あなたのそばにいさせて
「台風情報か?テレビ付けていいぞ」
言いながら課長はキッチンに行き、コーヒーを入れて戻ってきた。
「わあいい香り」
一口飲んだら、やっぱり美味しかった。
「は〜おいしい」
風が強かったから冷えていたのか、温かいコーヒーは体に染みた。
コーヒーを味わっていると、視線を感じた。
赤木が私をじっと見ている。なんと、課長まで。
「な、なんですか、2人共」
見られているのは単純に恥ずかしい。
ちょっと顔が火照ったな、と思ったら、課長がプッと吹き出した。
下を向いて、クックックと笑っている。
私も赤木も、ポカンとして課長を見る。
課長はひとしきり笑って、顔を上げた。
「ごめん。藤枝の顔、本当に思ったことが素直に出るんだな。前から知ってたけど、あんまり素直過ぎて、おかしくなった」
そう言う課長は『鉄壁の微笑み』じゃなくて、本物の笑顔だった。
私のことで、課長が笑っている。
信じられなかった。
赤木の方が、我に帰るのは早かった。
「俺も、課長と同じこと思ってました。藤枝、単純過ぎ」
そう言って、赤木も笑う。
「子どもみてえ」
やっと私にも意識が戻ってきて、ちょっとムッとできた。
「もう、なんですか、2人して」
むくれて、ふと見ると、課長のコーヒーは湯呑みに入っていた。
「課長、それ……」
指差すと、苦笑いする。
「食器は2人分しかないんだ。客なんて来ないからな」
「そうなんですね……」
なんて言ったらいいのかわからずに、無難な返事しかできなかった。
聞いてもいいんだろうか。彼女のことを。
いろいろ聞きたいことはあるけど、今一番気になることを聞いてみた。
「……さっきの方は、お体大丈夫なんですか?病院は行かなくてもいいんですか?」
課長は、多分無意識に、引き戸に目を向けた。
やっぱり、あの人はその部屋にいるんだな、と思った。
「ちょっと目まいがしたらしい。しばらく休んでれば大丈夫だから」
「そうですか……」
それならいいんだけど。この台風の中、病院に行くのは大変そうだし。
「あの人は……」
赤木が、まっすぐに課長を見て聞いた。
「デザイナーの、北山橙子さん、ですか?」
私は驚いて赤木を見た。
なんで、名前知ってるの?
そうか、赤木は『ファミリーレストラン おおた』の担当だから、デザイナーの名前は当然知っている。
そして、さっき課長はあの人を『とうこさん』と呼んでいた。
同じ名前だなんて、偶然にしてはでき過ぎだ。
課長は、赤木と同じようにまっすぐに見返した。
「そうだよ」
やっぱり、という顔を、赤木はした。
「一緒に住んでるんですよね?」
「ああ」
「北山さんは、体調が良くないからほとんど外に出ないって上原さんが言ってました」
「そうだよ。ずっとここにいる」
「今日は、外に出たんですね」
課長はため息をついて、湯呑みを見つめた。
「……コーヒー豆を、うっかり切らしてたんだ。今日、俺はなにも言わないで仕事に出たから、気付いてないと思ったんだろ。コーヒー豆なんて、無くても平気なのに、無理して外に出たから……」
最後はうめくように、漏れ出てきているようだった。
「普段外に出ないなら、買い物はネットとかじゃないんすか?」
「あの豆は、いつも近所の専門店で買うんだ。普段は俺が買ってくるんだけど……豆を使うのは俺だけだし」
「えっ?」
私は意味がわからず聞き返した。
課長は苦笑いしている。
「コーヒーを入れるのは、俺の趣味。あの人は普段はインスタント。だから、今日彼女が外に出たのは、完全に俺のせい」
「課長のために、コーヒー豆を買いに行ったんですか?」
「さあ……俺のためかどうかは……単に無いから買いに行ったのかもしれないし」
課長は淋しそうな顔をした。
どうしてそんな顔をするんだろう。