その上司、俺様につき!
(私の今までの一喜一憂って、本当に何だったんだろう?)
改めて、数々の早とちりや勝手な思い上がりを恥じた。
(仕事で認めてもらえれば、いずれ……って、まだ本心では期待してたんだ、私)
一縷の望みも断たれた今なら、むしろ清々しい気持ちで久喜さんに接することができるはずだ。
(たとえ彼のパートナーが桜井さんであっても……)
エレベーターの中でぎゅうぎゅうに押されながら思う。
(―――心から2人を祝福できる自分でありたい)
人をものに例えるのはおかしいかもしれないけど、「彼は他人のものだ」「すでに売約済みだ」と思うと、意外なくらいリラックスして久喜さんと接することができた。
当然、仕事も滞りなく進む。
そのおかげもあって私は予定よりも1時間早く、今日中に片づけておきたかった作業を一通り終えた。
「……何か他にやれることはありますか?」
抱えている業務の進捗報告のついでに尋ねる。
「特に急ぎのものはない……な」
デスクの資料をパラパラと確認しながら、久喜さんが答えた。
「……では、今日はこれで失礼いたします」
「ああ」
―――以上が私と久喜さんのすべてだ。
会社の上司と部下なのだから、至って普通のやりとりだろう。
むしろ、それ以上の関係を求めるほうが間違っている。
私は机の上をざっくり整理すると、PCの電源を落として立ち上がった。
(8時前……か。これからどうしようかな?)
急いで駅に向かえば、久しぶりにウィンドウショッピングを楽しめるかもしれない。
お気に入りのショップを脳内でピックアップしながら、サブバッグにスマホやハンカチを仕舞う。
「ん?」
私はスマホの通知ランプが、チカチカと点灯していることに気づいた。
業務終了の挨拶も終えたし、ささっと確認するくらいならお咎めもないだろう。
そう思ってスマホのボタンを押し、待ち受け画面を呼び出す。
「飯田君……?」
メッセージの送信時間は20分前になっている。

”もう退勤した? よかったら、これから飲みに行かない?”

急いで返事をすれば、まだ間に合うだろうか。
(ショッピングもいいけど、久しぶりに彼に話を聞いてもらいたいな……)
久喜さんへの恋心は完全に捨てた。
でも、男の人の考えていることを同性である飯田君に一度聞いてみたかった。
(男性にとって自宅に招いて手料理を振舞うって、それほど特別な意味はない行為なのかな?)
そこでもし、「そんなことは好きな子にしかしない!」と彼に答えてもらったところで、どうにもならないことはわかっているのに。
完全に捨てたと言っておきながら、自分の諦めの悪さが滑稽で、フッと嗤いを含んだ鼻息が漏れる。
(……話を聞いてもらうだけ。それだけなら)
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