あなたのそばにいさせて


 一旦会社に戻り、小山田さんにD-UKに行くことになったと言って、部署を出る。
 課長は課長で連絡があったらしく、予定が外出〜直帰になっていた。
 赤木は、そのまま課長の家に向かった。

 私が駐車場に行くと、上原さんは車に乗って待っていた。
 助手席に乗るように促される。
 課長が前に座った方がいいんじゃないかと思ったけど、言われた通りにした。
「あの、これからどこに行くんですか?」
 2人の雰囲気に押されて、なにも聞けていなかった。
 上原さんは、私の問いでそれに気づいたらしい。苦笑しながら答えてくれた。
「すみません、なにも話さずに勝手に連れて行こうとしてましたね。これから行くのは、北山の墓です。北山浩一の」
 『北山のところ』っていうのは、やっぱりそういうことだったんだ。なんとなく予想はしてた。
 北山さんのお墓は海辺にあるんだそうで、電車とバスを使うと、かなり遠回りになるらしい。
 とても見晴らしがいい場所で、北山さんのご両親が気に入って購入したのだそうだ。

 そんなことを話していたら、課長が走ってきた。
 息を切らしながら、後ろに乗り込んでくる。
「……おま、たせ……しました……」
 私は、用意しておいたペットボトルの水を渡した。
 課長は受け取って、一口飲んでから「ありがとう」と言った。
 上原さんが静かに車を発進させる。
「一応聞くけど、橙子からの連絡は?」
「ありません。電話も、電源が入ってない状態です」
「そうか……。本当に、なにかあった訳じゃないのか?」
「なにもありません。昨日だって今朝だって、いつもと同じで、なにも変わりありませんでした」
 課長は下を向いてしまった。考えている。
 思い出しているんだろう。本当に変わりなかったか、見落としていることがないか。

 その間に、課長の息が落ち着いてきた。
 私は、サンドイッチを差し出した。
「課長、お昼ご飯食べてませんよね。これ、私のお昼用だったんですけど、私は上原さんと赤木とランチを食べたので、これは課長が食べてください」
「あ、ああ……」
 返事はするけど、受け取ってくれない。食べる気がしないんだろう。
「課長、気持ちはわかりますけど、橙子さんはお弁当を持って行ったんですよね。きっと、そのお弁当を食べてるはずです。だから、課長が橙子さんを心配してなにも食べてなかったら、怒ると思います」
 課長が、私と目を合わせた。
「違いますか?」
 そう聞くと、課長は力無く笑った。
「……そうだな……怒られるな……」
 やっと、サンドイッチを受け取ってくれた。
 ホッとして前に向き直ると、上原さんが笑顔をくれた。

 課長は受け取ったけど、気乗りはしないらしく、ゆっくりゆっくり食べ始めた。
 一切れ食べて、電話をかけ、また一切れ食べて、電話をかける。
 それでも、30分後には食べ終わった。

 食べ終わって落ち着いた頃に、上原さんが口を開いた。
「前に……3年前、橙子の様子がおかしいって、どうしてわかった?その時と今回は、同じじゃないのか?」
 課長は考えながら、話し始めた。
「同じ……じゃありません。3年前は、ただのカンというか……ちょっとだけ違和感を感じたんです。普通にしてるけど、普通過ぎて。まるで北山さんが生きてるように振る舞ってるから、まだ現実味がないのかなって思ってました。でも、デザイン画のサインが無くて。いつもは右下に小さく『t.kitayama』って書いてあるのに、書いてなくて。それを橙子さんに言ったら、「『北山』って書けない」って言って、泣き出してしまって……。泣いた後は、もう声が出せなくなってて、抜け殻みたいで。家に送るって言ったけど、首を振るばっかりで。上原さんに連絡しようとしたら、それも拒否されて。緊急措置のつもりで、家に連れて行ったんです。
 でも抜け殻みたいなのは変わりなくて。食事もしないし、話しかけても反応がなくて。ベッドに入れて、無理矢理目を閉じさせたけど眠ってる気配はないし。
 次の日病院に連れて行って、鬱状態って言われて。全身を検査したけど異常はないし、入院した方がいいと思ったけど、泣いて嫌がるし。多分、北山さんが亡くなった場所が病院だから、嫌な思いが直結してるんだと思ったんです。だから、また家に連れて行って。
 それでも、仕事する時だけは、目に光が戻ってきてたから、元の家から道具とパソコンを運んできて、仕事はできるようにして。
 後は、心にも体にも負担をかけないように、とにかく静かに、穏やかに過ごせるようにって、様子を見ながら……。
 少しずつ、抜け殻状態から元に戻ってきて、食べさせなくても自分で食べるようになって、話しかけたら反応するようになって。日常の、身の回りのことも、自分でできるようになって。
 泣くだけだったのが、笑ったり怒ったりするようになって。
 この前、赤木と藤枝が家に来たのがきっかけで、声が少し出るようになって、それまでよりも回復のスピードが目に見えて上がったんです。表情が豊かになって、外の世界に意識が向くようになった。
 一気に変わるのは、心にも体にも負担だろうから、注意してはいたのに……」
 課長はまた考え込んだ。
 きっと、ここ数日の橙子さんの様子を思い出しているんだと思う。

 3年前の、小さな異変。
 その時に気付けて、今回何も気付かないなんてことがあるだろうか。
 一緒に住んでいて、しかも最近は調子を崩さないように注意をしていたのだ。

 私は、赤木の言葉を思い出していた。

『なんか、通じ合ってないっつーか、どっかすれ違ってるっつーか……』

 この、ちょっとした『すれ違い』は、おそらく橙子さんがしゃべれないために起こっているんだと思う。
 例えば、橙子さんが課長を「元木さん」と呼ぶのも、しゃべらないから前の呼び方で止まっているままなのだ。
 でも2人の関係は深くなっているから、今「元木さん」と呼ばれると、課長は距離を感じてしまって、遠慮してしまうのだ。

 月日と共に進んでいるところと、止まっているところが混在していて、それがちぐはぐになって、『すれ違っている』と感じてしまうんだろう。

 この『すれ違い』が、大きな亀裂を生んでいないことを、祈るばかりだった。



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