…………。
「さぁーて、次は何にしようかな。安西さんは、何が――」
言いかけて、木下さんはわたしの後ろの方へと視線を向けて、眼鏡の奥にある目をクッと細めた。
…………? 何?
誰か知り合いでもいた?
気になって振り向こうとすると、ガシッと。
ちょっとちょっと……この人、なんでまたわたしの肩に手を回してるの!?
「んー……じゃぁ、次は……これ」
木下さんが、わたしの肩を抱いた形のまま指差したのは……いわゆる、プリクラ。
「最近さぁ、男だけじゃ撮れないとこ多いから、久し振りなんだよね」
グイッと背中を腕で押されるようにして、半ば強引に歩かされて。
近くにあったプリクラ機の中へと押しこまれてしまった。
待って。ちょっと……危なくない?
この、分厚いビニールっぽい素材でできたカーテンで仕切られた、空間。
床から一メートルくらいは空いてるし、さすがに、『犯罪的行為』には発展しないだろうとは思うけど。
こんな『半密室空間』に、よく知りもしない男の人と二人っきりになるなんて――――!!
「……あのさぁ、きみの友達のことなんだけど」
木下さんは、怪しげなそぶりを見せることなく、かといってプリクラを操作するわけでもなく、そう言葉を発した。
「…………え? と……友達?」
「そう。この間、飲み屋に一緒にいたでしょ? そのうちの、女のコ二人に、尾行けられてんだけど」
「『尾行けられてる』?」
……って、まさか、紘子と文香が尾行してるの!?!?
「ホント、きみ、心配されてんだな。いや……面白がられてるのか」
木下さんは腕組みをして、ニッと笑う。
えぇ……『面白がられてる』方が正解だと思う。わたしも。
「ん……で、コレ、どうやんの? カネ入れたけど」
木下さんは、プリクラの画面を指差す。
「えぇっと……ここを、こうして……。で、画面に映るんで……」
「あぁ、カメラあそこね」
確認して、二人並んで正面を向いた。
機械から流れる、かわいらしい声でのカウントダウン……え、あれ?
画面に映ってる木下さんは、なぜか眼鏡をかけてない。
視線が合った画面の中の木下さんは、ニッといたずらっぽく笑った。
――――この顔! この表情!!
プリクラ撮影中だということも忘れて、隣りに立っている彼を凝視してしまった。
「……高橋じゃなくて、ごめんね?」
言いながら、彼は再び『営業スマイル』。
さっき、このゲームセンターに来る前に、本屋で眺めていた雑誌に載っていたのと同じ顔。
この人……『Hinataの中川盟』――――!!