侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
コーディアとライルが劇場の入口ホールにある左側の階段を登り終えて、客席へと向かう通路に差し掛かった時。
目の前の男性が二人の行く手を阻むように立っていた。
「こんばんは、デインズデール子爵」
男性にしては長めの琥珀色の髪を後ろになでつけ、やや派手な色のクラヴァッドを身につけた顔に薄笑いを張り付けたライルと同じ年代の男性だ。背はライルの方が高い。
「こんばんは」
声を掛けられたライルは返事を返した。
「隣に連れているのがコーディア・マックギニス嬢かな」
コーディアは咄嗟にライルの顔を確認する。彼の知り合いだろうか。青年の口調はまるで旧知の友人に会ったかのように親しげだが、ライルの方は顔を固くしている。
「ふうん……これが僕の従妹か」
「従妹……?」
「僕はローガン・マックギニス。きみの御父上と僕の父上が兄弟なのさ」
ローガンと名乗った青年はずいっと一歩前に進み出てコーディアを上から下までじろじろと眺めた。不躾な視線にコーディアは隣のライルの背に隠れるように一歩足を引いた。
「挨拶もなしだなんて礼儀のなっていない女だ。ま、租界育ちなんて所詮はそんなものか」
彼は独り言のように小さく言葉を吐いた。小さい声だったがばっちりコーディアの耳に届いた。
コーディアは羞恥に顔を白くした。久しぶりに悪意の塊のような言葉と感情をぶつけられた。
「そちらこそ初対面の女性に対する態度ではないようだが。私の婚約者に対して無礼な振る舞いは控えていただきたい」
コーディアが口を開くよりも早くライルがローガンに向かって低い声を出す。
「きみの、婚約者だって? まさか。彼女は僕の婚約者だ。父親同士がそういう約束をずっと前にしていたんだ」
衝撃的な発言にコーディアは息を呑んだ。そんなこと、初耳だった。
父からは何も聞いていないし、そもそもコーディアは自分の親戚について話をしてもらったことがほとんどなかった。
「そんなことは聞いていない」
ライルの声が一層固くなる。
「叔父上は勝手に約束を無かったことにしたんだ。ひどい話だろう。だから私は直接きみたち侯爵家に話をつけに行こうとしたのにデインズデール侯爵夫人に何度も門前払いをくらっていてね。だから今日きみが演奏会に顔を見せるかもしれないって噂を聞きつけてね。こうしてわざわざ出向いたってわけさ。従妹の顔も見ておきたかったしね」
ローガンはコーディアに向かって笑みを深めた。コーディアは自分の背中から嫌な汗が噴き出るのを感じた。
彼の目つきはライルのそれとはまるで違っていた。コーディアを物のように、価値を見定める視線だった。
「そんなわけだから、きみの身柄は私が預からせてもらうよ」
ローガンがコーディアの方へ近づき腕を伸ばしてきた。
コーディアは怖くてライルの背中に隠れた。ぎゅっと彼の上着を握る。
「そんな話急に言われてもすぐに信じられるわけがない。とにかくこの場で彼女を引き渡すことなど出来ない。言い分があるならヘンリー氏を交えた場にするべきだ」
ライルの声は平素通りだった。
彼の声がコーディアの心の中にしみわたると自分の心がゆっくりと解きほぐされていくようだった。今この場でローガンに連れ去られたらどうしようかと本気で怖かった。
ローガンはさすがに今日コーディアを連れて帰るのは無茶だとわかっていたのか「ま、いいさ。そのうちその娘を返してもらうよ」と言って劇場内へ入っていった。
取り残された二人はどちらも何も話さなかった。
とてもじゃないけれど演奏を聞く気分にはなれない。
「ライル様……あ、あの……これにはきっとなにか事情が……」
親戚同士何かがあったのかもしれない。コーディアにはどんな事情があったかわからないけれど、言わずにはいられなかった。
心情的には今すぐに父の元へ赴いて彼に問いたい。
ライルはコーディアの方へ振り返った。
コーディアが顔を上げると、彼の灰茶の瞳と目が合った。
「大丈夫だ。私がついているし、きみの嫌がることは絶対にさせない」
ライルの声は大きくはなかったが、コーディアの胸の奥に染み込んだ。
彼がそういうなら大丈夫、と納得してしまうような信頼できる声だった。
目の前の男性が二人の行く手を阻むように立っていた。
「こんばんは、デインズデール子爵」
男性にしては長めの琥珀色の髪を後ろになでつけ、やや派手な色のクラヴァッドを身につけた顔に薄笑いを張り付けたライルと同じ年代の男性だ。背はライルの方が高い。
「こんばんは」
声を掛けられたライルは返事を返した。
「隣に連れているのがコーディア・マックギニス嬢かな」
コーディアは咄嗟にライルの顔を確認する。彼の知り合いだろうか。青年の口調はまるで旧知の友人に会ったかのように親しげだが、ライルの方は顔を固くしている。
「ふうん……これが僕の従妹か」
「従妹……?」
「僕はローガン・マックギニス。きみの御父上と僕の父上が兄弟なのさ」
ローガンと名乗った青年はずいっと一歩前に進み出てコーディアを上から下までじろじろと眺めた。不躾な視線にコーディアは隣のライルの背に隠れるように一歩足を引いた。
「挨拶もなしだなんて礼儀のなっていない女だ。ま、租界育ちなんて所詮はそんなものか」
彼は独り言のように小さく言葉を吐いた。小さい声だったがばっちりコーディアの耳に届いた。
コーディアは羞恥に顔を白くした。久しぶりに悪意の塊のような言葉と感情をぶつけられた。
「そちらこそ初対面の女性に対する態度ではないようだが。私の婚約者に対して無礼な振る舞いは控えていただきたい」
コーディアが口を開くよりも早くライルがローガンに向かって低い声を出す。
「きみの、婚約者だって? まさか。彼女は僕の婚約者だ。父親同士がそういう約束をずっと前にしていたんだ」
衝撃的な発言にコーディアは息を呑んだ。そんなこと、初耳だった。
父からは何も聞いていないし、そもそもコーディアは自分の親戚について話をしてもらったことがほとんどなかった。
「そんなことは聞いていない」
ライルの声が一層固くなる。
「叔父上は勝手に約束を無かったことにしたんだ。ひどい話だろう。だから私は直接きみたち侯爵家に話をつけに行こうとしたのにデインズデール侯爵夫人に何度も門前払いをくらっていてね。だから今日きみが演奏会に顔を見せるかもしれないって噂を聞きつけてね。こうしてわざわざ出向いたってわけさ。従妹の顔も見ておきたかったしね」
ローガンはコーディアに向かって笑みを深めた。コーディアは自分の背中から嫌な汗が噴き出るのを感じた。
彼の目つきはライルのそれとはまるで違っていた。コーディアを物のように、価値を見定める視線だった。
「そんなわけだから、きみの身柄は私が預からせてもらうよ」
ローガンがコーディアの方へ近づき腕を伸ばしてきた。
コーディアは怖くてライルの背中に隠れた。ぎゅっと彼の上着を握る。
「そんな話急に言われてもすぐに信じられるわけがない。とにかくこの場で彼女を引き渡すことなど出来ない。言い分があるならヘンリー氏を交えた場にするべきだ」
ライルの声は平素通りだった。
彼の声がコーディアの心の中にしみわたると自分の心がゆっくりと解きほぐされていくようだった。今この場でローガンに連れ去られたらどうしようかと本気で怖かった。
ローガンはさすがに今日コーディアを連れて帰るのは無茶だとわかっていたのか「ま、いいさ。そのうちその娘を返してもらうよ」と言って劇場内へ入っていった。
取り残された二人はどちらも何も話さなかった。
とてもじゃないけれど演奏を聞く気分にはなれない。
「ライル様……あ、あの……これにはきっとなにか事情が……」
親戚同士何かがあったのかもしれない。コーディアにはどんな事情があったかわからないけれど、言わずにはいられなかった。
心情的には今すぐに父の元へ赴いて彼に問いたい。
ライルはコーディアの方へ振り返った。
コーディアが顔を上げると、彼の灰茶の瞳と目が合った。
「大丈夫だ。私がついているし、きみの嫌がることは絶対にさせない」
ライルの声は大きくはなかったが、コーディアの胸の奥に染み込んだ。
彼がそういうなら大丈夫、と納得してしまうような信頼できる声だった。