あなたのそばにいさせて


 残業で少し帰りが遅くなった日。
 駅前に課長が立っていた。信号の向こう側、壁際に立っている。
 道行く人が振り返るほどカッコいい。
 信号は赤だったので、私は立ち止まって課長の姿を見ていた。

 その表情が、笑顔になった。
 とろけるような、優しい、幸せそうな表情。
 視線の先には、改札から出てくる橙子さんの姿があった。
 橙子さんは、ちょっと辺りを見回して、課長を見付けると、ぱあっと笑顔になって、駆け寄った。
 2人は並んで、歩いて行った。
 幸せな光景だった。

「課長、デレデレだな」
 頭の上から声が降ってきた。
「赤木、いつのまに」
 先に帰ったはずの赤木が、私の後ろに立っていた。
「今。そこの本屋さんに寄ってた」
 赤木は課長と橙子さんが歩いて行った方を見ている。
「ほんっとデレデレだな。どうなんだよ、マニアとしては」
「もうマニアじゃない。ファンだけど」
「なんだそれ」
「コレクションはやめたの。でも、課長のあの表情はいいなあって思う」
「……」
 赤木が、一瞬心配そうに私を見た。
「前みたくじゃないよ。単純に、そこまで思える人に出会えていいなあって。そんな風に思えるのってうらやましいなあって、思うだけ」

 もう、もやもやしないし、涙が出ることもない。

「そっか」
 赤木は笑って、私を見る。

 その表情には見覚えがある。

 ついさっき、見た。
 課長が橙子さんを見付けた時の表情。

 あれ?

 頭の中で、方程式が成立した。

 途端に、顔が熱くなる。
「うそ……」
 信じられない。

「おい、大丈夫か?顔赤いぞ。熱でも出たか?」
 赤木の手が私のおでこに手をあてる。

 前に、課長が橙子さんのおでこを触っていたのを思い出した。

 ますます顔が熱い。

「熱は無さそうなのに、顔が赤いのか……なんだろな」
 ニカッと笑う。
「帰るか」
 そして、私の頭をポンとなでた。

 ドクン、と胸の奥が、鳴った気がした。

 今度は、ちゃんと、見つめよう。
 自分の気持ちを。
 気付かない、なんてことがないように。

「行くぞ」
 横断歩道のちょっと先で、赤木が私を振り返る。
「うん」
 笑顔で答えて、赤木の横に並んだ。

 今の、この光景が。
 あの幸せな光景に、つながりますように。
 いつか、あの人達のように、見えますように。




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