その上司、俺様につき!
「そ、そんなの、いる―――」
これまでのやり取りからして、もったいぶらずにさっさと答えた方が身のためだ。
そう思って返事をしようとしたが、肝心の部分で言い淀んでしまった。
(いないって、そう言えばいいだけのことよ!)
動揺を悟られてしまっては、今までの努力も、これからの決意も水の泡。
「……いる、わけないじゃないですか」
自分に言い聞かせるように、1つ1つの言葉を噛み締めながら告げる。
「気になる男もいないのか?」
「はい、いません」
「会社の中にも?」
答えるたびに胸がざわざわと騒ぐ。
「誰も好きじゃありませんし、気になりもしていません」
これ以上突っ込まれたら、どうにかなってしまいそうだ。
「―――そうか」
彼が返事を口にするなり、突然フッと体が楽になった。
……久喜さんがやっと私を解放してくれたのだ。
一体どういう意図があってこんなことを……と顔を上げて彼を見つめると、気まずそうに視線を逸らされる。
「急に……すまなかったな」
明後日の方向を向いたまま、謝罪の言葉を贈られた。
「……もう失礼してもいいですか」
床に落ちたスマホと財布を急いで拾い、サブバッグに仕舞う。
肉体的にも精神的にも、そろそろ限界だ。
この気まずい空間から、一刻も早く抜け出したかった。
「……最後に1つだけ、聞いてもいいか」
(ま、まだあるの……?)
内心勘弁してくれと思ったが、きっぱりと尋ねられてしまっては、無下にもできない。
「はい、どうぞ」
返事をすると、ようやく久喜さんが私の目を見てくれた。
やっぱり目が合うとドキッと胸が高鳴る。
どうして感情は、自分の中にある自分のものだけなはずなのに、こうも思い通りにコントロールできないのだろうか?
不自然にならないように注意しながら顔を背け、彼の瞳から逃れようと試みる。
「営業部の飯田圭吾とは、どういう関係なんだ?」
「飯田君、ですか?」
意外な人物の名前を口にされ、うっかりまた久喜さんを視界に捉えてしまった。
彼はお世辞にも機嫌が良いとは言えない表情をしていて、それがまた私の心臓を跳ねさせる。
「べ、別に……昔の同僚ってだけですが」
さっきまでとは打って変わった、苦虫を噛み潰したかのような顔に、一体何があったんだと焦ってしまう。
そんな私の動揺を、久喜さんはどう受け取ったのだろう。
「君が彼に肩入れするのは、個人的な理由からだとは思う。だが……」
温度をなくした冷たい瞳。感情が感じられない硬質な声。
彼は明らかに、私に対して怒り……もしくは憤りを抱いている態度だった。

「―――くれぐれも、情報漏洩には気をつけたまえ」

私は何も言い返せずに固まったまま、久喜さんがデスクに戻るところを見守るほかなかった。
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