あなたのそばにいさせて


 時刻は午後4時。
 早めに終了したのは、季節はずれの大型台風が近づいてきたせいだった。
 みんな本当は、お疲れ様の一杯でもしたい気分だったけど、会社からも帰宅要請が出ていたし、まだ電車が動いているうちに帰ろうと解散した。

 私と赤木は、書類や備品を会社に置いてから帰ることにした。
 持って帰ってもいいんだけど、量がちょっと多いので、通勤のついでに持つのは嫌だということで、今日中に済ませることにしたのだ。
 会社に荷物を置いて、赤木が台風情報を見る。
「台風どう?」
「電車やばそうだな。とりあえず行くか」
 会社を出ると、相当強い風が吹いていた。
 いつも通っている駅までの道は、建物の影響か、風が強い時は飛ばされそうになってしまう。
 さっき、駅から会社に向かう時はまだそれほどではなかったのに、今はもう危険なことが見ただけでわかるくらい風が強い。
「遠回りだけど、裏からにするか」
「うん。さすがに怖いね」
 歩けずに立ち止まってしまうほどの突風が吹く道に人影はなかった。

 私と赤木は会社の裏側に出てから、駅の反対側に出る道を進んだ。かなり遠回りになるけど、仕方ない。
 安全な方の道とはいえ台風接近中なので、それでも風は強かった。
 会社がある辺りはビルが立ち並んでいるけど、ちょっと外れると住宅街になる。
 人影はなく、歩いているのは私と赤木だけだ、と思っていたら、先の方にうずくまっている人がいた。女性だ。

 私は様子を窺いながら近寄った。
 その人はしゃがんでいて、息が荒くて苦しそうだ。顔が真っ白になっている。
「あの、大丈夫ですか?具合悪いんですか?」
 女性は私をちらっと見上げて、微かに頷いた。
 赤木を振り返ると、電話を出した。
 私は頷いて、女性に声をかける。
「救急車、呼びますね」
 女性は、支えている私の腕をギュッとつかんだ。そして、微かに首を横に振る。
 どうやら救急車を呼んで欲しくないようだ。
 赤木は、その仕草を見て、電話をかけるのをやめた。
 私は更に声をかける。
「救急車呼ばなくていいですか?お家は近いんですか?」
 女性は頷いた。
 その時、声が聞こえた。
「橙子さん‼︎」
 その声は、よく知っているけど、ここで聞くとは思っていなかったから、本人と結びつかなかった。
「課長?」
 先に赤木が声を出した。
 そう、これは課長の声だ。
「赤木、と、藤枝……なんで」

 なんで、は私達も思っていた。
 なんで課長が?

 課長は、すぐに我に帰り、私が支えていた女性に近寄る。
「橙子さん、大丈夫ですか?」
 女性は頷いて、私の腕をつかんでいた手を課長の方へ伸ばした。
 課長はその手を取って、そのまま女性を支える。
「課長、お知り合いですか?」
 課長は頷いた。
「この人、どうしたかわかるか?」
 珍しく、あきらかに焦っている。
「私達が見た時にはここにしゃがみこんでいて、救急車を呼ぼうとしたら、呼ばなくていいっておっしゃるので……。すみません、それしかわかりません」
「そうか。わかった、ありがとう」
 課長は、女性の顔を覗き込む。
「橙子さん、いつものですか?」
 女性は頷く。
 課長は、迷わず女性を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。
 あまりに突然のことに驚いていると、課長は焦り顔のまま私達に言った。
「2人共ありがとう。この人のことはもう心配いらないから。早く帰れよ」
 元来た道を戻るように、課長が歩き出した。
 赤木が追いかける。
「課長、手伝います。それじゃドアも開けられませんよ」
「大丈夫だから」
 私も2人の後を追いかけようとしたら、足元にあったビニール袋に突っかかった。
 中にコーヒー豆が入っているそれは、きっとあの女性のだ。
 袋を持って、追いかける。
「課長、これ、その方が持ってた物です」
「ああ、ありがとう。こっちの手に掛けてくれるか」
 女性の足を抱えている方の手を動かす。
 確かに袋はかけられるけど、私はためらった。
 赤木の言う通り、ドアも開けられそうにないのに、軽いとはいえ荷物まで持たせるなんて。
「いいから、掛けてくれ」
 課長は私の考えを読み取ったようだ。
「でも……」
「いいから」
 そうは言われても、まだ迷っていると、頭の上にボタっと何かが落ちてきた。
 何事かと上を向くと、大きな雨粒がボタボタと落ちてきている。

 空はもう暗いけど、厚そうな雲が見える。
 そんな一瞬の間に、雨は降り出してきていた。

 課長は、女性をかばうようにかがみながら、歩き出した。
「とりあえずついてこい。すぐそこだから」
 赤木と私は課長の後を追いかけた。



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