あなたのそばにいさせて


 課長のマンションに着いた頃には、日は暮れていた。
 橙子さんは余程疲れていたのか起こしても起きなくて、当然のように、また課長がお姫さま抱っこをする。
 私は橙子さんのバッグを持って、エレベーターやドアを開けたりするために、部屋まで付いていくことにした。
 上原さんが、帰りは赤木と一緒に送ってくれると言うので、ついでに連れてくるつもりだ。

 エレベーターの扉が閉まると、課長が言った。
「藤枝」
「はい」
「ありがとう」
「えっ……」
 課長は、まっすぐにこちらを見ている。
「今日、一緒に来てくれたのも、台風の日に、橙子さんを助けてくれたのも。それから、橙子さんに声を戻してくれたのも」
 ぽかんと課長を見上げていると、エレベーターは8階についた。
 慌てて開ボタンを押す。
 課長は、スッとエレベーターを降りた。
 私も後に続く。
「あ、あの、そんなお礼を言われるようなことはしてません……今日だって、ただついて行っただけだし」
 810号室のドアを大きく開く。
「それに、橙子さんの声を戻したのは、課長です。私達は、ただきっかけになっただけで」
「それでも」
 課長は、笑顔だった。本物の。
「感謝してるよ。赤木にも」
 音を聞きつけて出て来た赤木は「へっ?」と間抜けな顔をした。
「ありがとう」
 課長は、橙子さんを抱いたまま、私達に頭を下げた。
 橙子さんは、安心しきった表情で、課長の腕の中で眠っていた。


 赤木は、ここでできる仕事は早めに終わったから、と言って、勝手に料理をしていたらしい。いい香りのするミネストローネと、ピザトーストが用意されてあった。疲れていても、スープなら入るだろうし、ピザトーストは明日の朝食べてもいいし、という配慮らしい。課長は、素直に感謝していた。

 私達がマンションを出ると、上原さんが待っていてくれた。
 赤木が私の報告を聞くから、ということで、最寄駅前で一緒に降ろしてもらう。
「赤木さん、藤枝さんをよこしてくれて、ありがとうございました。おかげで、今日は笑って寝られそうです」
 上原さんは、さわやかな笑顔でそう言って、帰って行った。




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