果たせなかった約束~アイドルHinataの恋愛事情【4の番外編】~
06 桜、舞い散る。
年が明けて、わたしは自分の実家で正月休みを過ごした。
真実を知った今、盟と顔を合わせるのが、なんだか少し怖くて。
その間、父と、『あさ田』の手伝いを終えて一日の夕方帰ってきた母から、『メイくん』のことについていろいろと聞かされた。
「これが、紗弥香。……で、こっちに写ってるのが、盟くん」
母が開いて見せてくれたのは、見覚えのないアルバム。
「お母さん、このアルバム、どこにあったの?」
「『あさ田』の屋根裏部屋よ」
「なんでそんなところに…………」
「こっちに引っ越してくるときに、持ってくるの忘れてたのよ。それで、おばあちゃんにお願いして、保管しておいてもらったの」
「そう……。で、今日はどうしてそのアルバムを持って帰ってきたの?」
「え? だって、お父さんが、『紗弥香が盟くんのことを知りたがってる』って電話くれたから」
あの、『知りたい』なんて一言も言った覚えはないんだけど。
アルバムの中の幼いわたしと盟は、とても仲が良さそうで。
手をつないで公園を歩いていたり、一緒に『あさ田』のそばを食べてたり。
無邪気な笑顔――――。
盟が、こんな笑顔をわたしに向けてくれていた時期があったんだ。
そう思うと、なんだか少し切なくなってしまう。
「盟くんはね、昔、紗弥香が何か悪いことしたときに、『ぼくがやったんだ』ってかばってくれたことがあるのよ。……だけどね、それがいかにも『芝居してます』って感じで。おかしかったわぁ、あのときは」
母が目を細めて言うのを聞いて、……あ、それ、なんとなく覚えてる。
確か、『あさ田』の屋根裏部屋で一緒に遊んでいて、ちょうどお昼時だったのか、お腹が空いてしまって。
幼かったわたしは、一階の調理場から、ちょうどお客様にお出しする直前のできたてのざるそばを、器ごと『拝借』してしまったのだ。
当然、すぐに親に見つかって、わたしはこっぴどく怒られたのだけれど。
横にいたメイくんが、『ぼくが持ってきたんだ。ごめんなさい』ってかばってくれた。
……だけど、そのときのメイくんの表情は思いっきり作ったような『反省顔』で。
がっくりとうなだれてる感じを出すために、顔や身体が変な風に脱力しちゃってた。
そんな彼がおかしかったのか、わたしの親は許してくれて、その後一階でそばを改めて作って、わたしたちに食べさせてくれたのだ。
盟にドラマや映画の仕事があまり来ないのは、演技力があの頃のままだから……かもしれない。
結局、自分が幼馴染の『さーちゃん』であることどころか、母の実家がそば屋であることや、昔長野に住んでたことすら盟に打ち明けられないまま、季節は春を迎えた。
ある晴れた土曜日、家に閉じ籠ってるのがなんだかもったいなくて、夕方まで時間の空いている盟と一緒に、動物園へやってきた。
盟は、本当は動物が好きなんだけど、世話が面倒になりそうだからペットも飼ったことがないんだって。
「飼うなら、猫より犬飼いたい。大きいヤツ。抱き枕みたいにして一緒に寝たい。そういうの、よくない? あ、そうだ。ウチで飼うからさ、紗弥香が面倒みてよ」
「何言ってるの? わたしは二匹も犬の面倒見れないのっ」
「えっ? 紗弥香の実家、犬飼ってんの?」
「違うよ。ここに一匹いるでしょ?」
言いながら、わたしは盟の腕に自分の腕を絡めた。
「……ボクは犬じゃないっての」
変装のためにかけてる眼鏡の奥で、盟は苦笑い。
今日は土曜日だし、ほぼ満開の桜を見に来た人も多いのか、動物園は結構混んでる。
学生の友達グループ、若いカップル、家族連れ。
人混みの中でも、こうして腕を組んだって盟は嫌がったりしない。
時折吹く強い風で舞い散る桜の花びらの中で見る盟は、すごくキレイ。
『カッコイイ』んじゃなくて、『キレイ』の方が合ってる。
まるで、盟が風を操って花びらを躍らせてるみたいで。
その光景を写真に撮って大きく引き伸ばして、額にいれて飾っておきたい……と思ってしまう。
そんな盟だから、眼鏡は掛けてるけど、どう見たって『Hinataの中川盟』であることは隠せなくて……周りの人たちも、声をかけないだけで、たぶん何人かは気づいてる。
そのことに盟は気づいていないのか、それとも気づいてるけど気にしていないだけなのか……分からないけど。
「ボクが犬だってんなら、紗弥香は牛だろっ」
「う……牛っ? な、なんで?」
「ん……だって、『ココ』、最近またちょっと育って……」
「やっ……ちょっと、こんなとこで触らないでよっ。そんなことして週刊誌にでも載ったらどうすんのっ?」
「わっ、騒ぐなよっ! おまえのその発言の方がヤバイってのっ。普通にしてればバレないって」
……あ、気づかれてないと思ってるんだ。
さっきすれ違った女のコなんて、思いっきり振り返って見てたんだけど(……そして、隣にいるわたしは思いっきり睨みつけられたんだけど)。
こういうときって……『気づかれてるよ』って教えてあげた方がいいのかって、いつも迷う。
普通に、一緒に歩いてるとか、買い物してるとか……なら、別にいいのかな、って思うけど。
いまのはさすがに……マズイんじゃないのかな。
「……ね、盟。意外と周りの人って見てるから――――」
「――――めえぇえぇぇぇえぇえええぇいっ!」
小声で盟に伝えようとしたわたしの忠告は、盟の名前を呼ぶ幼い叫び声にかき消されてしまった。
その直後、前方から人波をかき分けて……猛ダッシュしてきた小学校低学年くらいの男の子が、盟に激突。
「――――うわっ!? なっ……なんだっ!?」
勢いで後に倒れそうになったのをなんとか踏みとどまった盟は、激突してきた子どもの顔を見て、瞬時に顔をほころばせた。
「れっ……廉じゃんっ。久しぶりだなっ。元気だったか?」
盟から『廉』と呼ばれた男の子は、盟の顔を見上げてニッと笑う。
……あれ?
この男の子の顔、どこかで見たことがあるような……。
「あったりまえだろっ。盟の方こそ、元気かっ?」
「このぉー、生意気な口のきき方覚えやがってっ。おまえ、いくつになった?」
「8さいだよ。春休みがおわったら、3年生」
「いつの間に小学生になっちまったんだよっ。はぁぁ~……ボクも歳とるわけだ」
廉くんの肩を掴んで、がくっとうなだれてしゃがみこんだ盟は、次の瞬間、ハッと顔を上げて、
「おまえ、一人でここに来た訳じゃ……ないよな? 学校の遠足か?」
「春休みだって言っただろっ。盟、ぼくの話きいてた?」
「あ、あぁ……悪い。じゃぁ、誰と一緒に――――」
「――あれ? 中川くんじゃないか。偶然だね」
廉くんの後方から聞こえてきた声に、そちらへと視線を向けると。
ソフトクリームを二つ両手に持った、30代半ばくらいの男性がこちらをうかがうようにして立っていた。
「廉、突然いなくなったら駄目じゃないか。父さん、びっくりしただろ」
男性は、優しい声と眼差しで廉くんに声をかけた。
と、いうことは、この人が廉くんのお父さん。
「谷崎さん、ちわっす。ホント、偶然っすね」
少しホッとしたような表情で、盟は立ち上がって軽く男性に会釈した。
男性はそれに応じるように頷いた後、手に持っていたソフトクリームのうちの一つを廉くんに手渡す。
「そちらは、中川くんの彼女?」
「ん……えぇ、まぁ。一応」
男性からの問いに、盟は曖昧に答える。
「えーっと、この人、谷崎さんって言って……ウチの事務所のボイストレーニングの先生してる人」
『ウチの事務所の……』ということは、関係者。
……あ、だから、『彼女?』と問われても否定はしなかったんだ。
わたしは納得して、谷崎さんに会釈をした。
谷崎さんは、盟にしたのと同じように頷いて、
「どうも。谷崎といいます。廉は中川くんにとても懐いてるもので……」
「そう? 直くんも高橋も、廉のことは可愛がってんじゃん。最近遊びに来ないから、直くんなんて『からかう相手がいねぇー』って寂しがってたよ」
盟がいたずらっぽい表情で言うと、廉くんが盟の服の裾を引っ張って、
「盟っ、いっしょにゾウ見に行こうぜっ!! いまなら、早いもの勝ちでゾウにエサやれるんだっ」
「廉、そんなこと言ったら、迷惑だろ? おまえは母さんのところに行ってなさい」
谷崎さんが廉くんにそう言った瞬間、盟の表情が強張った。
「あ……何、奥さんも……来てんの?」
「そう、だけど?」
谷崎さんが少し首を傾げて返すと、盟はスッとわたしの肩に手を回した。
「あー……じゃぁ、ボクたち、そろそろ行きます。家族水入らずんとこ、邪魔しちゃ悪いし?」
おどけた口調と、思いっきり作ったような笑顔。
声のトーンがほん少し上擦ってる。
「……じゃぁな、廉。父ちゃんの言うことはちゃんと聞けよ」
「盟こそ、そのねーちゃんのムネばっかりさわってんなよっ」
「は、はぁっ!? 廉っ、な、何言ってんだよ! そんなことしてないってのっ」
「さっきさわってただろーっ。ぼく、見てたぞっ」
廉くんが大きな声で言うものだから、気づくと周りに人が集まってきちゃってる。
盟は慌てて、廉くんの口を手で塞ごうとして……だけど突然、その動きを止める。
同時に、わたしの肩にかけられてる方の手がビクッと跳ねた。
「……れ――――ん?」
遠くから、廉くんの名前を呼ぶ女性の声が聞こえる。
ハッキリとしてるけど、透き通るような綺麗な声。
聞こえてくるのは、じゃれあってる盟と廉くんを少し呆れた表情で見ていた谷崎さんの後方。
「……あ、じゃ、じゃぁ、またなっ!!」
盟はそれだけ言うと、わたしの肩を抱いてる手に力を込めて歩き出した。
谷崎さんと廉くんの顔も見ないまま、彼らに背を向けて。
……あ、ちょっと待って。軽く会釈だけでも。
振り返ると、廉くんたちの方へと歩いてくる女性の姿が見えた。
とても綺麗な女性だった。
さっきの廉くんを呼ぶ透き通るような声が、そのまま人間になったみたい――――。
「――――紗弥香っ、ちゃんと前見てないと、転ぶぞっ」
言いながら、盟は歩くスピードを速めた。
まるで、さっきいた場所から逃げるかのように。
「……ね、盟。さっきのひと、廉くんのお母さんだよね?」
「………………………………」
「あの人、女優さんなの? すごく綺麗――」
「――――るっさいなっ!! 黙ってろっ!!」
盟は突然立ち止まって、わたしをドンッ!! と突き放した。
眉間のしわ、歪んだ唇。
初めて見る、『最高に不機嫌な顔』――――。
「……盟?」
おそるおそる声をかけると、盟はハッと表情を変えた。
「あ、…………ごめん」
盟は眼鏡の奥で視線を泳がせた後、深いため息をついて、ゆっくりと言葉をつないだ。
「…………あの人は、俳優の土方達郎と、舞台女優の朝川ユリの娘だよ」
そう言って、わたしに背を向けてゆっくりと歩き始めたその先にあるのは、動物園の退場口。
ざぁっ……と風が吹いて、盟の周りを桜の花びらが儚く舞う。
その背中を見ながらわたしは、根拠はないけど……確信していた。
あの人が……廉くんのお母さんが、盟が乗り越えられないでいる『誰か』なんだ。