あなたのそばにいさせて
次の日。
上原さんが来社した。
上原和之、D-UK株式会社代表取締役社長。
36歳、独身。身長、推定180cm。元木課長と並んだら大体同じくらいだった。体型もスリム。
涼しげな目元に通った鼻筋。ちょっとカジュアルにジャケットとパンツを着こなして、大人の男性の見本みたいな人だった。
女性社員達の目がハートになっている。
元木課長と並ぶと、更に色めき立つ。
ため息がそこら中から聞こえてきていたし、私への“あの人誰⁈”攻撃は止むことはなく、小山田さんは『みんなが怖い』と言って、A室から出てこなくなった。もっとも、出てくるヒマもなかったと思うけど。
打ち合わせは、結構時間がかかった。
一番最初から説明しなきゃいけないのだ。
まだ走り出したばかりのこととは言え、途中からなのだから、伝えなきゃいけないことはたくさんある。
最後に、篠山さんと私が呼ばれた。打ち合わせ開始から2時間後だった。
「違う案件ですが、太田フーズの担当の篠山と藤枝です。協力することもあると思うので、お見知りおきください」
課長から紹介されて、名刺を交換する。
上原さんは、にっこりさわやかな笑顔だ。
「上原です。よろしくお願いします」
声にも艶があって、聞き心地がいい。
課長とはまた違ったタイプのイケメンだった。
どうやら打ち合わせはうまくいったらしい。
赤木が、凄く嬉しそうににこにこしている。
こっちまで嬉しくなる顔だ。
「では、デザイン担当と打ち合わせして、またご連絡致します」
上原さんは、帰りの挨拶もスマートだ。
赤木と小山田さんがお送りしようとすると、元木課長が自分が行くと言う。
上原さんも、あまり過剰に扱われるのは好きではないらしいので、課長以外はエレベーターホールの手前の社の出入り口までで失礼する。
A室に戻ると、上原さんがいたであろう席の足元に、小さな紙袋があった。
「これ……」
小山田さんが「あっ」と言う。
「多分、上原さんのだ」
「あっじゃあ行ってきます」
まだエレベーターホールにいるかもしれない。
私は、ダッシュで向かった。
いた!
エレベーターが閉まる寸前だったので、思わず飛び込んでしまった。
「どうした藤枝」
ちょっとの距離だったのに、息が切れてしまった。けど、課長が驚いている顔は珍しいから見逃さない。
「あ、あの……これを……お忘れでは、ないかと」
苦しい息の中、紙袋を上原さんに差し出す。
上原さんは、驚いて受け取った。
「ありがとうございます。確かに私のです」
「……良かったです」
「すみません、走ってくださったんですね」
「いえ、日頃の運動不足の解消になります」
ははっと笑うと、上原さんと、そして課長も、笑ってくれた。
エレベーターが1階に着いた。
私も降りて、2人の後を歩き出す。
ビルを出る手前で、上原さんが止まって、課長を振り返る。
さっき渡した紙袋を、課長に差し出した。
「これ」
上原さんは、視線を私に向けて困ったように笑った。
「すみません、せっかく持ってきていただいたんですが、これは元木君に渡す予定の物で」
「あっ、いえ……」
私は首を横に振って、気にしないでとにっこり笑った。
課長は、動かない。
私は課長の後ろにいるので、表情はわからないけど、雰囲気は硬かった。
「会社の近くで売ってるお菓子なんだ。……前、好きだったから」
上原さんの笑顔は、なんとなく淋しそうに見える。
課長は、ゆっくりと手を出して、紙袋を受け取った。
「……ありがとう、ございます。渡しておきます」
小さく頭を下げる。
声も、小さかった。
上原さんが、ちょっと言いにくそうに口を開く。
「……元気、か?」
「……体は、平気そうです。……食事を、作ってくれるようになりました」
上原さんは、嬉しそうにほうっと息をついた。
「そうか……それは……良かった……」
そして、また言いにくそうに聞く。
「……声、は……」
課長の背中が、揺れた気がした。
「まだです……そっちは、相変わらずで……」
「そうか……仕事上は何事もないんだけどな。今回も、頼もうと思ってる」
「適任ですね」
「そう言うと思ったよ。だから電話してきたんだろ?」
「いえ、上原さんに、お願いしたかったからです」
課長は『上原さんに』を、強調した。
上原さんは、フッと笑った。
「なんにしろ、また一緒に仕事ができて嬉しいよ。じゃあ……それ」
紙袋を指差す。
「よろしく頼む」
課長は、硬い雰囲気のまま、頷いた。
「はい」
上原さんは、課長の肩をポンと叩いて、帰っていった。
課長は持っている紙袋をじっと見ている。
横に回って顔を見上げた。
淋しいと、悲しいが混ざり合ったような、複雑な表情だった。
なんだろう。
さっきの会話も、私にはなんのことだかわからなかったけど、2人共切なそうな感じがにじみ出ていて。
多分、上原さんでも、課長でもない、誰かのこと。
きっと『彼女』だ。
「課長、大丈夫ですか……?」
驚かせないように、静かに声をかけてみた。
課長は、目だけを私に向けた。
「あの、今のお話は……」
聞いてもいいのかわからずに、中途半端になってしまう。
課長は、ゆっくりと微笑みを貼り付けた。
「なんでもない。気にしなくていいから」
『聞かなかったことにしてほしい』
そう言っているように聞こえた。