果たせなかった約束~アイドルHinataの恋愛事情【4の番外編】~
08 挙動不審。
翌朝目が覚めたとき、部屋に盟の姿はなかった。
脱ぎっぱなしの服も、置きっぱなしのマグカップもない。
ということは、わたしが眠っている間に帰ってきてまた出かけた、ということもない。
昨日は、システム部に所属している文香の的確な指示と、紘子からのハンバーガーの差し入れのおかげで、思っていたよりも早く作業を終えることができた。
日付が変わる前には盟の部屋にいて、なんとなく見ていたテレビに映っていたHinataの新曲のPVの中の盟が、やっぱり普段わたしが見てる盟とはどこか違うな……なんて思いながら、盟の帰りを待たずに眠ってしまったのだ。
わたしは、まだ冷蔵庫に残っていたシチューを電子レンジで温めなおして朝食にした後、せっかくの休日、このまま盟を待ってるだけじゃもったいないから……と、掃除や洗濯を始めた。
この季節の朝はやっぱり気持ちがいい。
今日はほぼ快晴で、空の高い所にぽつりぽつりとだけ、小さな雲が浮かんでる。
洗濯物を干し終えて空を見上げていると、部屋の中から、物音が聞こえた。
盟が帰ってきたのかな?
そっと部屋の中を覗き込むと、盟はソファに仰向けになって雑誌を見ていた。
盟が手にしていたのは、女性向けファッション誌の『en-en』。
それを見ながら、口元をゆるませて……時々何か独り言を言ってるみたい。
テレビ画面に向かってツッコミ入れてることはよくあるけど、雑誌(しかも、マンガならまだしも女性向けファッション誌)に向かって何を言ってるんだろう?
部屋に入ろうと思って少し窓を開けると、ちょうど盟の独り言が聞こえてきた。
「……やぁっぱり、この笑ってるのがいいよなぁ、『ななこ』らしくて」
――『ななこ』?
聞き覚えのない名前だった。
盟は基本的に、会話に出てくる芸能人のことは『○○さん』『○○ちゃん』と話すことが多い。
呼び捨てにするのは、同じ事務所の後輩やごく一部の親しい人だけで、そのほとんどが男性。
それなのに……『ななこ』って、誰?
目をこらして、表紙に写ってるのが誰なのか確認する。
わたし、息をのんだ。
「……あれ、盟。おかえりっ」
わたしは、盟の帰りにたったいま気づいたような感じを装って窓を開けた。
「えっ? うわっ! さ、紗弥香!?」
盟はソファからガバッと飛び起きて、慌ててバタンと雑誌を閉じた。
「なっ……え? もう9時過ぎてるぞ? 仕事はっ!?」
「うん、実は……昨日、課長にお願いして、お休みもらっちゃったっ。その分、昨日は残業してきたの。それで、ほら、会社からだと、わたしの家よりこっちのが近いから……」
「えっ……何時に来たの?」
「夜11時過ぎかな?」
言いながら、わたしは洗濯かごを抱えて部屋に入った。
――――盟が、おかしい。
なんとなくだけど、直感でそう思った。
「盟は、朝まで仕事だったんでしょう? いつも、お疲れ様ですっ」
「えぇ? あ、ああ、うん。そう……仕事。実は、全然寝てないんだ」
声のトーンが普段より高いどころか、思い切り上ずってる。
視線は、ただ逸らしてるだけじゃなくて、上下左右に動いて落ち着きがない。
何か……嘘をついてる。
「それ、『en-en』じゃない? 盟がこんな雑誌買うなんて、珍しいね」
わたしは、盟が持ってた雑誌をひょいっと手に取った。
「え? そ、そうかな……」
「うん。盟って、『週刊少年なんとか』みたいなマンガしか買ってこないと思ってた。……あ、これ、Andanteのなーこだ」
いかにもいま気づいたような感じで、『en-en』の表紙を飾る女性の名前を口にした。
やっぱり間違いない。
盟が口元を緩ませて独り言を呟きながら見つめていたのは、Andanteのなーこだった。
「ア、アアAndanteのななな、なーこ、ちゃん、の、こと、ししし知ってるんだ?」
今度は、声が上ずってるだけじゃなく、どもってしまっている。
いまの盟の状態を『挙動不審』という言葉以外で説明しようと思っても、きっと日本中の国語辞典を読み漁ったって、無理だと思う。
「……いまどき、Andanteを知らない人の方が珍しいでしょ? 盟は、会ったことあるの?」
「ええぇ? だ、誰に?」
「だから、このコ」
と、わたしは雑誌の表紙に載っているAndanteのなーこを指差した。
すると、盟は言葉を探すように視線を上に向けて、
「あ……し、仕事では、アレかな。ときどき歌番組で一緒になるくらいで……。あの、でも、この間の水谷さんのパーティーの二次会のときに会って、少しだけ話したよ。少し……だけ」
と、少し落ち着いた声で話した。
『ウソは言ってないぞ』って、顔に書いてあるみたい。
「ふぅん……そうなんだ」
わたしは、何も気にしていないフリをしながら、『en-en』をぱらぱらとめくった。
明らかに、『Andanteのなーこ』と盟は、『何か』があったんだ。
いつもなら家に着く前に歩きながら食べ終えてしまうはずなのに、まだコンビニの袋に入ったままになってる、リビングテーブルの上の肉まん。
仕事が大変だったときには必ずぼろぼろと出てくるはずなのに、『全然寝てないんだ』としか言わなかった愚痴。
満員電車で付いたなら上に着ていたジャケットにつくはずなのに、その下のシャツの肩にうっすらと付いているファンデーションらしき汚れ。
……それに加えて、さっきからの盟の挙動不審ぶりと、『Andanteのなーこ』が8ページにわたって特集されている、盟が買ってきたこの『en-en』。
これだけ揃ってて、『怪しい』と思わない方がおかしいと思う。
肉まんがまだ食べられていないのは、食べたくて買ったんじゃなくて、雑誌のついでに買ったから。
仕事の愚痴が出てこないのは、朝帰りになった理由が仕事じゃなかったから。
ファンデーションがシャツに付いているのは――――。
…………だめ、やめよう。
これ以上考えたら、頭がおかしくなりそう。
それに……もし、『Andanteのなーこ』と何があったとしても。
盟が、わたしに対して後ろめたい気持ちを持ってて、嘘をついているんだとするなら。
少なくとも、いまわたしと別れる気はない……ってこと。
――それで、いいの。
それ以上を望んだら、きっと罰が当たる。
元々、愛されてないのは分かってるし。
ここで盟を追及したって、ただの『鬱陶しい女』になってしまうだけ。
「……あ、この雑誌、高橋くんが連載してるの、知ってる?」
「え? た、高橋が?」
「うん。……あ、あった。これ」
わたしは何も気づかなかったフリを続けながら、盟と同じHinataメンバーである高橋諒くんが連載しているページを開いて盟に見せた。
話題が変わってホッとしたような表情を見せた盟は、雑誌の中の高橋くんの写真を見つめて……次の瞬間、ハッと表情を変えて、
「あぁああぁ…………そうだった……」
高橋くんの写真を見つめたまま、盟はぼそぼそっと呟きながら頭を抱えた。
なんだろう。仕事のことでも思い出したのかな?
「……盟? 顔色悪いよ? 大丈夫?」
「ん……大丈夫。ちょっと……疲れただけ」
「そう? あ、お風呂入る?」
「いや……いまはいいよ。とにかく……眠い」
「……そっか。じゃ、着替え出すね」
そう言ってわたしがクローゼットの前に立つと、盟は着ている服を脱ぎながら、
「紗弥香……ごめんな?」
「……ん? 何が?」
「その……せっかく頑張って残業して、休みにしてもらったんだろ? なのに……なんか、ボクのせいで出かけられなくて」
本当に、申し訳なさそうな顔。
少し離れたソファに座った盟の、わたしの方を見上げるような眼が、道路脇に捨てられてる子犬みたい。
盟、その眼はずるいよ。分かっててやってるの?
愛してないなら、もっと冷たくしてほしい。
そんな風に、気を遣ったりしないで。
盟がそんなだから、憎めないし……責めることもできない。
だけど……。
わたしは笑顔を作って、盟の方へと向けた。
「んーん、仕事で疲れてるんでしょ? わたしは、勝手にお休みもらっただけだし」
わたしの言葉を聞いた盟は、一瞬顔を引きつらせて、「そ……そっか」と、苦笑い。
『仕事じゃなかった』って分かってるのに、こんな言い方するなんて……わたしって性格悪いっとか思ったけど。
これくらい……いいよね?