あなたのそばにいさせて


 課長を待っている間になにか飲み物でも、ということになり、私と小山田さんは自動販売機がある休憩スペースに行った。
 窓際に課長がいる。
 外を向いて、電話で話していた。

「……それは俺はなんとも言えません。……彼女が、決めることなんで」

 『彼女』
 確かに、課長はそう言った。

 課長は、私達がいることに気付いて、その話題を打ち切った。
「すみません、では、時間がわかり次第ご連絡ください。…………はい、お待ちしております」
 電話を切った課長は、私と目が合うと微笑んだ。

 でも、少し悲しそうに見えたのは、気のせいだろうか。

「明日、打ち合わせだ。時間は、後であちらが指定してくることになった」
「えっ、引き受けてくれたんですか?」
 小山田さんが驚いて聞くと、課長が答える。
「とりあえず話は聞いてくれるそうだ」
 さっき見えた悲しそうな感じはなくなっていた。

 B室に戻って、電話の結果を聞いた。
 赤木は、話を聞いて、興奮気味だ。
「課長、どんな魔法使ったんですか。凄いっすね」
「電話しただけだよ。詳しい話は明日直接することになってる。こっちに来る用事があるから、ついでに寄ってくれるそうだ。時間は後で連絡が来る。俺も同席するから、赤木と小山田は頼んだぞ。篠山さんは、顔合わせだけお願いします。藤枝もな」
 みんな、ホッとした顔だった。
 なんとかなりそうで、良かった。
「ありがとうございます!」
 赤木が改めて頭を下げる。
「まだ受けてもらった訳じゃないぞ。条件次第だからな」
 課長はなんだか複雑そうな顔をしている。
 これも、珍しい表情。

 さっきの電話と、なにか関係があるのかな。
 でも、聞いたらきっと『鉄壁の微笑み』でガードされちゃうんだろうな。

 それでも、気になって、つい聞いてしまう。
「さっきのお電話はどなたなんですか?」
「社長の上原さんだ。前の会社で、一緒に仕事したことがある」
 課長は、微笑みを崩さない。
 さっきの複雑な表情はどこかに行ってしまった。
「前の会社って葉山建設ですよね。それで、電話一本で受けてくれるなんて、よっぽど仲いいんすか?」
「そういう訳じゃないが、仕事は確かだからな、お互いに。それと、本当に受けてもらえるかどうかは、明日の話次第ってことになってる。メインはお前だから、任せるぞ赤木」
「頑張りまっす!」
「小山田もよろしくな」
「はい、わかりました」
 そこで、課長の電話が鳴った。
「上原さんだ」
 課長はそのまま電話に出る。多分、明日の時間の連絡だ。
「……はい、16時ですか?」
 課長がそう言うと、小山田さんがタブレットで会議室の予定を出し、A室の予約を入れて、課長にタブレットを見せる。小山田さん、素早い。
 課長は頷きながら、相手の話を聞いている。
「……わかりました。お待ちしております。よろしくお願い致します」
 と、電話を切るのかと思ったら、相手がまだ何か言っている。
 課長が、眉根を寄せた。
「……それは……申し訳ありませんが、そのお話は……はい、お待ちしております」
 眉根を寄せたまま、課長は切った電話を見ている。
 そんな険しい表情の課長を見たのは初めてで、みんな驚いていた。
 篠山さんが声をかける。
「課長、どうかしましたか?」
 課長はハッとして、慌てて微笑みを顔に貼り付けた。
「なんでもないですよ。赤木、明日、上原さんが16時に来てくれるそうだ。資料が揃ったら、一度見せてくれ」
「わかりました」
 そして解散、ということになった。

 課長はすぐに出て行った。
 その背中を、みんなが見送る。
 口火を切ったのは、小山田さんだ。
「あれ、なんでしょうね……」
 『あれ』とは、課長の険しい表情のことだ。
 篠山さんも、ぽかんとしていた。
「初めて見たな、あんな顔」
「遥ちゃんは?マニアとして、いろんな表情をコレクションしてるでしょ?」
 小山田さんが私をからかうので、少し笑いながら答える。
「私も初めて見ました。コレクションが増えましたよ。なにかあるんですかね、上原さんと」
「あー、休憩スペースで電話してた時もなんか言ってたよね。彼女がどうとかって」
 篠山さんが目を丸くした。
「彼女?誰の?」
「さあ……わかりませんけど。『彼女が決めることだから』とかなんとか言ってたかな。それしか聞こえませんでした」
「でも、仕事の話じゃないみたいですよね。切り離してるっぽかったし。それはそれ、これはこれ、みたく」
 私がそう言うと、赤木がうーんと伸びをした。
「仕事に影響ないんならいいよ。課長が公私混同するなんて思えないしな。さーて、資料揃えないと」
 赤木と小山田さんは、どの資料を揃えるか、話しながら出て行く。篠山さんは外出するから、と言って急いで出て行った。

 私は、テーブルを拭こうと、一旦給湯室へ行き、使い捨て布巾を持って戻った。
 ドアを開けたら、課長がいた。
「お疲れ。忘れ物した」
 ボールペンを持っている。課長がいつも使っている水性インクのものだ。実は私も真似して同じペンを使っている。
「お疲れ様です」
 私がそう言うと、微笑みを返してくれる。
 さっきの険しい表情もカッコ良かったけど、やっぱり笑っている方がいい。
「片付けありがとう」
「いえいえ、このくらいしか役に立てなくて」
 課長は、いつも雑用でも、ちゃんとお礼を言ってくれる。
 そういう気遣いも、モテる要素なんだと思う。
「謙遜だな」
「え?」
「藤枝は、他のことでもちゃんと役に立ってるぞ。安心して仕事しろ」
「……はい……ありがとうございます」

 どうしよう、めちゃめちゃ嬉しい。

 『鉄壁の微笑み』は崩れていなかったけど、上辺じゃない本当の言葉だと思う。

 この人に、大切にされたら、どんな感じなんだろう。

 きっと、幸せなんだろうな。

 想像するだけで、幸せな気分になる。
 少女マンガを読んでるみたいな、ふわふわした感じ。
 私は、それだけでも満足だった。



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