その上司、俺様につき!
人をかき分け、パタパタと私に駆け寄ってきたのは、社内規定ギリギリの明るさに髪を染めた若い女の子だ。
「遠藤さんなら、何か知ってるかなって思ってぇ~」
やめなさいよと隣でたしなめている先輩も、好奇心は抑えきれないのかキラキラした瞳で私を見ている。
「こ、こん、やく……しゃ?」
「そうです~。なんか、良いところのお嬢様ってもっぱらの噂なんですけど~」
そろそろとかがんでスマホを拾い上げつつ、頭の中を整理する。
(久喜さんに……婚約者……)
「でも、ウチの社員っていう噂もあるしぃ?」
”社員”というキーワードが彼女の口から出た途端、桜井さんの可憐な姿が脳裏をかすめた。
(まさか……!)
血の気がざあっと全身から引いていく。
拾い上げたはずのスマホを、また床に落としてしまった。
「あ、ああ……すみません、ちょっとびっくりしちゃって!」
二度目の大きな音に、私は却って落ち着きを取り戻すことができた。
「婚約者……の話は、詳しくわからないんですけど、おそらくいらっしゃるんじゃないかと思いますよ!」
愛想笑いを浮かべ、落としてしまったスマホを慌てて拾う。
「素敵な人ですからね、久喜さんは!」
そう言って私はニコッと微笑んだ。
「やっぱり~!」
必要なことさえ聞ければ、もう私個人には興味がないのだろう。
彼女はくるっと先輩社員の方を向くと、大げさに泣き真似を始める。
「先輩聞きました~? 久々の一目惚れだったのに~! もう失恋決定なんて~!」
「ほ、ほら! エレベーター来たよ。乗ろう? え、遠藤さん、失礼しました!」
私の様子が少しおかしいことに気づいたのか、先輩社員は焦った様子で後輩を促すと、定員ギリギリのエレベーターに2人揃って体を押し込んだ。
笑顔で会釈をして彼女達を見送ると、私は別の列に並んでエレベーターを待つ。
(……久喜さんに婚約者、か)
自分でも不思議なくらい、心も頭も冷静だ。
普通に考えて、パートナーがいない方がおかしい。
見た目の好みは個人差があるだろうけど、十中八九”イケメン”と認定される整った顔立ち。
働きぶりは社長のお墨つきだし、住まいもインテリアもハイグレードでセンスがいい。
(性格はちょっとアレだけど……)
でも、好きな女性に対しては紳士なのかもしれない。
誰よりも優しく、誰よりも穏やかに……、相手を慈しむ人なのかもしれない。
私は久喜さんと彼の婚約者が、映画のワンシーンのように仲睦まじく寄り添っている姿をイメージして、クスッと笑ってしまった。
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